第9話
『ちゃ、つめたい。はじめて』
「そうか。そういや、イギリスでは冷たい紅茶は飲まないって聞いたことがあるな……」
修行時代、イギリスには冬の間に何度か足を運んだことがあるのだが、夏場でも店や家で冷たい紅茶やコーヒーを出すところがないと聞いた。彼らからすると、「紅茶は熱いもの」だそうなのだが、彼女がいた世界でも似たような感じなのかも知れない。
「ところで、話の続きだが……」
惣菜の蓋を皿代わりに買ってきた鶏の唐揚げをゴロゴロと出す。
唐揚げの衣から複雑で旨そうな香りが一気に広がると、俺は塩の入った袋をちぎってパラパラと振りかけた。
前のめりになって唐揚げを見つめるミミルが視界に入る。
食事はいらないと聞いているので、気にせず手で摘んで口へと運ぶと、彼女の視線がその唐揚げについてくるのが見えた。
残念だが、既に俺の口の中に入っている。
もぐもぐと咀嚼して、飲み込んだらビールを喉に流し込む。
揚げ油の油っこさと、塩で旨さを増したモモ肉の味が広がった口をキレイに洗い流してくれる。うまい。
ミミルが溜まった涎を飲み込み、喉を鳴らしながらも俺の口元をジッと見つめている。
なんだか、犬に「待て」をさせているような気分だ。
「鶏の肉だぞ? 食べたいのか?」
『……たべたい』
気がつけば唐揚げの油の匂い、染み込ませた生姜やニンニクの旨そうな香りが辺りに充満していた。
これは腹が減っていなくても食べたくなるのは仕方がない。
とりあえず、菊菜の胡麻和えが入った容器の蓋を開け、それに唐揚げを乗せて突き出すと、彼女は満面の笑みを浮かべ、大事そうに受け取った。
恐る恐る鼻の前にまで持ち上げると、クンクンと匂いを嗅ぎ、小さな口で齧り付く。
すると、その大きな目が更に大きく開かれ、咀嚼音とともに恍惚とした表情へと変わっていった。
最初は食べないと言ったのは、彼女が素直じゃないのか、他に理由があるのかはわからないが、それもこのあと聞けばいいだろう。
とりあえず先に食事を済ませてから話を聞くことにしよう。
◇◆◇
結局、ミミルは俺が買ってきた料理の全てに手をつけた。
特に気に入ったのは鶏の唐揚げのようで、食べ終わったあとも興奮気味にその感想を俺に語りかけていたようだ。
念話を使う必要があるのに、そのことも忘れて「カリホウモエ!」などと連呼されても困るんだが……。
食事を終えて、ミミルから俺の店の敷地に大穴を開けるに至った経緯を聞くことになった。
ジェスチャは体力をつかうので、ノートとペンを渡して絵や彼女の世界の文字を交えながら説明してくれた。言葉では主語と述語ばかりで理解するのもたいへんだ。
ミミルの話を要約すると概ね次のような話になる。
ミミルがいた世界は我々とは違う宇宙にある星。
星の表面のうち九割以上を海が占め、森林資源、鉱物資源などを自分たちが暮らす星に頼るほど陸地は広くなかったという。
だが、幸いにも彼女たちには魔法という特殊な手段があった。
その魔法を使って異次元へと接続する手段を発見したのである。
異次元側は幾層にも重ねられた多層構造体であり、彼女の言葉でいうダンジョンである。
個々の層は異なる世界を切り取ったような構造をしているそうだ。
例えば、ここを中心に10キロメートル四方で切り取った空間が、ダンジョンの一層になっていると考えればわかりやすい。
なぜ切り取ったという表現がされるのかを尋ねると、明らかに端までいけば破壊不可能な壁で覆われているからだという。
また、異なる世界を切り取っているので、生息する生物もフロアによって異なるらしい。
ダンジョンに住む生物は基本的に魔素によって身体が作られているそうで、時間経過と共に体内で魔石が圧縮生成される。
この魔石はとてもクリーンなエネルギー源となるそうで、彼女が暮らした世界では、魔石なしでは生活ができないと言われるほど、魔石に頼った生活をしていたらしい。
なお、ダンジョンの各層に自生する植物も魔素により構成されているが、魔石を持たず、ある程度成長すれば実体化するらしい。彼女が暮らした世界では、魔素を栄養源として育っているのだと解釈されているそうだ。
鉱物は地表に採掘可能な場所が出現するらしく、そこでツルハシなどを用いて採取する。深層ほど珍しい鉱石が手に入るらしい。
ダンジョンの各層には守護者がいて、その守護者を討伐すれば次の層へと進むことができる。
最終層の守護者を討伐すれば、彼女がいた世界に戻るための出口が開くそうだ。
その最終層の守護者の討伐を完了すれば、その多層構造体を維持する魔石の管理者になれるらしい。
彼女は数人でパーティを組んでダンジョンを攻略し、管理者となって出口変更したことで、俺の店に辿り着いたということだ。
では、なぜわざわざダンジョンを攻略してまで管理者になって、出口の設定を変更したのか。
話は彼女が暮らしていた世界に戻る。