第468話
普段慣れない呼吸法をしているので、気が散るとつい普段の浅い呼吸に戻ってしまう。なので、俺は気が散らないように目を瞑って治癒力を上げることに専念していたのだが。
〈まさか……いや、でも……ぐむむ〉
ブツブツとミミルが呟きながら、ああでもない、こうでもないと言っているのが聞こえてくる。俺にはミミルが何をそんなに考え込んでいるのかがわからないので、正しい答えを導くことなど無理だ。だが、なんとなくミミルが意図的に俺の前で唸っているような気がしないでもない。
とはいえ、俺は目を瞑っているのでミミルの表情などを確認できないのだが……。
『そんなに魔力溜まりの場所が変わるのがおかしいのか?』
『そうだ。エルムの場合は生まれつき臍の下あたりに魔力溜まりができる場所があると言われている。それは他の種族も同じで、生涯動くことはないと書物に書いてあった』
『へえ……』
ミミルの知識の中では、そういうことなのだろう。当然、俺は初耳だ。
『私自身、魔力溜まりを動かすことはできない。これはもう1つの内臓のようなものなのだ』
『そう言われてもなあ……』
つい2週間ほど前までは魔力さえなかった人間なので、ピンとこない。
できるだけ動揺して呼吸を乱すことがないよう、心を落ち着かせてミミルにたずねる。
『ルマン人にもある、ってことだな?』
『そのとおりだ』
『他の……何がいるのかよくわからんが、他の種族も同じなんだな?』
『うむ』
千年近く前に一部のゲルマン民族がエルムヘイムへと移住したとして、そのくらいで進化するものだろうか。
人間でさえ、ホモ・サピエンス・サピエンスになってから何十万年も経っているはずで、千年やそこらで進化するはずもない。だが……
『俺は元々チキュウで生まれ育ったから、ダンジョンで魔物を倒して身体が最適化されたんだよな。そのときに魔力溜まりができたと思えばいいのか?』
『厳密にはそれが正しいかはわからんが、おそらくそうだろう』
『なんだ、わかりにくい返事だな』
『ダンジョンに最適化された直後に死んだ者を解剖なりすればわかるだろうが、そんな機会はあるものではない。だから、調べようがない』
『そりゃそうだ』
4分ほど経って、治癒力を上げる呼吸と魔力制御が安定してきた。
とはいえ、ミミルの話では10分程度は続けないといけないらしいので、あと6、7分といったところだ。
ミミルはと言うと、最初はブツブツと口にして考えていたようだが、いまはとても静かだ。
ずっと両眼を閉じたまま、安定した姿勢で立っているのも難しいので流石に俺も目を開けているが、視界に入っていないので何をしているのかはわからない。ここは一応、ルーヴの領域であり、安全地帯ではない。だからミミルが見張ってくれているのだと思うのだが、それも確認できないと不安になってくる。
いまは魔力を循環させて治癒力を上げている最中で、魔力探知や音波探知を使うわけにもいかない。それに、この治癒力を上げる魔力循環が俺の体温を上げているせいか、どうも背後の気配を感じ辛い。
そういえば、修学旅行のときなどに皆で風呂にはいっているとき、頭を洗っているクラスメイトの背後で変顔をしたり、お尻ペンペンとかして揶揄ったりしたのを思い出す。ミミルも悪戯好きだから、そんなことをして遊んでいるかも知れない。あとで、何をしていたのか聞くついでに、鎌をかけるのも悪くない。
などと、呼吸と魔力制御以外のことを意識していると、簡単にどちらかが乱れてしまいそうになる。
慌てて呼吸だけに意識を集中し、魔力溜まりを連動させることにした。
〈もういいんじゃないか?〉
〈そうか、じゃあ止めることにするよ〉
ミミルの話だと、魔力が活性化してから十分くらい魔力循環をすれば良いということだった。初めてのことで治癒力を上げるための魔力循環が上手くできなかった時間を含め、少し長く魔力循環を続けていたかもしれない。
胸の前で合わせていた手を俺が下したところで、ミミルがたずねた。
〈治癒力を上げる魔法はどうだ、効果を実感できるか?〉
〈どうなんだろうな。実際に触った感じでは腫れが引いたようにも思うんだが、ミミルに冷やしてもらって楽になっていたけど……〉
困ったことに、背中にできているだろう青痣を鏡なしで確認できるほど、俺の首は長くない。
また様子を見てもらおうと、俺は後ろにいたミミルに向かってたずねた。
〈また見てくれるか?〉
〈見てやってもいいが、服は脱がなくていい〉
〈これで見えるのか?〉
〈か、肩だけ出せばよかろう〉
俺はチュニックにジレを着込んでいる。ジレは日本語では中衣やチョッキにあたるものだ。上衣と下着の間に着るもので、袖がない服だ。肩の部分に掛けているので、隙間から覗き込むにも邪魔になる。
俺はジレだけ脱ぎ、胸元の紐を緩めると、襟口を広げて右肩のあたりを露出させた。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






