第446話
夜の賄いを終え、片付けを済ませると今日は少し早めだったが業務終了ということにした。
「ほな、僕は店のチラシを知り合いの店に置いてもらえるように頼んできますわ」
裏田君がチラシを200枚ほど手にとった。
本来なら俺も一緒に行くべきで、電車があるうちに帰ることを前提にすると1時間半ほどしかない。急いで挨拶まわりをしたところで5軒ほど回ることがでれば良い方だ。
「悪いね。本来なら俺も行かないといけないし、行きたいところなんだが……」
俺はチラリとミミルの方を見て、裏田君に目配せした。
深夜といえる時間帯にミミルを連れていくわけにもいかないし、まだミミルには警備システムのカードを渡してもいない。ミミルを独り残して挨拶回りに行くというのは俺には不安でしかない。
「ああ、気にせんとってください。事情は理解してますよって」
「ホント、申し訳ないね。ありがとう」
本当に恐縮してしまう。
一方、田中君は俺たちの話を聞いていたようだ。
「裏田さん、他の店に挨拶回りに行かはるんです?」
「え、うん。そうやけど?」
「うちも行きます。連れて行ってください。うちもご近所さんとは仲良うしたいですし」
本来なら、正社員の2人を連れて行くのが俺の役割だから、ダメという訳にはいかない。
「オーナー、ええやろか?」
「ああ、問題ない。ちゃんと領収書もらってきてくれればいいよ。ただ、明日が休みだからって飲みすぎたりしないようにな」
2人ともいい大人なので、自分の許容量を超えてまで酒を飲んで歩くなんてことはないだろうが、裏田君は伏見、田中君は西京区と東西で逆方向に別れて帰ることになる。酔払ってちゃんと帰れない、なんてことがないか心配だ。
「大丈夫ですよ」
「わかってます」
何故か、田中君まで店のチラシを手に持っている。明日にも行きつけの店なんかに置いてもらえるように頼んでくれるつもりなのだろうか。
本当に申し訳ない気分になってくる。
「では、失礼します」
「お先に失礼します」
「お疲れさまでした。明日はしっかり休んでくれよ」
俺の最後のひと言に「はい」と2人で返事すると、彼らは南へと歩いて行った。
2人の背中が見えなくなるまで店先で見送り、俺は店の中に戻った。扉を閉めて鍵をかけると、ミミルが駆け寄ってくる。
「今日もお疲れさま」
俺が話しかけると、ミミルはただこくりと頷いた。
今日、1日で俺が痛感したのは、もっと日本語で話す機会をミミルに与える必要があるということ。そのためには、もっと日本語で話しかけて、日本語で返事をさせるのがいいと思う。
とはいえ、はいといいえのどちらかで返事が済むようなことの場合は、さすがにミミルも面倒になるだろう。
「今日から防犯システムが動く。前に話していた、泥棒避けだ」
「ん。せんさー」
「そう、センサーがついたんだよ。玄関の上についてるあの白くて丸いのが人感センサー。前にも話したとおり、人がいることを検知する仕組みなんだ」
前回は2階にある事務室で説明したが、現在、俺とミミルは一階にいる。店の扉を開けてすぐのところにいたので説明がしやすい。
俺はポケットからICカードを取り出して、ミミルにみせて話す。
「店を閉めて扉に鍵を掛けるんだけど、外側の箱にこのICカードを翳せばあそこのランプの色が変わって、あのセンサーが動き始めて監視が始まる。同じように、厨房の窓や2階事務室の窓も監視されるんだ」
「しくみ、しりたい」
「残念だが、俺にもわからん。本には書かれているから、文字を勉強したら本を読んで欲しい」
「ミミル、がんばる」
やはりミミルは仕組みの方に興味が向いてしまうようだが、いまはその話をする時ではない。
「それで、家の中にも同じ箱があるから、それを使って監視を始められるし、停止することができる。ここまで、わかったかい?」
「ん。わかる」
「監視が始まると、店の中で人が動くと、警備会社に通報されて、警備員が飛んでくる」
「けーびいん、とぶ、できる?」
「ああ、すまん。飛ぶわけじゃない。急いで駆け付けるってことだ」
以前、警備システムのことを話したときにここまでは説明していたはずだ。泥棒でもない、家の人がセンサーに検知されて通報されると警備会社に迷惑を掛けることになるので、気を付けて欲しいということも言ってあるが、念押しした方がいいだろう。
「だから、監視を始めたら家の中から出ないこと。俺の許可を取ること。これは絶対だ、いいな?」
「ん、わかる、した。しょーへい、きょかする」
「よし。じゃあ、風呂入れてくるから待っていてくれ」
「ん」
ミミルを店の入口に残し、俺は浴室へと向かって気が付いた。
ICカードリーダーが店外と自宅の中にあるということは、監視開始後に店の一階部分を通ってダンジョンのある奥庭には行けない。ベランダに避難梯子をつけたのは正解だったようだ。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






