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自転車

作者: 海勢 真輝

「おじいさんがよくそんなのやってた!」

 市街地から抜けてくる道と国道がぶつかる交差点にある自転車屋さん。その自転車屋さんの主人にお客の女性がいった言葉。外で信号待ちしていた人が思わず店を覗いた。聞いた人が恥ずかしくなるほど、喜びと驚きに溢れた声だった。九月も終わる、ある夕方のこと。


 庭に柿の木を植えたのは、結婚してこの家を建ててすぐだったから、もう四十年以上になる。新しい暮らしを始める自分たちとともに成長し、いずれ増える家族みんなの拠り所となる、そんな大きな木に育ってくれるよう願いを込め、おじいさんが植えた柿の木。願いの通り、すくすくと成長して、この辺りで一番立派な大木に育ってくれたのだった。


 一女一男をもうけ、お姉ちゃんは嫁いでいってしまったが、弟はこの家にお嫁さんを迎えて暮らしている。その息子にもお姉ちゃんと弟の一女一男を授かったのは、なんの縁であろうか。


 八月。蝉が鳴いている。「時雨」などいう生易しいものではない。「夕立」のように、その鳴き声は家をビリビリと痺れさせる。

 午前十時の太陽が、家の西側にある庭を既に照らし始めている。おじいさんは、庭の草むしりをしている。大きな柿の木の傘の下で、影の中で直射日光を避けてはいるが。


 お嫁さんは今日もパートに出ていた。旦那と子どもたちに朝ご飯を食べさせて送り出すと、急いで自分も支度をして八時過ぎには家を出ていく。子どもたちは夏休み中だが、それぞれ部活にいった。お姉ちゃんは高校二年生の吹奏楽部、弟は中学二年の野球部。


「すいません、いってきます」

 と出ていくお嫁さんの声を聞いてから、用意してくれてある朝食をおばあさんとおじいさんは二人で食べる。自分たちが食べた分の洗い物と、他の家族の洗い物をおばあさんが片付けると、ざっと九時を過ぎていた。ちなみに、キッチンにはおばあさんとおじいさん、お姉ちゃんと弟のお昼の用意もしてある。毎日毎日、ほとんど欠かすことなく用意してくれる。ほんとに、頭が下がる。


 九時過ぎ。自分たちの部屋に戻ると、おじいさんは庭に出て草むしりをするのが日課だった。この時季でも一時間ほどは草むしりをする。そんなおじいさんの日課を縁側から眺めるのが、おばあさんの日課だった。


 ときには自分も草むしりに出ることもある。この日も、おじいさんが庭に出るのを追いかけるように、おばあさんも庭に出た。

「おじいさん、これ、ちゃんと被ってください」

 しゃがんでいるおじいさんの頭に、ぽんとのせた、麦わら帽子。すまん、忘れてた、といいながら振り返ることもなく、斜め上からみるおじいさんの横顔、唇の端は確かに笑っていた。おばあさんの頭にも麦わら帽子。おばあさんの唇も、ほんのり笑う。


 おばあさんは十分もせずに縁側に戻ってきた。汗で額が濡れていた。そこには扇風機が回っている。ゆっくり首を振っている。午前十時であれば、この部屋はまだそれほど暑くない、といえる。


 二人だけの家は、静かだった。外からは蝉の声が押し寄せてくるが、家の中から近寄る音はない。怖いほどの蝉の声と、怖いほどの静けさの狭間に、おばあさんはついつい身を委ねていた。いつしか、おじいさんも隣に座っていた。


 十一時半ころ。洗濯物を干しているおばあさんに、おじいさんが縁側から、今日は自転車ででかけないのか、と尋ねる。

「出かけませんよ。なんかいる物でもあるんですか?」

 洗濯物から目を離さないおばあさんの返事はおざなりになる。


 珍しいことではある、おじいさんからそんなことをいい出すのは。なにか買い物でもしてきて欲しいのか。おじいさんは、今日も夕立がきそうだから、と返す。洗濯物が風になびくと、日差しを弾いてきらきらと光を放った。

 

 おばあさんは、空を見上げた。眩しい。なんて眩しさ、なんて熱さだろう。なんという激しさだ。手庇の下からみえる空には、雲が多かった。なるほど夕立がきそうだ。夕立がある日の午前中とは、こんな空なのか。そう、さっき天気予報でいっていた。夕立がある日の午前中とは、こんな空だった。

 おばあさんが出かけて夕立に降られるのを心配している、という雰囲気は感じなかった、おじいさんの口ぶりからは。

 それ以上、あまり深く考えないのだけれど。


 孫たちは、お昼に帰ってきてご飯を食べると、お昼過ぎもそれぞれ出かけていった。

「ばあちゃん、じいちゃん、ちょっと出かけてくる」

 弟が部屋に顔だけ入れてくる。

「夕立がくるっていうから、あんまり遅くならないようにね」

「いってきまーす」

 少しして。

「おばあちゃん、おじいちゃん、ちょっと出かけてくるね」

 お姉ちゃんの顔が部屋をのぞいた。

「夕立がくるっていうから、遅くならないようにね」

「はーい。じゃあね、いってきます」


 再び、家が「シーン」と静まりかえる。

 姉弟の部屋は二階にある。多少の物音はしていたが、この部屋にそれほど「音」の影響があるわけではない。

 それでも、人が二人出ていったという事実は、この家から確実に二人分の「なにかしら」が出ていったことを意味するものだ。


 午後三時。掃除もざっと済ませて、お風呂掃除もしてある。お嫁さんがいつもだいたい四時ころ帰ってくる。

おじいさんが、よっこいしょ、と立ち上がる、テーブルの上の湯飲みがコトリと鳴る、縁側の掃き出し窓に寄って、障子を開けて部屋の中から空を見上げた。

「もう降りそうですか?」

 というおばあさんの言葉に、夕方まではだいじょぶだろう、と答える。テレビがついている。クーラーが効いて部屋の中は確かに涼しく快適ではあるだろう。

 が、クーラーが、部屋を閉め切っていることと相俟って、今度は外からの音までを部屋の中から追い出している。ときどき、息苦しさを感じることがある。おじいさんが窓を開けたくなる気持ちもわかる。

 ワアアア!

 と音が膨らんだ、蝉の声がぶつかってくる。おじいさんが窓を開けたのだ。

 午後三時といえば暑い盛りだ。それでも、この部屋では快適に過ごせる。それは、エアコンのおかげだけではない。部屋に差し込む影がある。それは、庭の柿の木の影だった。

 おじいさんとおばあさんの家、家族の家に、柿の木の影が伸びていた。


 おばあさんが携帯電話に出る。相手は、友だちの外所さんだった。

「ちょっと、出かけてきます」

 午後四時まであと五分ほど。

「外所さんが、きゅうり取りにこいっていうんで、ちょっといってきます」

 今からか、とおじいさんは心配そうな顔でおばあさんに声をかける。夕立がくるかもしれない。

「きゅうりもらって、さっと帰ってきますから」

 自転車でいくのか、とおじいさんが聞いたので、おばあさんは「はい」と短く返した。おばあさんが出かけるといったら自転車である。何を今さら、と少し訝る。

 外所さんの申し出を断ったほうがよかったかと、おばあさんは立ち上がりながら少し後悔した。いかないほうがいいような気もする。夕立が怖い。出かけることに躊躇いを感じていた。

 躊躇いを感じながらも、おばあさんは支度をして部屋を出ようとしている。外所さんの家は、ここから自転車で十分もかからない。さっといってさっと帰ってくればいい。とはいえ……。

 とりあえず外までいってみよう。部屋を出かけたおばあさんを、背後からおじいさんが呼び止める。振り返ると、おじいさんも立ち上がっていた。

「手、出してみな」

「なんですか」

 いわれた通り、おじいさんに向かって手を伸ばす、手を広げてみろ、いわれるがままに掌を広げてみせた。おじいさんが拳を乗せる、暖かくも冷たくもない、久しぶりに感じたおじいさんの手の温度はむしろ新鮮だった。発見だった。おじいさんが手を引く、おばあさんの掌にははっきりと冷たいものが残った。固くて冷たい。

「鈴だ」

「あら!」

 紐の先に二つの鈴の付いた。おじいさんの照れ臭そうな笑顔だった。


 小さな鈴だった。高く可愛らしい音を出す。神社を思わせる、お守りのような鈴。


 おばあさんが玄関で自転車の鍵に鈴をつけていると、そこにお嫁さんがパートから帰ってきた。

「おかえりなさい」

「ただいまー、あれ、どうしたんですか、それ」

「鈴。おじいさんがくれたの」

「へぇぇ、凄いですね!」

「ねえ、珍しいこともあるものね」

 買い物袋を家の中に入れ終わり、奥へと入っていく、お嫁さんが驚いたように振り返った。今自分が閉めたドアが開いたから。

「おかあさん、出かけるんですか」

「外所さんがね、きゅうり取りにこいっていうから」

「でも、夕立きそうですよ」

「すぐ戻ってきますよ、さっといってさっと帰ってくるから。じゃあ、いってきますね」

「はい、気を付けて」

 おばあさんは出ていってしまった、鈴を鳴らしながら。鈴の音は遠ざかり、そして消えた。

 鍵の付いた鈴をみるおばあさんの嬉しそうな顔だった。出かけることにはっきり「やめた方がいい」をいえなかった。いえなかったことを、お嫁さんは後悔した。夕立がくるまえに、早く帰ってきてくれることを、とにかく願うだけだった。  


 おばあさんは自転車が好きだった。結婚したころは、晴の日はもちろん少々の雨の日も自転車で買い物にいっていた。いかざるを得ないといえばそうなのだが、自転車は、いつしか「手段」以上のものになっていた。

 相棒といっていいかもしれない。もちろん、ずっと同じ自転車に乗っているわけではないが、自転車を変える度に「よろしく」とシートをさする。自転車に乗るときはいつも、家に帰ってきたときその度に、「よろしく」そして「お疲れ様」「ありがと」とシートをさする。それが、おばあさんの自転車に対する思いである。

 おじいさんがよく自転車をみてくれた。チェーンに油をさしてくれたり、パンクを直してくれたり。シートの高さを合わせてくれたり。

「シートの高さくらいは自分で調節できるようにならんとな」

 嫌味ではない。出先でシートが合わないと感じたらその場で調節できるほうが、おばあさんにとっても有益だろう、という思いから。

「はい」

 おばあさんは、そのやり方を教えてもらった。できるようになった。それでも、なるべくおじいさんにお願いした。なんでもできるおじいさんが好きだった。おじいさんを頼りたかった。

 最近はあんまり自転車のことをお願いしなくなった。自転車に乗る時間も減った。

 また、整備をお願いしなくちゃ。

 この近くには「観音山」という山がある。山頂標高百九十メートルのところに慈眼院というお寺がある。見晴らしもよく、大きな観音像もあり、観光地としても人気の場所だった。毎年、年に二度か三度、おばあさんもおじいさんや家族とお参りにいく。無論、自転車で上がるような場所ではない。ふと、観音山を見上げた。今度の週末あたり、家族でお参りしたい、そんなことを思った。観音山の上、空には灰色の雲が満ちていた。風も少し出てきたようだ。いよいよきそうだな。急いで、帰ろう。


