第426話
消防設備の確認が終わり、俺とミミルは外に出ていた。
時間が8時を過ぎたので今からなら商店街の突きあたりにある神社へと向かうことにした。
いつものように店を出て商店街のアーケードに入ると、中ほどで先日も立ち寄った魚屋の前に着いた。
「あ、まいど!」
何人か店員がいる中、先日の若い店員ではなく、年配の人に声を掛けられた。見た感じで言うと60代くらいだろうか。両肩に大きな瘤があるのが目立つ。
7月、ひと月かけて行われる祭の中で、神幸祭、還幸祭の2回、この市場の店主たちが参加する神輿の巡行がある。長年、そこで担ぎ手をしてきた人たちの両肩は大きな神輿だこがある。この商店街の振興組合が中心となって活動しているので、ほとんどは商店街の組合員――店主かその後継者であることが多い。たぶん、この人が店主なんだろう。
「お、おはようございます」
海外と東京暮らしが長かったのもあり、どうしても「まいど」という言葉がすぐに出てこない。
人生の半分ほどはこの近くで暮らしていたのだが、料理人として商店街の人たちと接する機会などなかったのも原因だと思う。
「今日はええ鰯がぎょうさん入ってますよ」
「ほう」
発泡スチロールに入った鰯は胴体に張りと厚みがあって、肛門がしっかりと締まっている。手に取ってみると、鰓は綺麗な赤で、目に透明感がある。体表にある黒い斑点もくっきりとしていて、非常に鮮度が高いことがわかる。
だが、店で使う分は裏田君に仕入れを任せているので、ここで俺が買うわけにはいかない。
「うちの仕入れ担当は裏田って子に任せてるんです」
「あ、裏ちゃんが新しく入った店って、おたくとこどしたなあ」
「ええ、優秀な人が入ってくれて助かってます」
「あの子は人気者やさかい、おたくも繁盛しはりますなあ。そちらはお子さんで?」
店主はミミルへと目を向けて、たずねた。
その視線に釣られるように俺もミミルへと視線を向け、答える。
2人の視線が自分に向いたことで、ミミルは慌てて俺の体を盾にするようにして背後へと隠れようとする。だが俺は握った手を引いてそれを阻止しつつ話す。
「ええ、最近になって日本にきたので、日本語はまだまだで。ほら、自己紹介して」
「ミ、ミミル、です」
小さな声で名前を言うとミミルは観念したのか、俯いたまま動かなくなった。
店主らしき人は、前屈みになってミミルと視線を合わせてたずねる。
「ミミルちゃん言うんか。歳はいくつや?」
「ひ、じゅ、11歳」
一瞬、ひやりとした。とはいえ、ミミルが実年齢を言ったところで店主からすれば冗談にしか聞こえないだろう。
店主はミミルの年齢を確認すると、どこか納得した様子で俺の方へと視線を変えた。
「そこらの学校に行かはるんかな?」
「いえいえ、外国人用の学校です」
「ミミル、インターナチョナルスクール、いく」
「インターナショナルな」
思わずツッコミを入れてしまった。
店主はつい噛んでしまうミミルを見て穏やかな笑みを浮かべていたが、思い出したように俺の方へと向き直った。
「ほんま、かいらしい子どすな。これ、食べるか?」
言うが早いか、店主は並んでいたムラサキウニをひとつ手に取り、殻を割っていく。
まだ棘がゆっくりと動いているのを確認できるくらい、新鮮なウニだった。
「あ、おかまいなく」
「いやいや、これは味見用やさかい気にせんでええで」
手際よく棘を切落して手で持てるようにしたウニに、スプーンを突き刺してミミルの前に差し出した。
ミミルは初めてウニを見るのか、それとも食べたことがないのか。いずれにしても、不安を隠すことなく顔に出して俺を見上げた。
「ほれほれ、今まで生きてたさかい、鮮度抜群やで」
「ほんと、すみません。ミミル、食べてみたらどうだ?」
「……ん」
食べる覚悟がついたミミルはスプーンを手に取り、口に運んだ。
口の中に入れると同時、塩気のあるウニの身が舌の上に広がって消えてしまったのだろう。ミミルは余韻に浸るようにうっとりとした顔で目を細めている。
「どうだ、美味しいやろ?」
「ん、おいしっ!」
店主が誇らしげにたずねると、ミミルは目を輝かせてコクコクと首を縦に振った。
「ほれ、もっと食べてええで」
「ん」
ミミルは遠慮というものを知らないから、何も言わなければ全部食べてしまうだろう。旬を迎えて身が詰まっているとはいえ、殻の中に入ったウニの身なんて、あっという間になくなってしまう。
スプーンを殻の中に差し込んで、ウニの身を掬いあげたミミルはまた目をキラキラと輝かせて口へと運んだ。
「それで最後にしとけよ」
「これ、おいしい。もっとたべる」
店主がもっと食べていいぞと言うが、この街の言葉には裏があることが多い。厚かましい子だとか、図々しい子だと思われれば、育てている俺の評価にそのままつながる。
「じゃあ、ウニをひとケース買います」
「おおきに!」
なんだか、うまい具合に店主に嵌められた気がする。
モデルになった市場には「~どす」という京言葉を使う年配の男性店主もいらっしゃるのでわざと使っています。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






