第494話
ほぼ真っ二つになったグロービヨンの死体が眼前に倒れている。
南欧で実際に狩猟に参加して、現場で解体を経験していることもあって、吐き気がしたりはしない。だが、目の前の光景はそれとは少し違った。呼吸器、循環器系の内臓はあるが、消化器系はドロドロとしていて確認できない。よくこんなグロテスクなものを見ていられるものだ、と自分でも思う。
改めて観察すると、地球のツキノワグマやヒグマとの違いは、三角形の耳だろうか。ぬいぐるみや、熊本のゆるキャラを思い出して耳が丸いと思いこんでいるのかも知れないが……。あと、手の形が左右で少し異なるところが興味深い。右手には水かきのようなものがついていて、左手にはそれがなく親指の付け根が離れたところにある。右手は何かを掬うのに向いた形状、左手は猿のように何かを掴みやすい形状をしているのだと思う。爪は肉球の間に収納できるようになっていて、肉球をグッと押し込むと出てくるようになっていた。
見た目は同じクマのようだが、少しずつ違うのだなあと感心していると、グロービヨンの死体が魔素に還っていった。
そこに残ったのは、俺の握りこぶしより少し小さい緑の魔石と、グロービヨンの爪だった。かなり鋭利な爪で、この爪で引っ掻かれていなくてよかった、と心から思った。
〈むう、肉はなしか……〉
空間収納に魔石を爪を仕舞ったところでミミルが残念そうに言った。うしろ姿しか見えないが、明らかに両肩が脱力してガッカリとした印象を受ける。
肩を落としたミミルが南へと歩き出したので、俺は後ろから声を掛けた。
〈グロービヨンも肉が出るのか?〉
〈うむ。筋肉質で美味い肉だぞ。滅多に残さないのが辛いところだ〉
〈美味いと言ってもなあ……〉
熊の肉を南欧で扱ったことがないし、日本に戻ってからも機会がなかった。だから、俺には熊肉のイメージが湧かない。
実際に東北地方などに行けば、未だに猟師の資格を持つマタギと呼ばれる人たちがいるので口にする機会もあるかも知れないが、この街で店を営むとなるとなかなか難しい。
しかし、魚や肉の味は何を食べているかで概ね決まる。例えば美味しいと言われるイベリコ豚も、秋にドングリをたくさん食べた頃の肉が美味しい。桜が咲く頃の鯛が美味しいと言われるのも、その時期が産卵前でエビなどの甲殻類をたくさん食べるからだ。だから、熊肉もドングリを食べる秋の肉が美味いのかも知れない。だが、ここはダンジョンだ。魔物は何かを食べる必要もなく、内臓はドロドロと不完全ものしかない場合がほとんどだ。
〈このあと、数回は会敵するはずだ。運が良ければ手に入るだろう〉
〈ミミルは持っていないのか?〉
〈うむ。チキュウに来る前に食べ切ってしまった〉
〈手に入らなくても我慢してくれよな〉
〈無理して手に入れようとすればするほど、手に入らないと言いたいのだろう? わかっている〉
どうもミミルに対して物欲センサーは強く働くようだから、ミミルは諦念の域に達しているようだ。
〈じゃあ、運よく手に入れば今夜試食しよう〉
〈絶対だぞ?〉
〈ああ、わかってる〉
とはいえ、あくまでも手に入ればの話。
グロービヨンは群れを成さないので、この広い草原の中で会敵する回数は多くても5回か、6回だ。
望みは薄いだろうな、と思いながら俺はミミルの後を追った。
2時間ほどかけてグロービヨンの領域を歩いて横切った。
結果、最初の一頭を含め、6頭のグロービヨンに会敵した。
下から上へと縦にナイフで斬り上げる、という戦い方はグロービヨンにとても有効だったが、しっかりと懐に入らねばならないところが辛いところだ。ミミル曰く、魔法なら下から氷柱や岩柱を伸ばして切り裂くという方法も取れるらしい。空間魔法がⅡになることで発動地点を移動させることができるようになったので、練習すれば俺にもできるだろうとのことだ。
6頭のグロービヨンからのドロップは、爪が3つ、皮が2つ、魔石が6つという残念な結果になった。
〈むう……〉
6頭目からドロップした皮を俺から受け取り、ミミルが不満そうな顔をみせる。よほど、グロービヨンの肉を食べたかったのだろう。どうせ試食程度にしか考えていなかったので、俺はもしグロービヨンの肉を手に入れても、大した量を食べさせるつもりはなかった。だが、ここまであからさまにガッカリとされると、悪いことなど何もしていないのに、なぜか申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
〈このあとはどうするんだ?〉
〈先に進んだところで中途半端な時間になる。だから、エルムの木の下で野営するつもりだ〉
〈そうか、でも日が沈むまではまだ少し時間がありそうだ〉
俺の言葉にミミルの瞳がキラキラと輝きだした。
〈そ、そうだな。では、もうしばらくグロービヨンを狩るとしよう〉
〈なんだ、ミミルも手伝ってくれるのか?〉
〈ただの暇つぶしだ――フロエ〉
ミミルは背中に魔力でできた翼を出現させ、空に舞い上がった。
どうやら本気で食材集めをするようだ。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






