第441話
裏田君と共に店の前から一直線に北へと向かい、六角通りを東に入った。俺は北側に面する建物――マンション、一戸建て、オフィスビル等――のポストに店のチラシを1枚ずつ投函して行った。中には喫茶スペースを併設した有名なチョコレートショップや、秦さんと偶然会った喫茶店などもあるが、飲食店のポストには投函しないでおいた。
うちの店にも料理や酒などの単価が入った飲食店のチラシが投函されることがあるが、業者に委託しているのだろう。正直、他店のチラシなどに書かれたメニューや価格を見るのはあまり好きではない。それが、特に料理の単価などは記載していないチラシを作った理由だったりもする。
1時間ほどでポスティングを終えて店に戻ると、店頭では引き続き岡田君と本宮君、ミミルがチラシを配っていた。
本宮君に付き添われるようにして立つミミルの前に、仕事帰りの女性3人組が並ぶようにしてチラシを受け取っている。
天然の銀髪にアルビノ特有の赤い瞳が珍しいのか、ただ単にその可愛らしさに反応しただけなのか、珍しそうに見つめつつ前を通りすぎるスーツ姿の男性などもいる。
「おつかれさま。どれくらい配ったかな?」
本宮君とミミルから少し離れたところで、逆方向へと向かう人たちにチラシを配っている岡田君に声を掛けた。
「100枚近くは配ったと思います。あっちはもっとぎょうさん配ってはります」
「あの感じだとそうだろうなあ」
道路の反対側から本宮君とミミルを眺めながら、感心したように俺は呟いた。
「さっきはちょっとした人だかりみたいになって、それを見た他の人も様子見に来たりしたはりました」
「それはしようがないな。でもいまは人が減ってるじゃないか」
「スマホで写真とか撮ろうとしはる人がいたはって、うちがそれをお断りしたんです。流石に小学生の写真を勝手に撮るのはあかんと思て」
スマホがあれば、誰でも気軽に写真を撮れてしまうが、流石に許可なく撮るのはよろしくない。その対象が小学生ともなれば、不審者として通報されることもあるだろう。
「気遣いありがとう。騒ぎにはならなかったんだね?」
「ええ、女性2人と一緒にいたはって、その女性たちからも怒られたはりました」
「そっか。でも、次からは俺が一緒の方がいいかな」
「そうですね」
明後日の昼と夜にチラシを配るにしても、役割分担はよく考えた方が良さそうだ。
ミミルがチラシを配っている様子を少し離れたところから眺める。
「きんようび、おーぷんです。よろしくおねがいします」
決して大きくはないが、透明感のある鈴の音のような声が俺のいる場所でも聞こえてきた。
うまく言えなかった「お願いします」も、だんだんと慣れてきたのだろう。上手に発音できるようになっていた。
「やっぱり文字ばかり書いて日本語を覚えても、話す機会が少ないのはよくないかな」
「インターナショナルスクールに通うんでしたっけ?」
「うん。だけど、日本語で話す環境の方が良さそうな気がしてきたよ」
「そうですねえ」
ミミルがもっと話す機会を作る。それが、ミミルの日本語が上達するための鍵なのは間違いなさそうだ。
だが、実際は学校に通うなんてことはない。だから、他の方法を考えないといけないが、ミミルが国籍もない異世界人であることを公にしない以上、非常に難しい問題だ。
「ほんまかいらしいなあ……」
道行く人に「よろしくおねがいします」と言いながらチラシを差し出しているミミルを見た岡田君が呟いた。
俺のいる方へと歩いて来た男性に向け、「きんようび、おーぷんです。よろしくおねがいします」と言って、ミミルがまたチラシを手渡した。
「しょーへい!」
視線の先に俺を確認したミミルが名前を叫んで駆け寄り、何の遠慮もなく、俺の腰あたりに大の字になって抱き着いて来た。
普通の日本人なら飛ばされるほどの勢いがあったのではないかと思うほど、強い衝撃が俺の身体を駆け抜けた。
「おいおい」
「しょーへい、ミミル、いっぱいひと、はなししした!」
「そっか、よかったな」
「ん、がんばる、した!」
俺の腹に頭をグリグリと押し付けながら、ミミルが「頑張った」アピールをしてくる。
しようがないので、俺はミミルの頭をそっと撫でた。なぜか、ミミルがグリグリと頭を擦りつけるペースが上がり、停止した。
頭を俺の腹から離し、見上げたミミルはどうやらご機嫌な様子だ。
「なあ、岡田君。俺がいない間に何かあったのか?」
「いいえ、何もありませんでしたよ。翼とは何か話したはりましたけど」
「そ、そうか。じゃあ、本宮君に聞いてみるか」
別々に行動していたのならしようがない。
チラシを配り始めてから本宮君がずっとミミルの面倒を見てくれていたのなら礼も言わないとな。
「岡田君、悪いけどミミルの面倒を頼む」
岡田君の「はい」という返事を待って、俺は本宮君の方へと移動した。
ミミルが俺の方へと駆け寄ってしまい、最初は残念そうな顔をしていた彼女だが、すぐにひとりでチラシの配布を始めていた。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






