第539話
俺が風呂から上がり、自室に行くと田中君が目を覚ましていた。
いや、ミミルに起こされたらしい。
「大丈夫か?」
「は、はい。大丈夫です……」
20歳を過ぎた社会人だというのに酔って眠ってしまったことを恥ずかしいと思っているのか、田中君の顔が赤い。
それともまだ酔っているのだろうか。
「あの、ここまではどうやって……」
「すまん、俺が抱えてきた。裏田君も酔ってたから階段が危ないんじゃないかと思ってね」
「お、重かったんちゃいます? ほんま、すんません」
田中君が頭を下げた。
身体能力が普通の人間とは違うレベルに達している俺からすれば、田中君を抱えて2階まで運ぶことなど造作もない。
「いや、全然。寧ろ軽いと思ったくらいだよ」
「もうっ、そんなおべんちゃら言わんといてください」
田中君が顔を両手で覆い、俯いてしまった。
まさか泣いてるだなんてことはないと思うが、心配になってくる。俗に言うお姫様抱っこを36歳のおっさんにされたのが嫌なのかもしれない。
ベッドに運ぶという目的以外に身体には一切触れていないのだが、やはりこれってセクハラになるんだろうか。
「と、とりあえず時間も遅いから着替えてきたらどうだ?」
レセプションが終ってから既に3時間近く経過している。終電も出た後だと思うが、タクシーで帰ってもらえばいい。
「え? あ……」
田中君は俺の言葉を聞いて、自分の全身を確かめるとまた俯いてしまった。
「具合でも悪いのかい?」
「え、いや、なんでもないです」
「この扉を出て左に玄関がある。田中君の靴はそこに置いてあるから忘れないように」
「は、はい。失礼します」
田中君は再び頭を下げると、慌てて部屋を出て行った。
「ちょっと言い方がきつかったかな……」
こういう場面に慣れている人がいるなら教えて欲しい、と思いながら俺は溜息を吐いた。
ふとミミルを見ると、俺を見ながら何やらニヤニヤと笑っている。
「なんだ、何かついてるか?」
「なにもない」
返事をしたミミルの頬が緩んだままだ。いったい何が面白いのか俺にはサッパリわからない。
とりあえずお姫様抱っこをして連れてきたことを言ったのはセクハラになるのかどうかが気になる。ハラスメント系は俺がどう思っているかではなくて、相手がどう思ったかが重要になるからだ。
とりあえず冷蔵庫からペットボトルのミネラルウォーターを取り出し、玄関を出たところで田中君が着替えを終えるのを待った。
ものの5分ほどで田中君が普段着で更衣室から出てきたので、ミネラルウォーターを渡した。
「今日は本当にお疲れさまでした。司会、大変だったろ?」
「いえ、緊張はしましたけど、疲れてへん……と思います」
「でも昨日は眠れなかったりしたんじゃないのか?」
「いえ、ぐっすりでした」
「どちらにしろ、いつもより酔いが回ったみたいだし、ほら」
俺は1万円札を田中君に差し出した。
初日から泊めるなんてことはできない。
「これだけあればタクシーで帰れるだろう?」
「こんな、多すぎます」
「いや、そうじゃない。領収書とお釣りを返してくれればいいよ」
「あ……いや、うち何を言うてるんやろ、恥ずかしいわあ」
と、田中君はまた顔を赤くして両手で覆ってしまった。
これではいつまで経っても話が進まない――が、手を取って無理矢理1万円札を握らせるわけにもいかない。
「もう終電は出た後だろうし、タクシーしか選択肢はないよな?」
「そ、そうですね」
ようやく田中君が1万円札を受け取ってくれた。あとは大通りまで送ればタクシーを捕まえられるだろう。
でも、嫁入り前の娘が就職して早々に午前様となると、ご両親も心配していると思う。
「ご両親に俺から何か言っておく方がいいか?」
「大丈夫です」
「ならいいけど……」
とりあえず前を歩いて店の玄関を開けた。外を見ると案の定人気がまったくない。どこの観光地も深夜遅くまでやっている店はそんなにない。それに深夜営業の店はこの町だと先斗町や木屋町あたりに集中している。逆にうちの店の近くはオフィス街も半分くらいを占めているので、静かすぎるくらいだ。
「大通りまで送っていくよ」
「そんな、気い遣わんとってください」
「無理無理、この暗い通りで年頃の女性を1人で帰らせるとか、雇い主失格だよ。さあ、行こうか」
俺は店の鍵を閉め、先に歩き出した。
とても申し訳なさそうに上目遣いで俺を見つめるようにして田中君が後ろをついてくる。
「本当に大丈夫かい?」
「なにがです?」
「まだ具合が悪いのかと思って」
「いえ、大丈夫ですよ」
「じゃあ、俺の左側を歩いてくれないか。どうも歩くスピードが違うようだし、それに……」
「……それに?」
「俺から見えないところを歩いていたら、酔っぱらいに絡まれたりしてもわからないからさ」
俺は守るという言葉を使うと格好をつけすぎてるように思って、言葉を選んだ。
「それに、俺が後ろを歩いてるとストーカーみたいだろ?」
「あははっ、他の人から見るとそうかも」
俺のひと言で、どこか緊張していた田中君もリラックスした感じになって、帰っていった。
モモチチが将平を少し意識し始めるところです。
ここから、[SS]水族館に繋がっていきます。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






