第504話
30分ほどで食事を終えて、テーブルなどを片付けると俺はミミルの案内に従って闘技場の入口へと辿りついた。
円形状の闘技場の外壁に幅3メートル、高さ5メートルほどある入口で、その先は地下へ続く石組みの階段になっていた。地下で光が届かないせいか、蔓草は途中で途切れている。ちょうど正午になったくらいのタイミングなので、第3層の太陽がほぼ真上に近い位置から照らしているせいもあり、階段の先は暗くて何もみえない。
〈どうした、行かんのか?〉
立ち止まった俺にミミルがたずねた。
よく考えると魔法で光を灯す手段を俺は知らない。どうしたものかと考えていたのだが、LEDランタンがあるのを俺は思い出した。
〈いや、明かりが欲しいと思ってね。これを使おう〉
〈機転が利くではないか〉
珍しくミミルが俺のことを褒めてくれた。いや、おそらく自分の魔法を使うのが面倒になったのだろう。顔に書いてある。
俺はスイッチを入れて白く輝きだしたLEDランタンを手に階段を下りていく。一段あたりの大きさが70センチほどあるので、少し飛び降りるような感じで下りなければいけないのでたいへんだ。身長が140センチほどしかないミミルはもっと大変じゃないか――と、背後にいるミミルに振り返ると、背中に生やした小さく丸い羽で浮遊するようにして下りていた。
10メートルほど下まで階段を下りていくと、平らな通路に出た。
ランタンが照らす範囲は狭く、直径10メートルほどしか光が届かない。だが、通路の先は出口になっているようで白く輝く窓のようになっていた。
『この通路に魔物は出ないのか?』
『いない。安心していいぞ』
魔物がいたときのことを考え、念話でミミルにたずねたが杞憂に終わったようだ。
半分くらい進むと、左右に檻のついた部屋が並ぶようになったが、中には何もいなかった。檻の大きさは縦5メートル、横15メートルほどある。光が届かないので奥行きまではわからなかったが、そのような檻に何が入れられていたのか、俺には想像もできなかった。
ミミルはまるで自分の屋敷の中を案内するかのようにズンズンと前に進んでいく。逆に初めてここにやってきた俺からすると、視界に入るものすべてが何か自分にとって良くないものなのではないかと心配になってくる。
出口近くまで来ても心配は止まない。通路右にある彫像――といっても栗鼠なんだが、とても精巧に彫り上げられている。反対側には1羽の大きな鷲の像がある。驚くのはその左右の目の間に鷹が留まっているように彫られていることだ。その鷹の目が俺を見つめているような気がして、いまにも動き出すのではないかと更に心配になってくる。
――そういえば、北欧神話の中にも栗鼠がでてくるな。
再度栗鼠の像を見て、思い出した。
ラタトスクと呼ばれる栗鼠はユグドラシルに繋がる9つの世界の間で情報伝達をする役割を担っていたと書かれていた。それに、ユグドラシルの上にはフレースブルグという鷲がいて、その目と目の間にはヴェズルフェルニルという鷹が留まっているというのもあった。この通路は第3層の守護者がユグドラシルに関係するもの……ということなのだろう。
ということは……。
『トゥレアは何の木の精霊なんだ?』
『トゥレアはトゥレアだろう。木の種類によって精霊が違うなんてことはない』
『チキュウでは木によって精霊に名前がついているんだ。ニレの木はプテレア、モモの木はカリュア、カシの木はバラノス、クワの木はモレア』
『トゥレアはトネリコだ。ここの彫像は創世神話に語られるトネリコでできた宇宙樹に住んでいたとされた神獣たちだ』
ミミルたちにとっては、宇宙樹に住んでいるとされる生物は神獣なんだな。
こういうふとした会話の中にこそ、ミミルやエルムの価値観が表れてくる。やはり会話は大切だ。
『チキュウの神話にもでてくるぞ。ラタトスク、フレースブルグ、ヴェズルフェルニル』
『それは興味深い話だが、到着だ――』
実際にはまだ10メートルほどの距離があるが、通路の出口から先が見えてきた。
石造りの円形闘技場。その観客席のような石段部分は外壁と同じ蔓で覆われていて、座ることなどできそうにない。
アニメの世界なら、あの蔓も動いて攻撃に参加したりするのかも知れないが、闘技場のステージ部分には蔓は生えておらず、ただ一本の木が立っているだけだった。
「ああ、本当だ……」
思わず声が漏れた。トネリコの木だ。
高さは30メートルほどあるだろうか。幹の太さは直径2メートルほどある。ドーム状の樹冠を見ると、南欧にいたときに見たトネリコの木を思い出す。木目が美しく、現地でもアッシュ材として家具や建築、楽器など一般に用いられる木だ。
深い緑色がかった黒い樹皮には縦に罅がたくさん入り、いくつかの洞ができている。
〈あれがトゥレアだ〉
ミミルの声に促され、俺は眼窩のように見える大きな二つの洞を見つめた。
同時に、暗く黒い瞳が洞の中に現れた。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