 外所さんの家で少し話が弾んでしまった。それでも、降り始める前には帰れそうだった。空をみると、黒い雲が厚みを増している。救急車のサイレンが鳴っていた。孫たちももう帰ってきているだろうか。雷の音が聞こえたような気がした。なんとなく、胸がざわつくようだった。


 家の前がみえる場所まできた瞬間、血の気が引いた。家の前に救急車が停まっていた。

 自転車を家の横の自転車置き場に停めると、玄関へと向かう、開け放したドアから横になったまま運ばれるおじいさんが出てきた。促されるままに、おばあさんは救急車に乗り込んだ、お嫁さんの泣き顔を、横目でちらっとみただけだった。


 時間が戻ることはない。止まることもない。誰にだって夜がきて朝がくる。滞ることなく新しい一日はやってくる。生きている人には。

 いや、新しい一日はくる、誰にだって、なににだって。

 おじいさんは亡くなった。一度も意識を取り戻すことなく、二度と目を開くことはない。


 心不全ということだった。

 お嫁さんの話によると。おばあさんが出かけた少しあと、おじいさんが部屋から出てきた、おかえり、ただいま、と声を交わした、おじいさんはトイレに入った。

 また少し経って。お姉ちゃんが帰ってきた。そして、お姉ちゃんがトイレにいく、

「おじいちゃん、まだ鍵閉めないで入ってるし、マジ焦る」

 そのセリフに、お嫁さんは「ハッ!」とした、鳥肌が立った。

「おとうさん、入りますよ、おとうさん、おとうさん!」

 おじいさんは、トイレで意識を失っていた。


 結婚しておじいさんの実家に入ったが、そこで義理の両親と過ごしたのは一年ほどだった。一年ほどで、この家を建てて二人で暮らし始めた。

 まさに柿の木とともに過ごしてきた四十年だった。小さい苗を見守る日々があった。夫婦での暮らしに、子育てに、義理の両親との関係に、悩んだ日々、苦しみを柿の木に吐露した回数は何度かしれない。

 あっという間だった、ということはできる。楽しい思い出もある。楽しい映像が幾らでも蘇る。悲しい辛い思いも、たくさん、思い浮かんでくる。「あっという間」のその「間」は、時間に置き換えられない厚みを持っている。

 いい人と結ばれたと、しみじみ思う。気が小さくてお人好しなくせに、おばあさんには我がままを通して困らせる。他所に迷惑をかけずに身内に面倒をかける。逆じゃなくてよかったと、おばあさんは思ったものだ。

 若いころは、家の中でよくイライラしていた。仕事のイライラを家に持ち込んで。夫婦喧嘩も日常茶飯だった。子どもが独立したころからだろうか、家の中であまりイライラをみせなくなったのは。

 長女が県外に嫁いだことは、おじいさんにとって決定的だっただろう。寂しさで体まで小さくなったように、おばあさんは感じたものだった。

 息子が結婚してお嫁さんを迎えると、おじいさんははっきりと優しくなった。「優しさ」を表にみせるようになった。孫を溺愛する様は、滑稽なほどだ。

 孫ができるような歳になれば、仕事の上でも周りとぶつかることは少なくなるだろう。「年寄り」にぶつかってくる者がいなくなる。相手にされなくなるのだが。

 定年の前から、おじいさんはおばあさんにも優しくなった。犬も食わない喧嘩をしなくなってかなりの歳月が経っていた。

 定年して外にあまり出なくなる。ストレスも減ったからだろう。おじいさんは、大人しい、ただのおじいさんになった。

 人づきあいがなくなって、家のものに面倒をぶつける人もいると聞くが、ここのおじいさんはそうではなかった。これがおじいさんの「本質」だったのだろう。

 柿の木の世話をするのが、おじいさんの日課だった。草をむしり、幹を撫でる。他にもちょっとした家庭菜園を開いていた。おばあさんが好きそうな花を植えたり。庭いじりに精を出す、穏やかなおじいさんになっていた。


 思い出の数々、数々、数々。そこにはいつもおじいさんがいた。おじいさんが一緒じゃないときも、おじいさんがいた。いつもおじいさんがいた。おじいさんと結婚する前から、おじいさんと一緒だった。おじいさんと結婚した自分の、結婚する前の思い出だ。

 生まれてから思い出せる全ての時間が、おじいさんと共にあった。

 振り返ってみれば。

 人生を振り返ってみれば。

 おばあさんの人生は、まるで終わってしまったかのようだった。

 おばあさんは、庭を眺めている。おじいさんが生きていたときと同じように。おじいさんが生きていたときよりも、一日の中で庭と向き合う時間が長くなっていた。それはそうだ、部屋の中におじいさんはいない。家の中におじいさんはいない。リビングにも風呂場にも、トイレにも、おじいさんはいないのだから。

「わたしが早く気づいてれば」

 お嫁さんはおばあさんにそういって、詫びた。しかし、それはいっても仕方のないことだった。おじいさんがトイレに入ってからお嫁さんが声をかけるまで三十分ほどの間があった。その時間を、二十分にすることはできたかもしれないが、五分にすることはできなかったろう。

 おじいさんは血圧が高かったために、血圧を下げる薬を飲んでいた。病院にも定期的に検診にいっていた。腰をちょっと悪くして、長い時間歩いたりはできなかったが、庭で草むしりはするし、内臓に悪いところはなかった。少なくとも、自覚するべきことはなかった、それまでに受けた検診の結果に鑑みて。おじいさんが亡くなったことは、その出来事に関わってきた誰の過失でもない。それはもう、天命というしかないものだった。

 おばあさんは庭を眺める。それまでと変わることなく。おばあさんは変わらない。変わったのは庭の方だった。そこには誰もいないのだから。


 お嫁さんを責めたい気持ちはない。仕方ない、どうしようもなかった。

 それはおばあさんにもわかっている。理解している。

 お嫁さんを責めたかった。一番近くにいて、可能性があったのはお嫁さんだった。

 お姉ちゃんを責めたかった。お姉ちゃんがすぐに異変に気付いていれば。トイレでぐったりしていたおじいさんをみても異変と思わなかった。お姉ちゃんのおじいさんに対する関心はそんなものだったのか。

 長い時間動きがないとき、トイレの外に異変の可能性を知らせるセンサーのようなものを設置しておけば。息子を責めたかった。

 弟を責めたかった。

 誰かを責めたかった。誰かのせいにしたかった。誰のせいにもしてはいけない。誰のせいでもない。仕方のないことだった。おじいさんは、寿命だったのだ。

 誰よりも「自分」を責めていた。

 いかなければよかったのだ。電話をくれた外所さんのせいだ。

 出かけなければよかった。きゅうりなど放っておけばよかった。

「夕立がきそうだから、明日にするわ」

 そういえばよかった。それだけでよかった。

 それでも、おじいさんを救うことはできなかったかもしれない。

 それでも、おばあさんが出かけなければ、それで運命の歯車が少しでも変わって、おじいさんが死ぬことはなかったかもしれない。

 わたしが、出かけたりなんかしなければ……。

 気が付くと、おばあさんは自分の掌をみつめていた。鈴。鈴があった。鈴のようなおじいさんの顔が。おじいさんの笑い顔が、そこにあった。


 遺影と一日に何度も向き合い、庭を眺めては在りし日のおじいさんの面影をみる。普段からあまり口数の多い方ではなかった。静かなことは、それほど違和感はない。静かなほうが、おじいさんは落ち着くかもしれない。

 時間が心の隙間を埋めてくれるようだった。「隙間」というにはあまりに大きい。穴。もっといえば、おばあさん自身、その一部。おばあさんの半分。

 その亡くなった部分が少しずつ埋まっていくよう。傷が治るように。なくなったものが満たされるはずはない。それこそ瘡蓋のように覆いがなされるのだろう。それほど気にならないように。時間が、おばあさんを癒してくれる。

 わたしももうすぐいきますよ。

 そんな気持ちがないわけではない。「あれをやりたい、これをやりたい」というものもない。孫たちは可愛いしこの先どうなっていくか、楽しみではあるが、孫たちにとって「わたし」がどうしても必要、というわけでもなかろう。

 おばあさんの知り合いで、数年前に旦那をなくした女性は、

「寂しくてしかたない、でも生きていかなきゃしょうがない」

 ということをいっていた。

「生きることが面倒になる」

 ともいっていた。

「でも、生きていかなきゃしょうがない」

 おばあさんも、寂しさに苛まれるときがある。独りで部屋にいるとき、おじいさんが好きだったドラマをみているとき、羊羹に楊枝をさして、口に入れいる瞬間、おじいさんが好きだった羊羹を。

 ときどき瘡蓋がはがれて血が出る、膿が流れる。痛みを感じる。そしてまた瘡蓋になる。時間が蓋をする。

 おじいさんが亡くなって一月半ほどが経った。十月になるころ。おばあさんは庭に下り、しみじみと庭の柿の木を見上げる。

「おじいさん、今年も美味しそうな柿の木がたくさん、こんなにたくさん」

 柿の木に触れると、ほんのり温もりを感じるようだった。おじいさんとの思い出は、まさに柿の木と共にある。孫が生まれたあたりからはまさにそうだ。おじいさんは柿の木の近くにいることが多かった。

 実際、部屋に二人でいる時間が一番長かったはずだ。一緒に出掛けたことだって何度もある。二人で伊香保や草津、仙台にもいった。京都や奈良にも。二人の時間といえばいろんな場所にある、いくらでもある。

 でもなぜか、おじいさんの俤を求めるとき、おばあさんは柿の木をみる。部屋で一緒にテレビをみるおじいさん、二人で旅行にいったときのおじいさん、おじいさんとの思い出は、写真のよう。でも、柿の木とともにいるおじいさんは動いていた。話をしていた。笑っていた。おばあさんの話に頷いてくれるようだった。

 

「今度の連休は、温泉にでもいってみるか」

 夕食のとき、息子が切り出す。

「そうね、久しぶりに伊香保温泉にでもいってみましょうよ」

 お嫁さんが答える。二人とも、笑顔で、とってつけたような。

「草津のほうがいいよ」

「どうして?」

「わたし、草津いったことない」

「草津のほうが、インスタとかでイイネ稼げるからでしょ」

「うるさいわね、あんた」

「いて。暴力女!」

「やめなさい、お姉ちゃんも、手出すんじゃないの」

「そうだそうだ」

「あんたも、いい加減にしなさい」

「いて! 母ちゃんも殴ってるじゃん」

 息子たち家族が楽しそうなのは、おばあさんにとっても嬉しいことだった。

「わたしはお留守番してるから、みんなでいってらっしゃいな」

 おばあさんは、屈託のない笑顔でそう答えるのだった。

 

 暫くぶりに、

「外所さんとこにでも」

 いってみようかと思う。柿を、届けてあげよう。玄関にいく。

「鍵」

 が、見当たらなかった。あの鈴のついた鍵が。一通りみたが、やはり、ない。

「しかたないわね」

 おばあさんは、柿の入った袋を抱えて玄関を出る。

「おかあさん、出かけるんですか」

「……」

お嫁さんの声に反応することなく、おばあさんは外に出ていった。おばあさんは歩いて外所さんの家にいった。

それから、おばあさんは、どこか出るときは歩いて出かけた。

おかあさん、出かけるんですか? 乗せていきましょうか?

