第436話
賄いの片付けを始める頃に、警備会社の工事とテスト作業が終わったと報告を受けた。最終確認として、施錠と開錠方法についての説明を受けた。説明には社員である裏田君、田中君に参加してもらった。
最後に受け取ったカードキーに加え、店の玄関扉の鍵を2人に渡す。
「操作は簡単だな」
「そうですね」
「まあ、どこも同じ仕組みですわ」
俺は日本に帰ってきてすぐに東京のホテルに入ったので、ホテル内の警備システムしか知らなかった。田中君は製菓学校を出て欧州を転々としてきたということもあり、同じように店の警備システムの仕組みを知らない。
その点、裏田君はいくつかの店を知っているのでカードキーの使い方も良く知っていた。本当に、いろいろと頼りになる。
その裏田君が、鍵を自身のキーホルダーに差し込みながら俺にたずねる。
「結局、僕らは店を出るときに鍵をかける。オーナーやミミルちゃんが風呂とか入るから、風呂を出たあとにオーナーが自宅から警備開始するでええんですか?」
「うん、それでいいよ。裏田君や田中君は、俺とミミルが朝から不在のときくらいしか使わないと思うけどね」
「まあ、そうでしょうね」
建前上、ミミルは学校に通うことになっている。
小学校の登校時間には誰も出勤していないから実際に家を出て学校へと向かう姿を見せる必要はない。
逆に、帰宅する時間帯のことは考えておかないといけないのだが、趣がある京町家の入口はなかなか敷居が高い。営業時間中は暖簾を掛けて扉を開けておくことにすれば、知らぬ間に帰ってきていてもおかしくはないと思う。まあ、何年も営業している間に店のスタッフが帰宅する姿を見かけないというのは不審に思われるかもしれないが、16時過ぎの暇な時間帯にでも迎えに行くフリをしていれば誤魔化せるような気もする。
「今夜から鍵を掛けるから、明日以降に鍵が開いていなかったらよろしく頼む」
「はい、わかりました」
裏田君が返事をした。基本、出勤途中に魚の仕入れなどもするため、彼は田中君よりは早めに出てくる。営業開始後に田中君が出勤する時間はまだわからないが、問題はないと思う。
田中君も遅れて返事をしたので、鍵の受け渡しは完了だ。
住居部分は別の鍵なので、裏田君、田中君は俺の家の中までは入れない。まあ、俺がちゃんと鍵を掛ければ……の話だが。
鍵の受け渡しを終えた頃には時刻は15時となり、吉田さん、中村さんの2人が帰る時間になった。
田中君が作った試作品をいくつか今日は土産にして帰って行った。
その後、予定していたよりも少し遅れて消防署の検査が入った。
保健所と同じで自己紹介から始まり、書類上からの変更点の確認等を行った。もちろん、ベランダから奥庭に下りる固定型の避難梯子を設置したことも報告し、2階の避難経路として誘導灯代わりの蓄光シールを貼ってあることも伝えている。
思っていた通り、廊下や階段、店内の通路等に障害になるようなものは置いていないので検査は非常にスムーズに進んだ。
問題になったのは、薪ストーブ。製造元の都合でまだ設置できていないので、本体と配管などの実物が確認できない。ただ、これは設置完了後に再度確認に来るということになった。
1時間ほどで検査が終了した頃には、岡田君と本宮君のアルバイト2人が出勤し、田中君にカクテルの作り方を教わっていた。
うちの店はバルだが、バーではない。
カクテルを注文するお客さんがいても、ロングカクテルならバイトに任せる。ウィスキーなんかも同様だ。一方、シェイカーやミキシンググラスを使ってステアするようなショートカクテルだとかフィズは出す予定がない。ソムリエールの資格を持つ田中君なら出せそうな気がするが、そこまで客席側の仕事をしてもらうつもりはない。
「田中さん、下向きにした人さし指と中指の間にメジャーカップを挟んで持つ理由って、何ですか?」
本宮君がたずねた。
「何で、なんで?」
突然の質問に、田中君が困惑した表情をみせた。
バーテンダーにしろ、ソムリエにしろ、マニュアルに書かれた通りにしているだけなら、人さし指と中指の間にメジャーカップを挟む理由はわからない。
本宮君や岡田君のような素人からすると、人さし指と親指で持つ方が自然だから、不思議に思うのもしようがない。
「あ、オーナー。オーナーは知ったはります?」
運悪く俺がその場に居あわせたせいか、田中君が俺に助けを求めてきた。
「うちは教わったとおりやってきたんですけど、言われてみるとなんでやろって……」
「ボトルのキャップを開けるとき、左手でキャップを持って、右手でボトルを回す。そのままキャップを左手の中に持った状態で、今度はメジャーカップを使って計量するからだよ。で、メジャーカップを水の入ったグラスに入れたらキャップを締める。忙しい中、とにかく無駄な動きをしないための工夫だよ」
「……だそうです」
俺の説明を聞いた田中君が本宮君の方へと顔を向けて言う。
だが、今度は岡田君から質問がでた。
「ほな、なんで前に向いてお酒注ぐんです?」
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






