第498話
グロービヨンの肉は実に美味かった。だが、1センチほどの厚みで切ったからこその味わいで、3センチくらいの厚みに切り出すとまた違った味わいを楽しむことができるだろう。
俺はそれを少し楽しみにすることにし、休ませていたヴァンリィの肉をスキレットから取り出し、新しい皿に盛り付ける。真っ白い皿の中央に焼きあがったヴァンリィの肉を置き、スキレットに溜まっていた肉汁を上から掛ける。そして、最初の買い物に行ったときに買っていたクレソンを取り出して添えた。
赤ワインやバルサミコ酢、葡萄のモストなどを使ってソースを作ってもいいが、ヴァンリィの肉は初めて食べるのでグロービヨンと同様に、塩と胡椒だけにした。
盛付けて思ったのだが、他の野菜も出したいところだ。
煮る、茹でるということにダンジョン野菜は向いていないので、生で食べるか、焼いて食べるか……と、俺は考え始めた。
〈どうした、肉が焼けたのだろう?〉
だが、ミミルは既に盛り付けられた肉を目にしているので急かすように言った。
ヴァンリィの肉はグリルで網目が付くように焼きあげ、石窯の遠赤外線でじっくりと中まで火が入っている。表面がパンパンに膨らんだところで石窯から出しているので、いまが食べるにもちょうどいい頃合いだった。これ以上、休ませても肉が冷めるだけだ。
〈野菜をどうしようか悩んでたんだ〉
〈草はどうでもいい。肉は熱いうちに出せというだろう〉
ミミルがなんだか「鉄は熱いうちに打て」のような言い方をしたが、俺のエルムヘイム共通言語Ⅲの加護に、そのようなことわざはない。ミミルが即興で作った言葉だ。
俺は渋々、ミミルにヴァンリィのステーキを載せた皿を差し出す。
〈野菜は本当に大切なんだぞ?〉
〈お通じに良いのだろう。理解している〉
〈それだけじゃないぞ。ダンジョンの魔物は内臓を落とさないから、身体が必要とする栄養が偏ってしまうんだ〉
例えば豚レバーには豚ロースの40倍以上の鉄分、2000倍以上のビタミンA、80倍以上のビタミンB12、800倍以上の葉酸が入っている。
ビタミンAには目や皮膚の粘膜の維持と抵抗力の向上、暗闇の中での視力を保つ役割がある。鉄分は全身に酸素を運ぶ役割があって、葉酸はビタミンB12と結びついて血液を作る。特に成人女性には大切な栄養素だ。
だが、ここまで考えて、俺は気が付いた。
ミミルがいたエルムヘイムは魔法のせいで科学が殆ど発達しておらず、栄養素の話をするにもまずはビタミンとは何か、葉酸とは何か、という話になってしまう。それが非常に面倒な話になるのは間違いない。料理人としての最低限の知識はあるものの、詳しく説明するには知識がたりない。
更に、ミミルとしては「魔素があれば必要ない」というひと言で解決できる問題の可能性もある。
それに、ミミルは年齢こそ128歳。ダンジョンで過ごした日々を加えると600歳くらいだろうと言っている。だが、その身体は初潮も迎えていない子どものそれだ。鉄分と葉酸、ビタミンB12は必要ないと言い出しそうだ。
〈偏るからどうしたというのだ。魔素にして身体に取り込めばいいだけのこと。実際に私自身がしょーへいたちチキュウ人よりも長生きなのだから、その証明になっているのではないか〉
〈む、それはそのとおりだが……〉
俺は二の句を継げず、ただミミルをジトリと見つめ返すことしかできなかった。
〈そんなことよりも、ヴァンリィの肉を食べてみるといい。グロービヨンと負けず劣らずの美味さだと思うぞ〉
〈あ、うん。そうだな……〉
なんだか、ミミルに完全にやり込められた気がして悔しい。
だが、このまま話してばかりでは肉が冷めてしまう。
次にグリルを使うときはカボチャっぽい野菜とか、リュークなんかを焼いて出すようにしよう、などと考えながら俺は目の前にあるヴァンリィのステーキに向き直り、再びフォークとナイフを持った。
こんがりと表面が焼けたヴァンリィの肉に網目模様に焦げ目ついていて、ぷっくりと膨らんでいる。中に肉汁がたっぷりと詰まっている証拠だ。それでも10分近くは休ませていたので、しっかりと馴染んでくれているはずだ。
ミミルに目を向けると、既に肉にナイフを入れて口に運ぶところだった。
厚みが3センチほどもある肉を押し込むようにして頬張り、左右に頬袋を作るようにして顎を上下に動かしている。
その姿を見て、俺も急いでヴァンリィの肉にナイフを入れた。断面は仄かなピンク色で、ミミルが言っていたとおり、肉質はブルンヘスタよりも柔らかい。
口に入れると、焦げた香りと、黒胡椒の香りが広がり、あとから肉の風味がやってきた。強く噛み締めるまでもなく、肉汁が溢れ出る。
これはこれでとても美味い肉だと思う。あとは好みの問題だ。
噛み応えを感じたければグロービヨンの肉がいいし、柔らかくて食べやすい肉が好みならばヴァンリィがいい。日本人なら後者ということになりそうだ。だが、俺としてはグロービヨンの方が好みだな。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






