第432話
焼いてからあまり時間が経っていないロゼッタに歯を立てると、乾燥した表面が良い音をたてる。
俺以外は豚バラ肉を使ったポルケッタを挟んだものを食べている。
「あれ? オーナーだけ違うもん、食べたはるんです?」
裏田君が俺のランプレドットに気が付いた。外見はあまり変わらないので誰にも見つからないと思っていたのでびっくりだ。
「写真用にランプレドットのパニーノを作ったんだよ」
「アカセンでしたっけ」
「そうそう。アカセンマイのことをランプレドットと言うし、この煮込み料理もランプレドット」
返事すると共に、俺はランプレドットのパニーノに齧り付く。
こってり濃厚に見えるランプレドットだが、イタリアンパセリをたっぷりつかった爽やかなサルサ・ヴェルデの香りと、唐辛子とニンニクを漬け込んだオリーブオイルの辛味が見事に中和している。
「アカセンマイって何やったっけ?」
「さあ?」
吉田さんの声のあと、中村さんが首を捻ってみせる。相変わらず不思議な関係だ。
「牛の第4番目の胃袋ですわ。最初がミノ、2番目がハチノス、3番目がセンマイで、最後の4番目がアカセンマイ。関東ではギアラって言わはりますわ」
「へえ、そうなんや」
裏田君の解説に、吉田さんが軽く相槌を打った。
半日、裏田君についてもらう形で研修をしてもらったが、感覚的に3人はかなり親しくなったように見える。
「お客さんにたずねられたときに答えられる程度には覚えておいてください。ランチにも出す料理ですし、他にも2番目の胃袋でハチノスという部位を使った料理も出します。イタリア語ではトリッパと言います」
口の中にあるパニーノを飲み込み、真面目に説明した。
トリッパをトマト煮にしたものなど、日本で人気がある。だから、どこの部位なのかと聞かれて答えられないのは本当に困る。
俺の意図が通じたのか、吉田さんと中村さんが慌ててメモを書いている。ランプレドットという名前とアカセンマイやギアラとの関係まで覚えるとなるとメモする方が賢明かもしれない。
「ランプレドットって、僕もあまり食べた経験があらへんし、ちょっといただいてもいいですか?」
「あ、うちも」
「じゃあ、わたしも」
裏田君は体も大きいし、年齢的にまだ30台前半なので大丈夫だとは思うが、女性には結構重たい料理だ。しかも、ロゼッタは意外と大きいので、見た目のボリューム感も結構すごい。
「追加で1つ作って、3等分するなりすればいいよ」
「ミミルも食べる」
「あ、うん……」
追加で食べられるとなると、ミミルが参戦してくるだろうことくらいは予想できたはずだが、何故か気付かなかった。見た目は11歳くらいの子どもが大人に負けない量を食べるというのは、同じ歳くらいの子どもを持つ主婦からすると強い違和感を与えることだろう。
だからといって、ひとつを4等分して出したところでミミルは満足するだろうか。悩ましいところだ。
まだ食べている途中だが、俺は立ち上がった。
「じゃあ、新しいのを作ってくるから待っててくれ」
「あ、うちがやります」
数日後には田中君は厨房でパニーニやボカディージョを担当することになる。そのことを意識してか、自分で率先して作ろうとしてくれているのだろう。ありがたいことだ。
「そ、そうか。じゃあ、2個作って、両方とも半分に切る感じでお願いしていいか?」
「はい、挟む量は……オーナーの分と同じくらいでいいですか?」
「問題ない。ニンニクと唐辛子を漬けたオリーブオイルの瓶も一緒に持ってきて欲しい」
「わかりました」
元気のいい返事をすると、田中君が立ち上がって厨房へと向かって行った。
サルサ・ヴェルデはこちらに運んでいるし、追加で作るランプレドットは田中君に任せるとして。
「パニーノに挟むポルケッタの量なんだが、どうかな?」
「僕は丁度ええとおもいます」
「そうやねえ、女性には少し重いかも知れへんねえ」
裏田君と吉田さんが意見を述べた。残った中村さんは指先に顎を載せて少し考えるような仕草をみせたあと、返事をした。
「たぶん、薄うに切って解したはるからやと思いますけど、噛んだときのお肉の量とパンのバランスは丁度ええんです。でも、手にはずっしりと重いさかい、もう少し小そうてもええかなあと思います」
「あ、うちの言う『重い』もそういうことやし、です」
吉田さんが慌てて自分の意見に補足をつけた。
吉田さんはランプレドットも食べると手をあげたのだから、持った時の印象を率直に述べただけなのだと思う。
結論としては、肉とパンのバランスとしては3人とも同じで「丁度良い」の評価だが、女性からすると見た目に重い、というところだろうか。男性目線の裏田君としては、ボリューム的に問題ないという感じだし、実際に食べてみるとちゃんと食べ切れる量だというのもわかっては貰えたようだ。
「ありがとうございます。摘まんで食べられるピンチョスをつけるつもりなんですが、パンを少し小さくしましょうか」
少し質問の意図がはっきりしなかったのは俺が悪かったが、中村さんが的確に聞き取ってくれて助かった。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






