第492話
緑の熊、グロービヨンがいる木まで100メートルほど離れていた。
〈大きさとか、素早さとか、どんな攻撃をしてくるのかとか……なんかないか?〉
〈後ろ脚をつかって立ち上がると、3ハシケくらいの大きさがある。その状態だと動きは鈍いが、四つん這いになるとかなり速く移動できる。私の感覚では、ルーヴと同じくらいだ〉
〈それは結構速いな〉
時速40キロ以上は出る、ということだ。
〈最初は四つん這いで駆け寄って来て、前脚の爪で引き裂くような攻撃をしてくる。避けると立ち上がって前脚の爪で切りかかってくるか、左右の前脚を使って覆いかぶさってくるかの2つだ〉
〈みたところ1頭だけだが、他にはいないのか?〉
〈うむ、単独行動を好む魔物だ〉
〈わかった、ありがとう〉
〈あ、お、うん……〉
礼を言うと、またミミルが耳を赤く染めた。
エルムヘイムでは、偉い立場にあったから、あまり人から礼を言われたり、褒められる立場ではなかったようだし、仕方がない。
さて、起立時の体高が3メートル近くあって、熊に似た体型だと重さはどうれくらいだろう。大きさはヒグマやハイイログマと比べてひと回り大きいので、かなり重いのは間違いない。
そんな巨大な魔物が時速80キロで走ればどうなるか――他の魔物と同様、すぐには停止できるはずがない。なので、俺はグロービヨンの攻撃を避けることにして、様子見をすることにした。
「まずは近づかないと――」と言って俺は前に進んで行く。
草原を歩きながら辺りを警戒すると、やはり何かの木が生えているのが気になる。ルーヴがいた領域にも木はあって、その下にルーヴたちが寝そべっていたことを考えると、少しずつ木の本数が増えているようだ。
〈ルーヴやファングカットの領域と比べて、木の数が増えているような気がする〉
〈よくわかったな。第四層が森のせいか、少しずつ木が増えているぞ〉
〈層が分かれているのに、丁寧なことだな〉
〈ユングヴィ王のすることは我々には理解できんからな〉
〈まあ、そうなのかもな〉
神様と呼ばれる者がしたことなので、何を考えてこんな地形や魔物の配置を作ったのかなど俺にわかるはずがない。
会話をしているうちに、グロービヨンがいる木まで残り50メートルていどにまで近づいた。
寝そべっていたグロービヨンが耳をピクピクと動かし、のっそりと後ろ脚で立ち上がるとこちらへと視線を向けた。
同時に身体に響いてくるような低音で、唸るように威嚇の声を上げる。
その音が恐ろしくて足が竦む、ということもない。だが、第1層に入ってすぐに接敵していたら、たぶん俺は身動きひとつできなくなっていただろう。それほどまでに殺気の籠った声だった。
俺は気にする素振りもみせず、そのままグロービヨンの方へと歩いていく。
残り30メートルを切る頃には、グロービヨンが四つん這いになり、俺に向かって駆けだしてきた。
「うん、速いな」
スローモーションに見えるほどファングカットは遅かったが、グロービヨンはなかなかの突進力を持っていた。しかし、俺の敏捷性はもう人外の域に達しているので、恐れるほどでもない。
50メートルほどしか離れていなかったが、グローヴィヨンはほぼトップスピードで俺に向かって突っ込んでくる。間合いから見て、次の1歩で俺に飛びついてくる――というタイミングで俺は左へとステップを踏んだ。
巨大なグロービヨンは風を纏って俺の横を通り過ぎていった。無理にでも俺を切りつけようと腕を伸ばしていたが、届かないだろう場所まで移動したので問題ない。
「太い腕だなあ」
止まれずに走り抜けるグロービヨンの尻を眺めつつ、俺は呟いた。後ろ脚は更に太く、頑丈に見える。
全身を覆う鮮やかな緑色の毛は、とても硬そうに見えた。
走り抜けていったグロービヨンは、15メートルほどで速度を落とし、俺の方に向き直る。
単独行動する魔物ということなので、他に気を配る必要がないのはありがたい。
俺も腰から2本のナイフを抜き、グロービヨンに向かって構えた。
グロービヨンが後ろ脚で立ち上がり、咆哮を上げて駆けだした。今度は全力で飛びついてくることはなく、俺の5メートルほど前のところで止まり、再び咆哮を上げながら立ちあがった。
俺は一気に両腕のナイフに魔力を流し込み、グロービヨンの首を狙って腕を右、左と振り、ヴィヴラを飛ばした。直後に視線を動かすことなくバックステップを踏んで距離をとる。
魔力でできた不可視の刃が、立ち上がって無防備になったグロービヨンの首に向かって飛ぶ。
「――なっ!!」
二枚のヴィヴラはグロービヨンの硬い毛に食い込んだものの、傷を負わせるということはなかった。見るからに硬そうな毛をしていたが、ヴィヴラを防ぐほどの強度があるとは俺も思っていなかった。
グロービヨンは万歳するように両前脚を掲げ、身体の中心を貫くように走る矢印模様を見せつけると、怒り狂ったかのように咆哮を上げた。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






