第493話
グロービヨンが飛び掛かるように俺へと爪を振るう。
だが、グロービヨンの動きは、俺が目で見て躱すことができるほどの速度しかない。
体重をかけるように右、左と振られたグロービヨンの前脚を、俺は左、右と跳んで避ける。グロービヨンは腕を振った勢いで、四つん這いに戻った。
「――エアバレット」
指先に垂直衝撃波の白い膜が生まれ、魔力の塊が次々と飛び出していく。
7メートルほどの至近距離からマッハに近い速度で飛び出した魔力の塊が、グロービヨンに向かって飛んでいく。だが、グロービヨンの姿勢が四つん這いに戻ったせいで、着弾したのはグロービヨンの背中だ。腹側よりも更に密集した硬い毛のせいか、ほとんどダメージを与えられていない。
「厄介だな……」
思わず俺の口から愚痴がこぼれた。
グロービヨンは四つん這いの姿勢から、後ろ脚で地面を蹴って俺に向かって突っ込んできた。グロービヨンが二歩目を踏み出す前に、俺はまた右へとステップを踏んで避けた。
グロービヨンはすぐに停止することができず、3歩、4歩と進み、10メートルほど離れたところで止まってから向きを変える。
「――エアエッジ」
俺はナイフを仕舞い、苦無のような形に変えた魔力の塊を、2本、3本と続けて投げた。
その鋭利に尖った魔力の塊が、グロービヨンの体に突き刺さった。
どうやらグロービヨンの体表は、斬撃に強く、刺突には弱いようだ。
(これくらい、先に教えてくれてもいいだろうに……)
と、ミミルへの愚痴を心の中で漏らしながら、続けてエアエッジを2本投げた。そのどれもがグロービヨンの体に突き刺さり、鮮やかな緑の毛が赤い血で染まっていく。
グロービヨンは痛みを耐えるように吼え、再び俺に向かって突進してきた。その動きが俺にはゆっくりと見え、俺は軽く避ける。
だが、グロービヨンも学習したのか、今度は俺にその腕が届くていどの場所で止まり、太い腕を振って、爪で切り裂こうとしてきた。
俺はその爪をバックステップで躱しつつ、エアエッジで与えた傷口を観察する。
「ふむ……」
どうやらグロービヨンの首周りは異常に毛量が多いようで、横薙ぎに入ったヴィヴラは途中まで首周りの毛に食い込んで止まっていたようだ。この大量の毛がクッションの役割を果たしているのだろう。
逆にエアエッジはその毛を掻き分けるようにして傷口を作っていた。
であれば、横から毛と共に斬るのではなく、毛の向きに沿ってヴィヴラなり、エアブレードを叩き込むと効果的ということになる。
「っと、危ない……」
バックステップで躱したとはいえ、グロービヨンは爪で俺を切り裂こうと大きく両前脚を振ったところだ。またバランスを崩して四つん這いに戻っていた。四つん這いになると、四肢のすべてを使って動くことができるので動きが速くなる。
いまも、グロービヨンが四つん這いからの突進を仕掛けてきた。
今度は左に避け、俺はそのまま距離を取った。
ちょこまかと動く俺に業を煮やしたのか、グロービヨンが再び咆哮を上げると、俺との間を詰めて立ち上がった。
グロービヨンの腹に描かれた上向きの矢印が、「こっち向きに斬れ」と言っているように俺には見えた。
「ちょっと難しいな……」
思考を整理するためにも、俺はわざと口に出した。
再びナイフを取り出しながら魔力を込め、バックステップで距離を取って更に考える。
俺は普段、ナイフを逆手に持って使っている。その方がヴィヴラを飛ばしやすいのと、指先を伸ばして魔法を使うときに刀身が邪魔にならないからだ。だが、逆手だと下から上に斬り上げるような動きが難しい。例え振れたとしても、振り幅が小さくなってしまう。
考えている間に、グロービヨンが向かって来て、また爪で切り裂こうと立ち上がった。俺は屈んで爪を避けると、その姿勢から1歩踏み込んで右手のナイフをグロービヨンの腹に突き刺した。そして跳躍するように腕を上へと振りあげる。
何の抵抗もなく、グロービヨンの腹は喉元あたりまで裂けた。
刃渡り40センチほどのナイフが根元のあたりまで突き刺さっていたので、かなり深い傷をグロービヨンに与えることができたようだ。グロービヨンは切り口から血を噴き出しながら、地鳴りのような音を立てて仰向けになって倒れた。
〈よくやったな……〉
いつの間にか空に上がっていたミミルが、俺の背後に下り立って言った。
俺はミミルに向かって返事をする。
〈ああ、最初のヴィヴラで首が斬れなかったときは焦ったよ。毛の方向に気をつけないといけないんだな〉
〈まあ、そのとおりだ。魔法で倒すなら、氷の槍や岩の槍を多重起動させて貫くことになる。少し待て――ヴォワクロ〉
ミミルの指先に大きな水球ができ、俺の頭の上で破裂した。
あっという間に俺の身体は水浸しになった。
〈わるいな〉
〈流石に、全身が返り血で真っ赤になっているのは見るに堪えんからな〉
正面から深々と差し込んだナイフで腹を切り裂いたせいで、俺はかなりの返り血を浴びていたようだ。ミミルが2つ、3つと大きな水球を呼び出しては俺の頭の上で破裂させた。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