「……」

 お嫁さんの声が、遠くに聞こえる。

 淡々と過ぎていく。一日が過ぎ、もう一週間、もう一か月。おじいさんが亡くなってから、もう二か月が過ぎ。柿の木が葉を落とす冬になり。

 年が明ける。

 二月に雪が降った。真っ白になった庭が、冬の太陽にキラキラと輝いた。

 桜が咲く春。庭にも色とりどりの花が咲いた。お嫁さんが植えた花。どこかから、桜の花びらが舞い込んでくる。桜が散る。鶯が、柿の木で鳴いていた。

 ゴールデンウィークには、家族で新潟に出かけた。もちろんおばあさんも。

 この年の梅雨は雨が多かった。じめじめが、例年よりも長かった。このまま梅雨が明けないまま秋になるんじゃないかと思うほどに。

それでもしっかり梅雨は明け、また夏がやってくる。暑い夏が。

 七月下旬から八月にかけて。気温は「三十五度を越える」と天気予報のお姉さんはいうが、それほど暑さを感じなかった。

一周忌も終わり。あっけなく一年が過ぎていた。


 朝晩めっきり涼しくなった。風にも空にも秋色が多くみえ始める。カレンダーをみれば、九月も既に終わりが近い。

そんな日の午後五時過ぎ。それは、まるで目覚ましのように。

 

 視界を覆っていた靄がとれるように。意識にかかっていた霧が晴れるように。動きの鈍くなっていた心が再び滑らかに回りだす、まるで錆びついたチェーンに油が差されたように。

 救急車のサイレンが鳴り響く。家の前で、止まった(実際には、この救急車は、この家ではなく、斜向かいの家を訪れたものだった。急性虫垂炎で搬送されたその家の男子高校生は、数日後に無事退院している)。

 サイレンが、おばあさんを一年前の「あの日」に引き戻す。おじいさんが亡くなったあの日、おばあさんの人生が止まったあの日。

 あの日、おばあさんは近づくサイレンを聞いていない。家の中で救急車の到着を待っていない。気持ちを準備するほんの僅かな「暇」もなかった。

あの日は不意打ちだった。

今日は違う。家で待っていた、救急車のサイレンを家の中で聞いていた。あの日とは違う、あの日のやり直し。

 この一年、振り返れば思い出すものはある。記憶、あるいは「思い出」と呼ぶものは、おばあさんの中に残っている。頭に、心に。しかし、なんだろう、その思い出の中に、おばあさんはいなかった。

 まるでテレビをみているかのような。昔みたドラマのような。「おばあさん役」としておばあさんが出ている、そんなドラマをみている。「寒かった」ではなく「寒そう」、「楽しかった」ではなく「楽しそう」。

 おばあさん自身に、汗をかいた不快さも笑った楽しさも、転んだときの痛みも、自分の体験として残っていない。

 まるで「おじいさんがいなくなったとしたら」という、ドラマ。

 おじいさんは、もういない。それはドラマではなかった。そのことが再びおばあさんを襲った。おばあさんの周りは一年分時が流れている。その一年分のずれが、おばあさんの心を「一年後」に引っ張った。心臓が、止まりそうだった。瘡蓋がはがれて血が流れだす、おばあさんの体から噴き出した、涙となって。

 あの日とは状況がまるで違う。気温が違う、時間帯も違う、外の明るさが、全然違う。

それでも。

おばあさんは、縁側に突っ伏して泣いていた。縁側で、柿の木に頭を向けて、思いをぶつけるようにして。

 混乱する意識、入り乱れる記憶、暴れだす自責の念、それらの奥で、それらの上で、それらをかき消すように、おじいさんが笑っていた。ニコニコと手を振って。手に何かを持っていた、おじいさんの手で、なにかが揺れていた、小さいなにかが。

 暫く。おばあさんの心が平静を取り戻す。

 涙は止まった、涙の跡はそのままに、おばあさんは立ち上がり、部屋の中にとって返す。

「これって今年のカレンダーよね」

 去年からめくっていない、ということはない。紛れもなく、今年のカレンダーである。今日は、おばあさんがみている日で間違いはない。庭に目を移す。唖然とする。

「あれまあ」

 軽く絶望、重く呆然。庭は、いつの間にか雑草に覆われていた。

「やだ、おじいさん、なんでいってくれないのよ」

 日没にはまだ時間はあるが、庭は早くも黄昏に染まり始めている。中でも庭のあり様はよくわかる、痛々しいほどだった。雑草に詰め寄られ、柿の木が身を小さくしているようではないか!

「参ったわね。これじゃおじいさんに示しがつかないわ」

 おじいさんがいないから庭が草だらけになった、など、報告できるわけがない。

「明日ね。えっと、明日は、今日は金曜日よね」

 このままでは、今年は美味しい柿が食べられないかもしれない。声を荒げるおじいさんではないが、おじいさんのがっかりした顔など、みたくはない。

 おばあさんは、突き動かされるように部屋を出る、玄関の鍵置き場をひと眺めして、玄関をおりた、

「あれ、おかあさん、今から出るんですか」

 お嫁さんの声にも聞く耳持たず、つっかけをはいて玄関を出た。


「おか」

 つっかけを履いていったらしいことを確認して、

「庭かな」

 お嫁さんもやはり自分のつっかけを履いて外に出てみた。庭のほうにはいない。まさかと思って道路に出ようとする、足を止めて踵を返した、家の横で物音がする、自転車置き場の方だった。

「おかあさん」

 という声は声にせず。静かに、そっと、覗いてみる。


「やっぱりここだったんだ!」

 鍵は自転車に刺さったままだった。あの日から。一年前、おじいさんが救急車で運ばれたあの日、あのときから。ずっとここにいた。

 ずっと待っていたのだ。見付けられることを。おばあさんが見付けてくれるのを。

 いや、違う。待っていたのは見付けてもらうことではなく……。


「今からいくんですか?」

「そう今からいくの」

「自転車屋さんて、あの、国道の交差点のとこですか?」

「そうよ。だいじょぶ、何度もいってるから」

 ここから自転車屋さんまで五分もあれば充分である。自転車に付けっぱなしだったのはバッテリーも一緒だった。電動アシストの充電は切れている。坂道を上る必要もないので、それほど問題にはならないだろう。

「でもおかあさん、その履物はさすがに」

「ああ、そうよね」

 おばあさんはいったん家の中に戻り、スニーカーに履き替える。

「じゃあ、いってきます」

「やっぱりダメですよ。明日じゃダメなんですか?」

 突然前のめりになったおばあさんに、お嫁さんも少したじろいでいる。いったい、どうしてしまったのだろうか。もしかして、ほんとに認知症にでも……。

「明日じゃダメなのよ。明日は、忙しいんだから」

 忙しい、という言葉にもちょっと引っかかったが、今はとにかく、

「一年ぶりじゃないですか。やっぱり心配ですよ」

「だいじょぶですよ、自転車の乗り方は、一度覚えれば忘れないっていうんだから」

「でも」

 年寄り扱いしないで、といわれることをお嫁さんは恐れていたが、それでもここは引けない。

「心配です」

「そう、困ったわね」

 お嫁さんが恐れていたセリフはなかった。すると、おばあさんの本当に「困った」顔が、まるでお嫁さんに「自分がおばあさんに意地悪をしている」ような趣をもたらす。

 お嫁さんの頭にある「セリフ」が閃いてしまった。

「わかりました、じゃあ、わたしもいきます」

「それはダメよ。忙しいのに。じゃあ、諦めようかしら」

 おばあさんはすんなりと「諦める」と口にしたものだ。

 なのに、なぜか。

「いえ、わたしもいきます。ちょうど買い忘れたものもあったし。だからいきましょう、今から、自転車屋さんに」

 沈黙があった。お嫁さんの鳩尾がむずむずするような沈黙だった。

「そういうなら、一緒にいこうかね」

「はい」

 なにか、お嫁さんから誘ったかのようななりゆき。二人はそれぞれ自転車に乗って、おばあさんはおばあさんの自転車に、お嫁さんは自分の息子の自転車に乗って。

 

 自転車が気持ちよかった。午後五時過ぎ、交通量もけっこう多い。学校帰りの高校生や中学生の自転車もよく走っていた。

 一年ぶりに自転車に乗るお義母さんに「心配」だといったお嫁さんだが、本人が自転車に乗るのは一年ぶりどころではなかった。数年ぶり。もし「乗ったけど忘れている」のでなければ十年以上前かもしれない。前に自転車に乗ったときの自分の姿、シチュエーションの記憶を掘り起こすことができなかった。断片すら出てこない。

 多少不安はあった。事実、漕ぎ出した直後は少しふらついた。でも、すぐに感覚を取り戻した。お義母さんのいった通り。

 平日の午後六時。ひっきりなしに行き交う車。学校帰りの学生たち。自転車に乗る、歩くおばちゃんおじちゃんたち。夕方の慌ただしさを肌で感じていた。どれくらいぶりだろう。自転車に乗って。日中は汗ばむほどの陽気だったが、日暮れの自転車は秋の空気の只中だった。

 自転車に乗りたくなってしまった、止めるつもりが。お義母さんと自転車で出かけることなんて、今までなかった。お義母さんを後ろから追いかけている。子どもの頃の自分を思い出すようだった。こんな風に、母親と一緒に自転車で出かけたことなど、あっただろうか。母親の自転車を追いかけたことなど、大人用の自転車に乗る母親を、子ども用の小さな自転車で追いかけたことなど、果たしてあったろうか。

 なかった気がする。娘とも息子とも自転車で出かけたことなどない。

「危ないから、自転車にあまり乗ってほしくない」

 などと思っていたものだ。それこそだ。

 なにか、とても大事な経験をせずにきてしまった気がする。お義母さんの背中をみながら、お嫁さんの目には涙がたまっていた。


「おじいさんがよくそんなのやってた!」

 広くはない自転車屋さんの店内を通り抜けて通りにまで聞こえたおばあさんの声だった。店内にいたお嫁さんは目の周りをこすっていた、思ってもいないほど大きかったおばあさんの声に、恥ずかしさを噛み殺すような笑顔で。自転車に乗ると目が乾くのだ。 

 

