第483話
店のピザ窯は内部に薪を入れて焼くタイプなので、窯の内部温度が高くなりやすい。実際にピッツァを焼く時はナポリピッツァなら四百八十度くらいまで温度を上げる。
熱の伝わり方には伝熱、対流、放射の三つがあるが、石窯の場合は、燃焼室で焼いた薪が焼き台となった石のプレートを熱し(伝熱)、後ろの空気口から上がる熱風が窯の中を対流して温度を上げ、熱せられた石窯全体から出る輻射熱(放射)――遠赤外線によって加熱する。遠赤外線は、中までしっかりと火が通りやすい。
〈それで中まで火を通すのか?〉
焼いている肉の厚みを見て、ミミルが興味深そうにたずねた。
ダンジョン産の肉は細菌やウィルスなどの心配がないので生でも食べられるが、どうしても脂肪部分はねっとりと舌や歯に絡みついたりするし、溶けてくれないと味がわかりづらい。エルムたちも基本的には煮るなり、焼くなりして肉を食べるというのだから、火を通すことによって旨味が活性化することくらいは理解している。だから石窯くらいはエルムヘイムにあっても不思議ではないのだが、パンなどはどのように焼いているのだろう。少し気になってくる。
〈そうだ。ピッツァを焼くときもそうだけど、直接火があたらなくても焼けるんだ。特に、分厚い肉でも『セキガイセン』の効果で中まで火が入るんだ〉
〈ほう……チンとは違うのか?〉
〈一応、目に見えない波であるところは同じだな〉
ざっくりと光については紫外線、可視光線、赤外線があることは教えている。だが、俺の専門はあくまでも料理なので、あまり詳しいことまでは教えていない……教えられていない。
1秒間に3兆回振動するのが赤外線だと言ったところで、ミミルも具体的にそれをイメージできないだろう。
〈チキュウではタイヨウの光が背中に当たると、ぽかぽかと温かいだろう?〉
〈ふむ。ダンジョン内ではそんなことはないが、チキュウのタイヨウは温かい〉
ダンジョンの中にも太陽らしきものはあるが、各層の温度は一定だ。特に日差しが温かいということはなく、西日の暑さに悩むこともない。あくまでもダンジョンの各層はユングヴィ2世が作った箱庭のようなもので、各層の太陽も張りぼてなんだろう。
逆に、宇宙空間の中にあるというエルムヘイムの太陽――ソールはちゃんとした恒星なのだと思う。だが、そのソールが齎す光にどんな種類があるかまで分析するような科学的知識がエルムヘイムにはないはずだ。
〈あれは『セキガイセン』がソールから出ているからなんだ。その『セキガイセン』を使って焼くのがこの石窯でね、特に中まで熱が伝わりやすいという特徴があるんだ〉
〈そうなのだな〉
ミミルが興味深そうに窯の中を覗いている。釜の奥に開いた穴から燃焼室の炎がチラチラと揺れて見える。
〈そうそう、穴から覗いているだけでも熱いだろう?〉
〈これが『セキガイセン』か?〉
〈見えてはいないと思うが……熱風が当たっているわけでもないのに熱く感じるのは『セキガイセン』だと思っていいよ〉
炎の温度は500度以下になれば殆ど見分けがつかないので、見た目だけでは窯の内部の温度まではわかりにくい。
ただ、表面をしっかりと焼いて肉汁を閉じ込めてしまえば、肉全体が膨らんでくるのでそれが焼き上がりを見分けるひとつの目安になる。
〈肉が膨らんできたの、わかるか?〉
〈んむ〉
先ほどからミミルがずっと窯の中を見ているので、たずねてみた。
肉汁が少しずつ中で溶け出し、ミミルでも窯の中の肉の形が少しずつ変わってきているのがわかるほどになってきた。
〈爆発したりせんのか?〉
〈肉を焼いて爆発した、なんて話は俺の人生で一度も聞いたことはないな〉
〈だが、見る間に膨らんできているぞ〉
〈ああ、そろそろ頃合いだろうな〉
俺はスキレットを石窯から取り出し、木の板を敷いて、簡易テーブルの上に置いた。
スキレットの上に乗ったファルの肉塊はいい色合いに焦げ、自らの脂でジュウジュウとその身を焼いている。一緒にオーブンに入れたセージやローズマリーの香りが漂い、実に美味そうだ。
〈で、できたのかっ!?〉
ミミルが期待に満ちた目を俺に向けた。一瞬、目が合うとすぐに視線を肉の方へと向けなおす。もう食べたくて仕方がない、といった感じだ。でも、いますぐに切り分けてしまうのはよろしくない。まずこの状態でしばらく寝かさないといけない。寝かすことで更に中まで余熱で火が入るだろうし、少しずつ冷めてくるから肉と肉汁が馴染んでくる。
〈そうだな、10デレほどすれば食べられると思う〉
〈10デレも待つのか!? こ、これでは……〉
溜まった涎を飲み込む音がミミルから聞こえた。
見ると、眉を八の字にして困ったように俺の方を見ている。
〈……まるで拷問ではないか〉
続けてミミルが言うのだが、俺としては別に意地悪をしているわけではない。
〈しばらく休ませないと肉汁が溢れてしまうんだよ。悪いが少しだけ待ってくれ〉
〈うううっ……〉
宥めるようにミミルに説明をしたのだが、あまり効果はないようだ。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






