第484話
ファルの肉が落ち着くまでの間、俺はミミルからの略奪を逃れたピッツァ・クワトロフォルマッジを齧りながら、燃焼室の下に敷いた石のプレートを抜き取って掃除をしていた。
こうすることで、火は簡単に消せるし、石窯も崩すことなく空間収納に仕舞うことができる。ただ、ミミルの言うとおり料理をするたびに使うわけではないので、朝まで窯を冷やしてから収納するつもりだ。
どうせならこの大量の薪を使って湯を沸かし、風呂でも入れたいところだが、さすがに風呂となるとたいへんだ。
〈しょーへい、もういいのではないか?〉
〈そうだな、そろそろいいだろう〉
石窯の余熱でフォカッチャを温める。
具材を挟んでから、ホットサンドメーカーのような道具を使って焦げ目をつけつつ、焼くのも美味しいパンだ。
皆が帰るときにいくつか持ち帰っていったが、焼く時にオリーブやローズマリーなどを加えたものから無くなり、俺が貰ったのは何も入っていない、プレーンのものばかりだ。でも逆に、プレーンの方が食事パンとしては使いやすい。
石窯の温度はまだ高いので、フォカッチャは1分ほどで温まった。それを皿に取ってミミルと俺の間に置く。
続いて、ファルの塊肉を切る。先ほどまでパンパンに膨らんでいた肉塊は、少し萎んでしまっているが、これでいい。
手で押してみると、生の時よりも硬いが、適度な弾力がある。押して弾力がほとんどない状態だと焼きすぎだが、おそらく丁度良いくらいだろう。
肉塊をカッティングボードの上に移し、調理用ナイフを手に取って、まずは端から2センチほどの厚みでひと切れを切り出す。
〈おおっ!!〉
テーブルを挟んで正面の位置でファル肉への入刀を凝視していたミミルから歓声が上がった。
切った断面からは湯気がたち上り、同時に肉汁が溢れ出した。地上でラム肉や牛肉などをローストすると、多少なりとも血が混じった肉汁になってしまうのだが、これは無色透明だ。おそらく、ドロップした段階で血はほとんど抜かれた状態になっているのだろう。考えてみると、キュリクスやブルンヘスタ等の肉でも肉汁の色は透明だった気がする。
カッティングボードにまで刃が達すると、切り出されたファル肉が倒れる。その断面は見事な桜色で、溢れる肉汁がキラキラと輝いている。
〈ちょっと心配だったが、上手く焼けたようだ〉
〈うむ、美味そうだ。は、早く、頼む……〉
〈わかったわかった〉
さきほどケーキを食べ、ピッツァを食べ、ポルケッタも食べたというのにミミルは待ちきれないと言った感じで俺に催促してくる。
スキレットに残った肉汁にバルサミコ酢、無塩バターなどを加えたソースを作ろうか悩んだが、作る時間さえ許して貰えそうにない。
ミミルはふた切れは食べるだろう、と思って俺は同じ厚みで2枚目を切り出して皿に盛りつけ、ミミルへと差し出した。盛り付ける際に少量の粒マスタードを添え、スキレットに溢れた肉汁を掛けた。
〈た、食べていいか?〉
〈おう、もちろんだ〉
返事をしたものの、ミミルの左手にあったフォークは先にファルの肉へと突き刺さっていた。俺にたずねてはいたものの、もう歯止めが効かなくなっていたらしい。
俺も同じくらいの厚みにファル肉を切り、皿に盛り付けて着席した。
ミミルへと視線を向けると、とてもひとくちサイズとは言えない大きさに肉を切り、口の中へと運んでは両頬を膨らませている。
〈美味いか?〉
『悔しいが、すっきりと爽やかな草の香りがして美味い』
いつものように両頬をいっぱいにしてミミルは俺を見上げ、念話で返事をした。
〈それはよかった〉
相変わらず、個々のハーブや野菜の違いなど興味が無いと言わんばかりに草とひと括りにされてしまったが、それでも香りがして美味いと言うようになったのは進歩だろう。
俺もフォークを肉の左端に刺し、ひとくちサイズに切り取って口に運ぶ。
ローズマリーの甘く清涼感のある香りと、セージのヨモギのような青く清々しい香りが漂ってくる。
パクリと頬張り、噛み締めると表面の焦げた香りと、ローズマリーやセージの香りが口の中に広がり、吐息と共に鼻腔を通り抜けていく。同時に肉の断面から舌に伝わってくる温度はほんのりと温かく、食感はラム肉よりも柔らかいくらいだ。ジュワッと肉汁が舌の上を流れ、下顎いっぱいに溢れ出してくる。
『すごい美味いな』
『私もこんなに美味いファルは初めて食べるかも知れん』
『大袈裟だな……』
見た目は黙々と肉を食っているように見えるだろう俺とミミルだが、念話で会話を楽しんでいた。
『王宮の晩餐会でもこれほど上手く焼けたファルはでない。もっと火が入りすぎて、硬くなっている。味付けは……王宮の晩餐会の方が手が込んでいるが、負けてはいないだろう』
『褒め過ぎだよ……これ、食うか?』
褒められたせいか、どこか浮ついた気分になってしまったのか、俺はつい残ったピッツァをミミルに差し出してしまった。
ミミルはこれを狙っていたのか。嬉しそうにピッツァを受け取ると、たっぷり蜂蜜を掛けて噛り付いた。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