 土曜日。起きて外をみるなり。

 障子を開けて空をみる。気持ちのいい朝だった。残暑とはいわないが、少し暑いかもしれない。三十度まではいかないが、二十五度は超えるだろう。

 掃き出し窓を開けて庭をみる。やはり、愕然とする。そこはまるで草原のよう。緑の草原に大きな木が一本立っている。そんなCMなのかドラマなのか、ワンシーンが浮かんできた。目いっぱいの緑が海のように波立ち、木の梢がさわさわと鳴る、爽やかな風に目を細め……、ている場合ではない。

 この週末で、

「やっつけちゃわないと!」

 今日は、おじいさんとやりたかったことをやってしまわないと。草むしり、その前に、もう一つ。

 朝ご飯をいただき、午前十時にはまだならない。

「ちょっと、出かけてきます」

「あれ、おかあさん、出かけるんですか」

「ええ」

「外所さんとこですか」

「はい」

「自転車、気をつけてくださいね」

「ええ、ありがと」

「お昼には、帰ってくるんですか」

「ええ」

「わかりました、気をつけて自転車乗ってくださいね」

「はいはい。いってきますね」

 おばあさんは立ったまま靴を履き、玄関を開いて、外に出ていく。

「あ、スマホ持ちましたか」

 おばあさんは一瞬考えて、手提げ鞄の中をみて、

「だいじょぶ、持ってます」

 おばあさんとお嫁さんの視線が合い、笑顔で一つ頷き合う。

「いってらっしゃい」

「はい、いってきます」

 玄関のドアが静かに閉まると、お嫁さんの元には家の中の音が虫のように這い寄ってくる。

「はぁぁ」

 と大きく溜息を吐いた。お姉ちゃんは高校三年生、弟は中学三年生。それぞれ受験生である。なのに、あの子たちは……。リビングのテレビの音量が大きい。そこにいるのは。朝ご飯が済んでもリビングでだらしなくテレビをみているのは。

 やれやれ、と首を振った。わたしもどっか出かけようかしら、自転車で。

 なにか、違和感を感じていたが、むしろ今日がいつものお義母さんだったといえるのだろう。昨日がちょっと変だった。変ということはないが、いつもと少し違った。今日は普段のお義母さんだった。どこか目を合わさないような、どこか避けるような……。最後にお義母さんと頷き合った。何かを確認したかのように。何を、確認したんだろう……。

 一つ首を傾げると、そこで考えを切り替えた。一番手がかからないのは、結局お義母さんなのだ。失礼ながら。

「はぁ」


 目を合わさない、避けるような。

 それは、お嫁さんの勘違いだ。おばあさんとお嫁さんは、そんな関係ではなかった。もしそういう関係だったというなら、それは最近、ここ一年のことである。お嫁さんの、おばあさんに対する拭えない罪悪感が、お嫁さんにそう感じさせているのだ。

 お嫁さんは、まだ、自分に課した罪から抜け出せていないのだ。

 

 お嫁さんに嘘をついてしまったことに関して、後ろめたさはある。普段と変わらない服で出てきた。外所さんに対しても嘘をついたことになるのだが。

 それもこれも、お嫁さんを心配させないためです。

 よもや、おばあさんの「目的」に感づいているということはないだろうが。

 それにしても、「スマホ持ちましたか」と聞かれたときには「ドキッ」とした。今までそんなことを聞かれたことはなかった。驚いて声を挙げそうだったのを、なんとかこらえた。

 市役所方面へと続く通りに出る。護国神社に一礼しつつ、前を通り過ぎる。おばあさんは自転車にまたがった。充電はばっちりだ。いつか自転車でいってみようと、考えたことなどなかった、つい昨日まで。

 おばあさんは、観音様へと続く坂道を前にしている。

 おじいさんが待っている。なんとなく、そんな気がしていた。


    〇


「無理なら無理っていっていいよ。そこまで聞き分けがない子どもじゃないからさ」

 東京で暮らす弟から電話がきた。子どもが、この週末こっちに遊びにいきたいといっている、と。弟の子どもは中学二年生。

「だいじょぶだよ」

「俺も女房もちょっと用事があっていけなくて、子どもだけでいかせることになるんだけど」

「だいじょぶだよ、こっちは」

「そうか」

 弟がなにかを飲み込んだ、とても大きくて重そうなものを。小さく吐き出した。

「無理いってないか?」

「こっちこそ気遣わせて悪い。ほんとにだいじょぶだから、タクヤに『待ってる』て伝えてくれ」

 電話は終わる。この兄の奥さんが三ヵ月前の六月に病気で亡くなった。毎年八月のお盆の時期には、弟家族はこっちに遊びにきていたのだが、兄の方で「今年のお盆は静かに過ごしたい」と断ったのだ。

 それから一ヵ月。こういう状況だと「まだ一ヵ月」という方が適当なのかもしれない。弟にもその思いがあるのだろう。

 兄にとっても「まだ一ヵ月」だった。

 しかし、なぜか不思議と、弟から「子どもが」と話がくると「もう一ヵ月」という気持ちになった。

 三日ほど前に弟から『子どもがいきたいといっているんだが』とラインをもらった。それをみた瞬間には「断ろう」という思いが強かった。それこそ「まだ一ヵ月だぞ」と若干の苛立ちを覚えたものだ。

 一晩寝て起きる。意外と悩んだ。悩んだことが意外だった。ラインをもらった十分後には『ちょっと考えさせてくれ』と返信し、一時間後には『すまんがまたにしてくれ』と返信しようと気持ちが固まりかけていたのに、二十四時間後には『了解』と返信していた。

「妻」に、「そろそろ心をオープンにしなさい」といわれた気がした。そろそろ、そういうタイミングなのかもしれない。

 その日その日で暑がっていたのだろうが。振り返るとなにも引っかかるモノがない。暑さを疎んだ記憶がなかった。梅雨の鬱陶しさは、思い出せるのに。

 いつの間にか三ヵ月が経っていた。カビでも生えそうな体たらくの夫に浴びせる、「妻」の嘆きが鼓膜に響くようだった。

 兄は実家で結婚生活を送っていた。数年前に母が亡くなると、それで両親は二人とも鬼籍に入ることになり、実家は兄と妻の二人の家になった。子どもはいなかった。

 その妻も、先に逝ってしまった。わざわざ「広い」と形容するほど広くはないが、四十男が一人で暮らしてみると、そこはやはり「広い」と感じる家だった。

 妻は、大腸がんだった。 


 妻が去年の五月頃から胃が痛いといい出し、近くの病院を受診したが、胃炎の薬をもらって帰ってきた。胃を押してみたり、レントゲンを撮った上でのその薬だった。

 薬を飲むと一時的に楽にはなるのだが、すぐにまた痛くなる。一月ほど様子をみていたが、次第に動くのが億劫だというようになった。玄関を出て敷地内にある車まで歩くのもしんどいといい始めた。そのときには腸の方にも痛みが広がっていた。食欲もなく、嘔吐もたびたび。

 さすがにただの胃腸炎ではない。少し大きな病院にいってCTを撮ってみると。

「大腸がんです」

 ということだった。しかも、その時すでにステージ4。肺や胃などの臓器に転移はみられないが、大腸の近くのリンパ節に転移があり、さらに腹膜のほうに転移が進んでいるということだった。腹膜播種というのだそうだ。

 検査結果の告知の前に、

「誰か、家族の方呼びますか」

 と聞かれたという。一人で「大丈夫です」と答えたが、さすがに、その時点でがんであることは想像がつくというものだろう。妻がいうには、検査が終わった時点で既に「わかっていた」という。

「CTを撮る前と後の女性の看護師さんの態度が全然違ってた」

 そうだ。CTの前は「だいじょぶですよ」と笑っていた看護師さんだが、撮影が終わった後の彼女からは笑顔が消え、明らかに表情が強張っていたという。

「わかりやすいよね」

 と妻は笑っていったのだった……。

 その場では「余命」という話はなかったそうだ。

 その病院にいった時点で「薬を飲んで安静にしていればよくなる」病気でないことは覚悟をしていた。「がん」も頭にはあったそうだが、やはり、実際に医師の口から告げられたときは衝撃を受けた。「がくっ」と項垂れ、暫く言葉を発することができなかったという。

 手術はその病院でもできるが、抗がん剤など術後の治療まで考えると他の病院のほうがいいということで、市役所近くの「総合医療センター」に入院した。

 

 甥っ子は、金曜日の十九時半ころに駅につくということだった。叔父は、駅まで車で迎えにいく。

 車で駅までは十分もかからない。久しぶりにみる夜の繁華街。灯りがまぶしい。懐かしい、というよりも、なにか、

「タイムスリップでもしたような」

 感じがした。自分の生きている時間では妻はこの世にはいない。しかし、今、駅にいる、自分がここにいるこの世界においては妻はまだ生きている。妻が元気な世界。家に妻がいる時間の中にいる。そんな気がしていた。そんな感覚で新幹線を待っている。涙が出そうだった。嬉しくて。 

 甥っ子と会うのは、一月以来八ヵ月ぶりだった。新幹線からジーンズにフリーズ姿の甥っ子が出てくる。

「こんばんわ」

「こんばんわ、おう」

 少し大人っぽくなったな、というおとして言葉を飲み込む。あまりにもこういうときの「テンプレ」すぎて嘘っぽくなりそうだった。顔つきと声が、八ヵ月前とは違うようだ。

 車に乗る。

「まだ夕飯食ってないんだろ。なにか食べたいものあるか」

「めっちゃお腹空いたっす」

「そうか。じゃあ、どうっすかな。焼肉でもいくか」

「はい!」

 やはり、男子中学生に焼肉は間違いない。

「大人っぽくなったな」

 ここでいってしまう。

「そうですか」

「身長伸びたか」

「百七十二です」

「俺とあんま変わらんやん。俺が七十六だから。そのうち抜かれるな。部活はどうなん」

 甥っ子は剣道部だった。

「夏の大会はどうだった? つうか、東京の大会てどういう仕組みなん?」

 よくしゃべる。久しぶりに「身内」と話をしているからだろう。我ながら、面白いほどだ。やはり、受け入れてよかった。

 恐れていた。自分の中の恐れを誤魔化している。魔法が解けるのを。

 甥っ子が前回一人でこっちにきたのは、去年の四月、春休み中だった。あのときも、叔父が運転、助手席に甥っ子。そして後部座席には妻がいた。三人で焼肉食べ放題にいった。

 ルームミラーをみるのが怖かった。車に乗るのがこれほど怖いこととは。

 思えば、あのときもあまり食べなかった。もしかしたら、あの頃から、吐いたりしていたのだろうか。

 やはり、受け入れないほうがよかった……。


 入院後の検査。大腸カメラ、CT、MRI、エコー。結果は予想通り、芳しいものはなし。当初の見立てに間違いはない。

 見舞いにいくと、妻の傍らの点滴スタンドには常に三つか四つの袋がぶら下がっていた。食事は流動食。栄養は大きな点滴から注ぎ込まれる。

「トイレが近くて仕方ないの」

 と、夫の方にスッと紙を差し出す。トイレにいったら用紙にチェックを入れる、トイレチェックシートだった。それによると、日中は二時間に一回はトイレにいっている。

「うんちだって、もう水なんだから」

 嬉しそうに夫に報告するのだった。

 看護師さんから動くようにといわれていた。トイレにいくにも、病室の外に出るにも、点滴スタンドと常に一緒だ。点滴の量をコントロールする機械もくっついている。ベッドを離れるときは、電源を抜いて移動する。バッテリー式だ。

 病室は病棟の八階、最上階。見晴らしは抜群だった。自動販売機のある休憩スペースにはよくいった。

「ちょっと太ったんじゃない? 自転車乗ってるの?」 。

 夫は趣味で自転車に乗る。妻もときどき付き合った。「太った」とは、皮肉だろうか。

 確かに自転車には最近乗ってないが。確かに運動不足ではあるが。

「最近乗ってないんでしょ。また観音山二周しないと」

俺がスタンドになろうかな。

「え?」

 恥ずかしいから、聞き返さないでくれよ。

俺がスタンドの代わりに点滴持とうかな。

「なにいってんの?」

 一回目で聞こえていたのだ。妻のにやけ顔が。

そうすればずっと一緒にいられるだろ?

「ばかじゃないの。気持ち悪い」

 視線と視線が重なると、妻は先に視線を窓の外に動かした。七月に入って一週間ほど経つ。まだ梅雨は明けない。曇り空だったが、雨は降りそうにない。

 視線の合わない妻を、夫はじっと、むしろ無遠慮にみる。細い。妻の首の細さ。骨と皮、「だけ」とはいいたくない。簡単に折れてしまいそう……。

あのうちさ、幽霊が出るんだよ。

「はあ? ばっかじゃないの」

 声は前と変わらない。言い方も。音の強さ、イントネーションも。

ホントだって。夜中に足音とかするんだって。

 ほんとなんだって。それでなかなか寝付けないんだって……。

「きみさ、ときどきヤバイよね。今の録音して会社の人に聞かせてあげればよかった」

 夫婦は職場結婚だった。妻は結婚しても仕事続けていた。いた。

「しっかりしてよね、女子社員の憧れの的なんだから。あんまり変なこといわないでよ、まったく」

 毎日お見舞いにはきていた。仕事が終わった後、ときには、出先の行き帰りの途中でも。職場には許可をもらっていた。理解のある職場のみんなにはほんとに感謝している。しているが……。

 そろそろ帰らなければならない。

じゃあ、また明日くるよ。

「きみさ」

ん?

「会社辞めるなんて、考えてないよね」

 きみさ。それは、彼女と付き合っていたころの呼び方。結婚して家に入るとき、さすがに両親の前で夫のことを「きみ」とは呼べないということで封印していたのだ。

 両親が亡くなってからも、妻は夫のことを「あなた」とか「タケル」と名前で呼んでいた。「きみさ」と再び呼び始めたのは、病気がわかってからのことだった。

「あなたが元気になれば、元気になるなら、そんなこと考えなくて済むんだけど」

 いえるわけもなかった。

 病室のベッドに妻が横になったのを見届けて、じゃあ、と病院を後にした。

 外に出ると、湿気を含んだ空気が体にまとわりつく。まったくもって人をイライラさせる蒸し暑さだった。

 抗がん剤治療のため、人工肛門などの手術をした。術後の回復具合をみて、七月半ば、いったん退院することになった。

 それは、妻の希望でもあった。

「きみが寂しくて寝付けないっていうからさ」

「そんなことは」

 いってないけど。わざわざ幽霊の出る家に戻ってくるとは、妻も物好きな人間だ。

 妻が家に戻ってきた翌日、梅雨が明けた。


「食ったなぁ。もう食えねぇわ」

 家の灯りがついたなり、叔父が口を開いた。聞かせる相手がいるというのは、やはり悪くないものだ。

 甥っ子は流石の食いっぷりだった。自分が中学生のころもあんなに食べたんだろうか。みてるこっちが気持ち悪くなるほど……。

 甥っ子の荷物はリュックが一つ。その荷物をリビングに置くと、甥っ子はそそくさと奥へと入っていく、かつて両親が使っていた部屋に仏壇がある、妻の仏壇が。甥っ子はまず仏壇に挨拶したのだった。正座をして手を合わせ、チーン、鉦の音が部屋に染み渡った。きれいな正座姿だ。さすがは剣道部。

 リビングのソファにかけてテレビをみていた。お風呂の準備はできている。

「いきなりきて、迷惑だったすか?」

「いや、全然」

 二時間ほど前は「迷惑」と思いかけていたくせに。

「どうしても、アキラさんに挨拶したくて」

「おまえ」

 先の仏壇に手を合わせたことといい、弟はいい父親をしているようだ。金曜の九時過ぎといえば映画だ。お得意のジブリだが、今日は。

「ありがと、あいつも喜ぶよ」


 妻は「アキラ」と呼ばれることを嫌がった。

「強そうじゃん。凄い超能力者とか、暴走族の親衛隊長とかみたいで」

きみだって、二毛作くんとは呼ばれたくないでしょ、といって「くすっ」と笑った。ただ、職場の同僚や友だちはほとんど「アキラ」「アキラさん」と呼ぶ。少し困惑気味の彼氏に、彼女は、

「好きな人からは、違う呼び方して欲しいじゃん」

 そういって恥ずかしそうに笑った。

 アキ、キラ。

 おい。おまえ。

「ぶん殴るわよ」

 じゃあ、「アキさん」で。

「それはちょっとなぁ。なんか秋山幸二みたいじゃない」

 じゃあ「アキちゃん」かな。

「『ちゃん』づけはやだ」

 結構わがままだな。同僚や友だちとしての彼女には表れない一面だろう。これも、「好きな人」にだけみせる、彼女のパーソナルな顔だった。

 結果、「アキ」と呼ぶことに落ち着いたのだが、夫は「アキさん」と「さん」付けで呼ぶことが多かった。


 二人が風呂に入り終わると、十時半を回る。

「ほんとに、迷惑じゃなかったすか?」

「ん?」

 と、今度はすぐに否定しない。小学生の頃はむしろタメ口だったのに、中学生になったら一応敬語で話すようになる。

 しつこい、と思う。弟といい甥っ子といい、何度も何度も同じことをいってくる。一瞬「ムッ」とした。実際に会って話をしている甥っ子がこうして聞いてくるということは、恐らく、甥っ子が感じるモノがあるのだろう。

「きみは、誤魔化すのは下手なんだよ」

 わかってるよ。わかってるつもりなんだけど。変なところが、正直なのさ。

 会社では「クール」とか「落ち着いている」と思われているらしい。実際、イライラを態度に出してしまうのは、彼氏の彼女にみせる一面でもあった。

「ごめん。全然だいじょぶ。ただ、この家に一人じゃないのが久しぶりで、ちょっと戸惑ってるかもしれん」

 それを世間では「迷惑」と呼ぶ。今夜は、甥っ子にも「一面」をみせてしまっているわけだが。

「学校に好きな子とかいるの」

「いちおう、いますけど」

「もしかして、もう誰かと付き合ってんの」

「はい、いちおう」

 会話は散発的に途切れる。聞き慣れない俳優と聞き慣れた声優の声がどちらも聞こえなくなると、耳慣れたキャスターが見慣れたニュースを読み始める。

「すいません、そろそろ寝ます」

「おう、お休み」

 おやすみなさい、と甥っ子はリビングを出て、階段を上がっていった。ドアが閉まる、小さく音がした、かつて弟が使っていた部屋のドアの音。

「ふううう」

 大きく、吐き出した。久しぶりに、アルコールが飲みたくなる。家を出て、近くのコンビニに向かう。

 情けない姿だった。泣きたくなるほど、情けない。甥っ子にも、みっともない姿をみせてしまった。今はいているこのスウェットの上着だって、アキさんの着ていたものだ。丈がパッツンパッツンで前が閉まらない。上半身が、寒い。


 正月に甥っ子たちがきたとき、妻は家にいた。家の中を歩くことはできたが、かなり痩せてしまっていた。弟家族は日帰りで、その日の昼過ぎには帰っていった。

 弟家族に会って、彼女は楽しそうだった。よく笑った。よくしゃべった。弟たちが帰ったあと、彼女は、

「今日は疲れた」

 と笑顔でいい、そのまま眠った。「笑う」ことは疲れるのだ。笑顔は彼女の眠り顔に暫く残っていた。

 楽しそうな彼女をみて、喜んでいいのかわからなかった。彼女の笑顔をみるのが、声を聞くのが、辛かった。

「もう帰ってくれ」

 何度そう思ったかしれない。彼女が一秒笑えば命が一秒短くなり、一言しゃべれば一秒命が縮まるようで。

 東京に戻った弟から『今日はすまなかった』とラインがきた。弟には、兄の「思い」が伝わっていた。

『こっちこそごめん』

 もっと他にいろいろ言葉を付け足そうと思ったが、なかなか難しかった。説明を、言い訳をつらつらと書いて送ろうと思ったが、難しい。電話をしようとも考えたが、それも難しい。兄は、泣いていた。

「アキさん、ごめん、俺がこんなで、一緒に喜んであげられなくて、ごめん、アキさん」

 涙が止めどなく溢れていた。

 科学の進歩が日進月歩とはよく聞く言葉だ。がんの研究においても当てはまるだろう。

 実際の現場においても、日進月歩とまではいかなくても、治療方法はどんどん進化している。免疫の働きを活用する免疫療法、抗がん剤耐性を持った癌細胞の増殖を抑える適応療法、癌細胞の放出するエクソソームをコントロールして転移を防ぐ治療法により十年後には文字通りがんと共存しながら生きるという選択肢が可能になるかもしれない。

 だから、アキさんには、

「生きよう! 頑張って! あと十年、五年生きれば」

 また違う道が、新しい方法が、できるかもしれないから。

「ありがと」

 妻の笑顔は白い雲のように柔らかく、声は青い空のように優しかった。

 昔から六月が好きではなかった。梅雨が嫌いだ。

 雨が嫌いなわけじゃない。

 青空がみえないから? それは「雨が嫌いじゃない」ことと結局は矛盾する。

 六月が「昔から好きじゃない」と思っているのは、妻が病気になってからできた記憶かもしれない。

 そして、その「記憶」は、きっと、これから一生消えることはない、書き換えられることはないだろう。

 医師から「長くはない」ことを聞かされる。その言葉が虚しいほどに、そのことを夫はわかってしまっていた。

 妻は、細くなった。なんて細い、なんて薄い。

「俺、決めた、アキさんは、俺が殺す」

「いきなり、なにいってるの」

「病気になんか殺させない。アキさんは、俺が、俺の手で殺す」

「ばかね、きみが捕まっちゃうじゃない、それじゃ、わたし、成仏できないよ」

 成仏なんかさせない!

「俺にとりついてくれよ、幽霊になってこの家にいてよ」

「きみが、寝れないんでしょ」

「寝れなくたっていいよ、怒ってくれよ、ばかって、叱ってよ」

「ばか、ね」

 俺が殺すって決めたのに。俺の手で殺すって決めたのに。なのに、妻の苦しそうな顔をみるのが辛い。妻の声を聞くのが苦しい。

「おいていかないでくれよ、寂しいよ、俺、一人じゃ生きていけないって」

「そんなこと、いわないでよ」

 彼女は、夫に最後のお願いをする。

「笑って見送って。お願い。わたしが死ぬときは、最後にきみの、笑顔で、わたしの、大好きな」

 冬の太陽のように暖かく、夏の夕立のように強かった妻は、秋の夜のように清らかに、春風のように清々しく、息を引き取った。


 残された夫には、地獄のように辛い日々が待っていた。死人のように、日々生きていた。

 四月の時点で会社を辞めていた。彼女には「休みをとった」と嘘をついた。

 翌日には「実は」と本当のことをいった。

「ばか」

 と小さく笑った。嘘をつくならつき通さなければならない。彼女に嘘をつきたくなかったというのもあるが、それよりも「辞めて」怒られたかったのかもしれない。「ばか」といわれたかったのかもしれない。

 悲しいことではあるが、彼女の命は燃え尽きようとしている、それが夫にもはっきりとわかる。消えかけた命を前にして不正直に振舞えるほど、夫は賢くはなかった。

 彼氏も彼女も三十代の終わりを前にして初めての結婚だった。

 彼女は、二十代の終わりにも大きな病気を患った。子宮頸がん。転移はなかったが、

「諦める、という言い方は無責任かもしれないけど」

 という前置きとともに、彼女は子どもを産むことを諦めた。彼女は子宮を全摘した。再発や転移などのリスクを考えての処置だった。

そのとき付き合っていた彼氏にも、その後付き合うことになる彼氏にも、何人かに結婚を申し込まれ、

「気にしないよ、きみと一緒にいれればそれでいい」

などといわれたりしたが、結婚には至らなかった。

 そして、彼氏と彼女は結婚する。

 なんで俺とは結婚してくれたの?

「そういうところだよね」

 え?

「もっと自分に自信を持たないとダメだよ。自信ていうのは責任。きみは、全部自分で背負ってるようで、全部他人のせいにしてるの、ダメだよ、それじゃ」

 いわれていることは理解できる気がした。ただし、なにが「結婚の決め手」になったかはわからなかった。後に、

「ノリよ、ノリ。してみたくなったのよ。一回くらいしておきたいじゃない」

 恥ずかしそうな笑顔でそういった。彼女は滅多に照れたりしない。照れた様が、とても可愛い人だ。

 彼女の両親は涙を流して祝福した。それは少しやりすぎだ。彼氏の両親も泣いて喜んだ。

「ぐうたら長男と結婚してくれて、ほんとにありがとう!」

「いいお嫁さんでほんとによかった、ありがとう、これでわたしたちも」

 安心したわけではないだろうが、アキさんが家に入って五年のうちに二人はこの世を去ってしまった。

 彼女との結婚生活は八年ほどだった。大学は県外にいっていたが、地元の企業に就職するために戻ってきたのが二十二歳のとき。基本的には実家から通っていた。十五年間実家で三人で暮らしていた。歳はとってもずっと変わらない生活が続いていた。時間だけが経っていく。そんなはずはないとは理解しつつも、いつまでもこの三人での生活が続くような気がしていた。そんなはずがないのだからと、焦りを持ちつつ安穏ともしていた。

 四人で生きていく覚悟をようやく固めた、五年後には二人になり、八年後には一人になってしまった。

 振り返ると、自分はとんでもないことをしでかしてしまったような気がしてくる。

 アキさんと結婚していなければ、今でも三人で平穏にくらしていたのかもしれない……。

「バカが!」

 一人のリビングで、男は大きな声をあげた。

「情けない」

 情けなくて、涙も出てこねぇ。やっぱり、自分は一人では生きてはいけない。

「アキさん……」

 情けなくて、涙が止まらない。

「だいじょぶすか、おじさん」

 甥っ子が、いつのまにか後ろに立っていた。

 

「だいじょぶすか、おじさん」

「ああ、ごめん」

 テレビは消えている。時刻は夜中の一時を過ぎていた。静かな家だ。

 いや、静かなら、甥っ子がくるのが聞こえたはずだ。時間が流れないはずはない。自分だけが、自分の意識だけが、時間から逃げていたのだ。大事な人を生き返らせることはできない。だったら時間を止めるしかない。離れたくない。忘れたくない。

「すいません、おやすみなさい」

 甥っ子はまた、二階にあがっていった。パタン、ドアが閉まる、音が今度は聞こえていた。

 振り返る記憶、思い出は、泣き顔ばかりだ。情けない泣き方ばかりしている。自分が弱いために涙を流し、涙を流すたびに弱くなる。

 今日また泣いた。辛さに胸を叩かれては泣き、泣いては辛くなる。アキさんがいなくなって、自分はほんとに一人で外に出ることもできなくなっていた。

 三ヵ月。まだ三ヵ月、もう三ヵ月。

 時間は薬にはならない。時間が解決してくれることなどない。時間は決して戻らない。人にとって意味のある戻り方をすることはない。時間の流れに委ねてしまっては、人は老いるだけ。モノは朽ちていくのみ。時間の無情さ、空虚さに耐えきれずに自らの手で自らの未来を切り捨ててしまう人だっている。未来を見出せず、現在に絶望して自ら命を絶ってしまう人もいる。

 時間を進めるためには動かなくてはならない。

 失ったものを埋めるためには、止まってしまった歩みを再び始めるには、自分でするしかない。

 一人、ではない。誰かの助けがいる。つながり、絆。人は一人では生きてはいけない。人は一人では、生きてはいない。

 誰かがいる。誰かはいる。

 今日、甥っ子がきた。受け入れたのは自分だが、

「これもアキさんが……」

 なんでもかんでも亡くなった妻に頼ったのでは、疲れの溜まる肉体を失ってなお疲れが抜けないというものだ。

 きっかけが欲しかったのだ、自分に。動き出すための。

 そのきっかけを中学二年生に求めるとは、四十半ばのおじさんが、なんとも情けない……。いや、年齢は関係ない。なんなら、生き死にだって関係ない。人は一人ではない、それは、死んでしまったとしても、そばにいるから。誰であれ「一人」の中の一人なのだ。

 叔父は二階に上がっていった。

「タクヤ、明日、午前中から付き合ってくれるか。ちょっと、いきたいところがある」

 特に返事などはなかったが、叔父はそこで一階へと降りていった。


 予報に違わずいい天気だった。巻雲が青空に流れる。空が高かった。気温は高いが、空には既に秋の先っぽがみえている。

 二人の乗る車が坂道を登る。観音山を登る坂道を。「羽衣線」とは、きれいな名前をつけたものだ。坂道を登りきった左側に有料駐車場がある。そこに車を入れた。


「叔父さん、がんばって!」

 甥っ子の声援を受けて、叔父の乗るロードレーサーが駐車場から離れていく、レーサージャージとレーシングパンツに身を固めた、叔父もすっかり戦闘態勢だ、身なりだけは。

 駐車場を出て左手に進むと、道は下る。ぐるっと回り込むように下ると、道は和田橋通りに合流する。観音山の入口、羽衣線の入口である。さあ、ここからが本番、スタートだ。

 登り始めると、左手に高崎の街並みが開ける。懐かしい光景だ。久しぶりにみた。前に登ったときは、妻がまだ生きていた。ただし、そのとき既に「元気」ではなかったのかもしれない。カーブを曲がると、街並みは消える。そうだ、こうだった、この景色、やはり懐かしい。

 一周目。早くも一番軽いギアを使う。足もかなり使っている。

「叔父さん、すごいすごい! 頑張って!」

「おう」

左手を軽くあげて応える。あいつ、あんなに声が出るんだな。声の大きさではなく、こういう場所でも。やっぱり「イマドキ」だな。二周目に入る。この下りでどれほど回復するだろうか。

 和田橋通りに出て観音山を正面にみる。反対側の歩道で自転車を押す女性が護国寺に向かって頭を下げたようにみえた、わたしが今日やり遂げられることも祈ってくれると嬉しい。二度目の登りに入る。緩みかけた気持ちと足に渇を入れ、ギアを軽くして腰を浮かせた。怯むな。

 懐かしい街並み、懐かしい坂道、懐かしい……。ここはまだ「懐かしさ」の途中。登れ、漕げ、ペダルを回せ、アキさんが元気なあのときまで! あのときの自分はこんなとこではへばってなかった、まだ戻りきれていない、漕げ、回せ、登れ。

 登った、二回目。さすがに、しんどい……。

「叔父さん、がんばって! あと一周だよ!」

 甥っ子の声援に、左手をあげて応える。さあ、もう一周、いこう。

 ヘロヘロだった。もう力は残っていそうにない。

 でも、止めようとは思わなかった。甥っ子がいるから。

 一人だったら止めていたかもしれない。実際、今日じゃなくて来週にしようかとも考えた。来週、一人でこようかと。

 誰かに見届けて欲しかった。「お目付け役」ともいえる、途中で逃げ出さないための。

 今はまた違うことを思っている。

 甥っ子は、いうなれば「現実」だった。久しぶりに自転車で観音山を走ると、懐かしさがあっという間に包み込んでくる。妻がいた「あの頃」に入り込む。「妻がいる」と思えばその時間に浸ることは簡単だった。

 甥っ子がいなければ、なおのこと。

 甥っ子が声援をくれる。甥っ子の声は、まさしく背中を押してくれた。周回というのは象徴的過ぎたかもしれない。この三ヵ月、叔父が閉じこもっていたループの象徴。進まない時間の中で生きていた、繰り返される時間の中で生きていた。ブラックホールからは光さえも逃れられない。

 光さえも飲み込むブラックホール。というのは、飲み込まれた光の話。ブラックホールを外からみると、光はブラックホールの表面にくっついているようにみえるそうだ。そこでは時間が止まるから。

 夫が囚われていたのは、妻なのか、妻の死か。どちらも同じことだ。大きな星が死ぬとブラックホールになる。妻が死んでブラックホールになり、そこに夫が囚われた。

 文字にすると、陳腐ではある。

 さらに陳腐なことがいえる。光はブラックホールから逃げ出せない、しかし、人は違う。そこから前に進むことができるのだ、ブラックホールの引力から抜け出して、飛べる! 一人ではないことに気づくことができれば! 甥っ子の声援があれば! 

「ふっ」

 と叔父は笑みを浮かべる。きざったらしく。彼女がみたら「バカ」といわれそうだ。

ああ、いた、みえたよ、アキさん、そんなところにいたのかい、俺は戻ってきたのかな、きみが生きてたあの頃に。

アキさん、もう一度会いたいよ、もう一回叱ってくれよ、もう一回話がしたい、もう一回、もっともっと、笑いあいたかったよ、アキさん、アキさん。

「きみに看取って欲しいって、思ったのかもね。なんとなく、そんな予感がしたみたい」

彼女が亡くなる少し前、彼女はそういった。掠れた声で、弱弱しい声で、わざとそんな聞き取りずらい声を出しているんじゃないのかな、きみは、そういう告白が苦手だったから。

まさかこんなに早くそのときがくるとは思ってなかったけど。そう、聞き取りずらい声でいうと、にっこり、笑った。

「ごめんね」

 笑いながら、謝った。

 情けない俺を心配させないように、彼女はいつも笑顔だった。なのに俺は、いつも冴えない顔で変なこといって、きみを困らせて。いまだに「叱られたい」なんてバカなこと思って。ほんとに情けない。きみのために、きみの最後の望みも叶えてやれなかったよね、ほんとにバカだったよ。

「ごめん」

 今さら謝ったって遅いのに。今ごろ謝ったってしようがないのに。今ごろ泣いたって、今ごろ腹を立てたって。今ごろ、今さら……。

 これっきりだ。もう、これっきり、今日で。

「じゃあね、アキ」

 もう振り返らないから。過去に戻ろうなんて思わない、きみを思って泣いたりしない。だから未来で、また会おうよ、もう泣き顔をみせたりしない、きみが「好き」だっていってくれた笑顔をたくさんみせるから……。

「叔父さん、もうちょっと! がんばって!」

「いけぇぇぇ!」

 それは声にもならず、叫びにもならず、音にもならなかったかもしれない。

 男は、登り切った。観音山を三周、止まることなく走り切ったのだった。

 車のとこまで、ふらふらしながらたどりつく、自転車が倒れそうなのを支えて足を出した、そこでとうとう自転車は止まった。「ふうう」大きく息を吐きだした。

 新たなドアを開けた! 今までの日常と決別して新しく生まれ変わることができた!

 なんていう達成感は意外にない。全身が震えるようなのは、やり遂げた喜びではなく、たんなる疲労からだ。この疲労すら、懐かしい。

「しかし」

 休んでいる場合ではない。動くこと。動くことを止めない。動くことで時間は進むのだから。

「タクヤ、一緒にきてくれ」

 自転車を駐車場を囲む柵にチェーンロックで縛り付け、甥っ子を伴って今登ってきた坂道を下った。 

 二週目の登り坂の前にみた女性、護国寺に向かって一礼した女性がいた、「そんな雰囲気」を感じたが、まさか本当にやるとは!

 三回目の坂の途中に、自転車を押す女性がいた、間違いない、あの人も、自転車で「挑戦」したのだ!

 わたしの無事を祈ってもらうどころではない。チラ見の印象では、自分より年上、いや、自分の母親と似たか寄ったかの年齢にみえた。とんでもない精神だ。たかだか四十半ばの自分が達成感を感じない理由がわかるというものだ。満足している場合ではない。上には上がいる。

 その上が、

「いた」

「おばあさん、自転車でここまできたの!」

 甥っ子も驚く。おばあさんは、止まっていた。動けない、といった様子だ。かなり疲れているのだろう。

坂道の三分の二ほどの場所でもある。叔父が声をかける。短く話をすると、叔父は一人でまた坂道をあがっていく。ほどなく、下ってきた車がおばあさんから少し下りたところにハザードを出して止まった。おばあさんと甥っ子は、カーブのすぐ入口で待っていたから。注意深く、叔父が二人の元へいき、左右を慎重に確認して、車の後部座席に乗せた。

ハザードが消えて、右ウインカーが点滅、動き出す、消える、車が走り出すと、甥っ子はおばあさんの自転車に乗って、坂道を下っていった。


残暑というほどではないが、気温は高めだったから、軽く熱中症気味だったかもしれない。帽子もかぶらずに出てきたのはよくなかった。買っておいた水のボトルを一本渡した。おばあさんの道案内で家まではすんなり到着した。意識ははっきりしているようだ。少し休めば回復するだろう。おばあさんの家の向かい側の路肩に車を停めさせてもらう、進行方向上仕方なし。住宅街の中の道路という感じでセンターラインもないが、車はすれ違えるほどの広さではあった。長居するつもりはない。甥っ子が着いたらすぐに帰ろう。甥っ子も、迷わずにつけるはずだ。この家には、文字通り大きな目印がある。

家の庭に、大きな柿の木があった。広く梢を広げた柿の木が、庭に立っていた。


   〇


九月のある土曜日の昼下がり。この柿の木を庭に植えたのは結婚したすぐ後だったから、もう四十年以上になる。この家の庭で家族をずっと見守ってきた。家族の成長も、老いも、見守ってきた。そして死も。少なくとも、おばあさんまでは「見守って欲しい」。

その柿の木の影の中で四人が地面をはいつくばっている。草むしりをしていた。おばあさんの息子、そのお嫁さん、午前中に観音山で出会った叔父と甥っ子。おばあさんは、縁側に腰かけている、庭を眺めている、おじいさんが生きていた頃と同じように、柔らかい表情で。

おばあさんも「やります」とはいっていたのだが。

「おかあさんは、そこにいてください。そこがおかあさんの場所ですから」

 お嫁さんにいわれたのだった。

 お義母さんの体調を気遣ったわけではなかった、お嫁さんは。庭におりて作業してるお義父さんを縁側からお義母さんが眺めている、この景色に、いつからか安らぎを感じるようになっていた、お嫁さんは。「理想の家庭像」であり、またなぜか「懐かしい光景」であった、お嫁さんにとって。

 庭がずっと気になっていた。おじいさんが亡くなって手入れをする人がいなくなった。お嫁さんが手を出していいものか。ずっと悩んでいた。お嫁さんからお義母さんに「草むしりしましょう」や「わたしが草むしりしますよ」とは、言い出せない。旦那にも相談した。

「もうちょっと、待ってみよう」

 という、としかいわない旦那に不満を覚えつつ、それ以外にしようはないということに納得もした(「旦那に不満」というのは、その発言に対してではなく、その人に対しての不満であろう、恐らく)。

 おじいさんが亡くなって庭の手入れをする人がいなくなった。庭が荒れていることが気になったわけではなかった。その庭を、おばあさんがどう思っているか、それが問題だった。それが知りたかった。荒れた庭が、お嫁さんには気になっていた。

 おばあさんが、知らない人の車で送られてきたのは驚きだった。その理由を聞いてさらに驚いた。ショックだった。思わず両手で口の周りを抑えていた。

「ごめんなさい。黙ってこんなことして」

 というおばあさんの謝罪がなかったら、恐らく奥にさがって泣いていただろう。

 おばあさんが先に話してくれたことで、お嫁さんは、お客さんに泣き顔をみせることも、震える背中をみせることもせずに済んだ。お嫁さんは、足の力が抜けて、玄関先の床に腰をついてしまった。顔全体を手で覆い隠して、肩を震わせて。


 この家の前について、柿の木をみたとき「ピン」ときた。

「もしかして、外所さんの友だちの」

 おばあさんは「きょとん」とした顔で男をみる。

「わたしは、外所さんの隣の家のもので」

 いつも外所さんに柿をおすそ分けしてもらってるんです、というと、おばあさんは、

「あら、そうなのね」

 と、硬かった表情がいきなり崩れたのだった。

 おばあさんを先にして家の中に入るとすぐ、自己紹介もそこそこで娘さん(あるいは義娘さん)と思われる女性が、その場で泣き崩れてしまった。

「わたしはこれで失礼します」

 と慌てて家を出た。甥っ子は無事にここまでこれるかな。スマホを取り出してみる。問題ないことは、わかっているのだが。

「あ、叔父さん」

 すぐに自転車に乗って顔をみせた。

「おう、ありがと。だいじょぶだったか」

 自転車を、とりあえず玄関の近くにとめて。「帰るぞ」と甥っ子の背中に手を添えた。甥っ子が不思議そうに叔父の顔をみたのは、まずは正しい。

 車動かすからちょっと待っててくれ、と甥っ子に話したとき、後ろから、

「待って!」

 と呼び止められる、この家の人であることは当然なのだが、びっくりはした。車は向かいの家の塀際にピタリと寄せられていたので、甥っ子が助手席に乗ることはできない。甥っ子が「後ろに」といったそのときだった。振り返ると、娘さんだった。そこはこの家の敷地の内側と道路のちょうど境目のあたり、ただし道路には出ていない。

「ほんとに、ありがとうございました。なんてお礼をいったらいいか」

「いやいや、全然、気になさらないでください」

 努めて笑顔を作ったつもりだが、どうだったろうか。外所さんからいつも柿を頂いている。そのお礼が漸く少し返せたというものである。叔父が、

「外所さんに」

 といったそのとき、 

「お昼食べたら、草むしりをしなくちゃね」

 娘さんの後ろにおばあさんが立っている、おばあさんは横を向いている、おばあさんの顔の向く先をみる、と、柿の木、よりも前に、草ぼうぼうの庭が目に入った。おばあさんがその様を嘆いて、

「このままじゃ、実がならないかもしれないわね」

「それは」

「えぇぇ」

 叔父と甥の言葉が重なった。その次の言葉は、完全に甥っ子に先を越された。

「僕も手伝います」

 叔父は、甥っ子の頭を「ポンポン」と叩こうと思った、実際叩いたのは肩だった。

「僕らも、草むしりを手伝わせてください」

 改めて。自分が、おばあさんの友だちの外所さんの家の隣に住むものだということ、毎年秋に外所さんから柿をいただいていること、弟が東京に住んでいてその弟のところにも柿を送っている、その弟の子ども、要するにこの「甥っ子」がその柿が好きで毎年楽しみにしていることを、娘さんに話した。

 大人らしいところを、甥っ子にみ

せられて「ほっ」とする叔父だった。

「おかあさん」

 どうしましょうか。

「ごめんなさい、わたしが」

 変なこといっちゃったから、でも。

「ほんとに、やりますよ、なあ」

「やります、全然やる、柿食べたいし」

「おい」

 と、叔父は声には出さなかったが、そのセリフに思わず苦笑い。

 おばあさんと娘さんは少し考えたが、その時間は長くはなかった。

「じゃあ」

「いいですか?」

「はい」

「はい!」

 話がまとまった。四人が四人それぞれの気持ちが決まった瞬間だった。家の中から男性が姿を現したのは、ちょうどこのときだった。空気に浸れない男性は、とぼけた顔で四人をぼんやりと眺めるだけである。


 叔父の家からおばあさんの家までは、自転車で十分ほどである。叔父は自分の自転車、甥っ子は、かつて叔母さんが乗っていた自転車に乗って。

 雑草を一つ一つ手で引っこ抜いていくのは骨が折れる。すぐに汗が額に浮いてきた。

「叔父さん、ちょっとこれ、抜けない」

「ん? どれ」

「草むしりも、けっこうしんどいな」

「いつもお義父さんに任せきりだったでしょ。手動かして」

 それぞれ首に巻いたタオルで汗を拭きながら。

「みんな、あんまり根詰めすぎないでね。休みながらで、いいんだから」

 おばあさんの声に梢が「サワサワ」とこたえた。風が爽やかだ。滲んだ汗を清涼感に変えてくれる、おばあさんの声と風のお陰だ、そんな四人を太陽から隠してくれる柿の木のお陰だった。

「がんばって、みんな」

「わたしもやろうかな」

 おばあさんに背後から声をかけた、そのまま庭に下りた。柿の木の影の中にもう一人加わった。おばあさんの孫のお姉ちゃんだった。


 午後三時。縁側に六人が腰かける。縁側に六人は、さすがにこの縁側にとっても初めての経験であった。麦茶と洋菓子屋で買ってきたシュークリーム。庭仕事中のおやつの、なんと美味しいことだろうか。大勢で食べるおやつの、なんと美味しいことだろう。

 お義父さんと、こうしてみんなでおやつを食べたかった。

 お嫁さんは、しみじみと思ったのだった。涙がうっすらと浮いていた。旦那と娘は、気づいていた。

「おやつ食べたら、わたしもやらしてもらうわよ」

 おばあさんが、笑顔で宣言した。


 午後五時。

「すっかりきれいになったわね。みんな、ご苦労さまでした」

 お疲れさまでした。棟梁に頭を下げた人たちは、このとき一人増えて六人になっていた。弟くんが合流していた。おばあさんをいれて全部で七人が、草むしりをしたことになる。

「ほんとにありがとうございました」「いえいえ、こちらこそ」「母を送ってもらった上に草むしりまで手伝ってもらって」「いえいえ」「ほんとにすいませんでした」「いやいや、これで今年は柿がいつも以上においしく食べられます、あ、これじゃ催促してるみたいだな」

 ははは、ふふ、あはは。

「東京ドームいったことある?」「あるよ」「何回くらい?」「何回くらいだろ、年に三回くらいはいくかも」「マジかよ、いいな」「岡本のサイン持ってる」「ヤバ、エグ」「今度もらったら、あげるよ」「欲しい!」

 おばあさんと息子、叔父が話をし、甥っ子と弟くんはすっかり仲良くなったようだ。お姉ちゃんはすでにその場にいなかった。お嫁さんは、一人感慨深そうにその光景を眺めていた。

 午後七時前。台所でおばあさんとお嫁さんが夕飯の支度をしている、そこに、

「お母さん、おばあちゃん」

お姉ちゃんが入ってきた。祖母と母にみつめられて、お姉ちゃんは少し俯いている。

「おじいちゃん、すぐ気づかなくて、ごめんなさい」

「ごめんなさい」が震えていた。俯いているお姉ちゃんの両目から、すぐに涙が流れ落ちる。

「わたしがトイレで、すぐに気づいて救急車呼んでたら、おじいちゃん、おじいちゃん……」

「あらあら」

 おばあさんが、お姉ちゃんの頭を抱きかかえた。

「ごめんね、おばあちゃん気づいてあげられなくて」

 ごめんなさい、ごめんなさい、お姉ちゃんの口から出る言葉はほとんど聞き取れないが、気持ちは十分に読み取れる、十分に。鼻をすする音は、一人ではなかった。

「ごめんなさい。わたしがもっと注意してたら、トイレから出てこないこと、もっと早く気づいてたら」

「あら、お嫁さんまで。困ったわね」

 庭をみるたびに。おじいさんが亡くなったことに責任を感じてきた。雑草に覆われた庭、まるでおじいさんの呪いであるかのように。いいや、おじいさんはそんな人ではない、それはわかっている。

 おばあさんの呪いだった。おばあさんがあえて庭を放置している、荒れた庭をお嫁さんにみせるために、お嫁さんを責めるために。まるで拷問のように。

 その拷問を、自分は受けなければならないと、お嫁さんは覚悟していた。自分の責任だった。自分がもっとしっかりしていればおじいさんは死ななくても済んだ、自分はおじいさんのことをいい加減に思っていた。大事にしていると思っていたけど、それはただ、そういう「ふり」をしていただけだった。

 結局、おばあさんに対しても不信感を抱いていた。

 口にするのが怖かった。おばあさんは「全然そんなことを思っていない」としても、お嫁さんがそれを口にすることによって、おばあさんがその感情に「気づく」かもしれない、ということが。

 お嫁さんは、ずっと一人だった。ずっと抱え込んでいた。

 おばあさんが自転車に乗るといったとき、お嫁さんは嬉しかった。自転車の横に立つおばあさんをみたとき、嬉しかった。おじいさんがおばあさんにあげたあの鍵は、お嫁さんが買ってきた、おじいさんに頼まれて。あの日、自転車の鍵に鈴を結び付けたときのおばあさんの嬉しそうな笑顔、お嫁さんも嬉しかった、声を出して飛び上がりそうなほどに……。

 きれいになった庭。自分たちできれいにした庭。今日しかなかった。

お姉ちゃんもそう思っていた。お姉ちゃんもずっと抱えていたのだ、一人で、今日までずっと……。

「みゆきさんもお姉ちゃんも。そんなこといわないで、泣かないで、ね。おじいちゃんも悲しくなるから。あの人ほんと、困った人、死んでからも女を泣かせるなんて」

 ほんとにごめんなさ……、え?

「あの人ね、子どもが生まれる前は、それはろくでもない男だったのよ、ほんとに困った人でね」

 ほんとに? いや、いまそれいうかな?

「信じられない」

「嘘ですよね」

 泣きながら笑うというのは、意外に簡単だ。悲しみの涙が嬉し涙にすり替わる。楽しさが寂しさに取って代わる。涙は心の汗だと、いうときがある。泣くとすっきりする。吐き出して空にするということ。

「わたしと結婚するときに、三人の女と別れたのよ、四人だったかしら」

 嘘だよ、あのおじいちゃんが。ありえない。

「男なんてね、見た目に騙されたらだめよ、紳士なのは付き合うまでよ、一晩でくるっと変わるんだから、惚れたほうの負けよ」

 逆に、涙が心を染めることもある。悲しい涙が心を悲しく染める、嬉しい涙は心を喜色に染める。


 リビングでは。

「腹減ったなぁ、飯なんだろ」

「おい! いくな!」

 父親が台所に向かいかけた息子を止める、その表情は、息子が思わずたじろぐほどだった。

 台所で、いったいなんて話をしているのだろう。祖母、妻、娘、三世代の女性が集まることがどれほど恐ろしいことか、息子で旦那で父親は痛感するのだ。

「もう少し待ってなさい、ここに座って」

「また部屋でゲームしてこよ」

 父と息子の、その絆の薄弱なことを思い、父は涙した。


日曜日、夜。

「じゃあね、叔父さん、また」

「おう、またな、いつでも遊びにこいよ」

 新幹線のドアが閉まる。二十時七分、定刻通り、東京行きの新幹線がホームから流れていく。

 日曜の夜、混雑しているわけではないが、ホームに人はそこそこ多かった。電車が出た後もホームに残る人が多いと思ったのは、日曜だからだろうか。日曜の新幹線に乗ることなど仕事をしていたときもほとんどなかったから、比較のしようもないのだが。

 ホームは嫌いではない。夜の駅は、嫌いではない。人を見送った後、新幹線がみえなくなった線路、余韻に浸る心。嫌いではない。

不思議と郷愁をそそる。「郷愁」とは故郷に寄せる思いだ。叔父の故郷はここ高崎で、今まさにいるところが高崎駅なのだから「郷愁」というのはおかしいのだが、今このホームで佇んでいると、「帰りたい」あるいは「帰ってきた」という思いがこみ上げる。本来であれば「懐かしさ」なのだろうが、「懐かしい」という言葉は昨日散々使ったので、ここでは使いたくなかった。

 別れとは常に切ないものだ。それでも、甥っ子とは「また会える」と思えばこそ、その切なさに浸ることもできるというもの。ベルが鳴り電車発着の放送が流れてくる。駅にくるとこういう気持ちになるのはなぜだろうと、叔父は不思議に思うのだった。

 不思議に思う。一昨日ここにきたときは、「妻が生きている世界」にいるような感覚に浸っていた。現実逃避以外の何ものでもない。

 自転車で観音山を登った。一つの区切りにしようと思って登ったのだが、それがここまで気持ちの変化を引き起こすとは思っていなかった。期待していなかった。妙にすっきりしていた。思い返せば、妻が亡くなってからの三ヵ月は三日の中をぐるぐる回っているような感覚だった。甥っ子がきてからの二日間は、その二日の中に二ヵ月分の時間経過を経験したような感覚。三ヵ月間、漆のような粘り気を持っていた感情に絡めとられていた、

「それじゃ向こうがこっちを縛り付けていたみたいな言い方だぞ」

 自ら抜け出せなかった、抜け出さなかった、その粘りから抜け出したくなかった。

 それが、甥っ子に会って話をして自転車に乗って今日は、さらさらとした粉のように、手を入れると心地よく包み込む、動かすと指の間をすり抜けていく。自分が欲しい分だけ手に取ることができ、欲しい分だけつかみ上げることができた。

「にいるような感覚に浸る」ことはなく、「妻のいない世界」に浸ることができるようになっていた。現実を受け入れることができた。この現実を生きることができるようになった、ような気がする。ような感覚に……

 車のルームミラーから駅をみたとき、謝ろうとした、アキさんに、謝罪の言葉を心で唱えようとした、でも止めた。代わりに息を一つ吐き、笑ってみた。

「腹減ったなぁ」

 甥っ子には駅弁を持たせたのだ。新幹線乗る前にどっかで食べようと、叔父は思っていたのだが、甥っ子は「駅弁食べた」かったそうだ。その気持ちはわかる。駅弁にノスタルジーを感じるのも、不思議なものだ。

イギリスで時刻表を用いて営利事業として鉄道事業がスタートしたのが今から百九十年ほど前。たかだか百九十年で「鉄道=郷愁」が人のⅮNAに刷り込まれたのか。それが考えにくいとすれば、鉄道とは人間の遺伝子と結びついてある感情を呼び起こす、人類史上に稀有な発明ということになる。

 なんと大袈裟な。

 馬鹿なことを考えると腹が減る。今宵はラーメンを食べることにしよう。

「ああ、仕事探さないとな」

 半年間、家と「自分」に閉じこもっていた四十半ばのおじさんを雇ってくれる会社が、すんなりみつかればいいけれど。


「おじいさん、今年も美味しい柿がたくさんできましたよ」

 おばあさんが柿の木をみながら笑っている。

 きれいな庭に立つ柿の木に、実はもうほとんどついていない。葉っぱに隠れてみえないところに二つ三つ残っているだけ。鳥たちにあげる最後のお裾分けが、残っているだけ。

 程よく乾いた秋の日差しが街に降り注ぐ、十月のある日のことである。

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