第424話
ダンジョン内で朝食を済ませると、店の奥庭へと戻った。
時計を見ると、午前5時40分とほぼ予想通りの時間だった。
ミミルは俺が片付けを済ませる少し前に戻っていて、裏口近くの従業員用トイレにお籠りになっている。俺よりも3分前早く第2層から戻れば、俺が地上に戻る頃には30分が過ぎていることになるわけだ。ミミルもよく考えてくれている。
事務室に戻る前に、俺は脱衣場に入って風呂の湯はりスイッチを押す。
『風呂、入れておくから先に入ってくれよ』
『了解した』
絶賛お籠り中のミミルに声をかけるにしても、念話ならトイレの前で話す必要がないのは便利だ。
ミミルが先に風呂に入る、というだけで今から更に1時間ほどの空き時間ができた。俺はその1時間で保健所の検査項目からチェックを始めることにした。
俺は2階にある事務室に入ると、引き出しの中に仕舞ってあった申請書類と検査項目一覧を取り出した。
飲食店を開業する場合は、保健所の営業許可が必要だ。
申請に必要な書類は、営業許可申請書だけなのだが、店の概要・配置図、食品衛生責任者設置届などが付属資料として必要になる。俺の店の場合は法人化されているので更に登記事項証明書も必要になる。
検査するのは保健所なので書類は衛生面に主眼を置いたものだ。例えば貯水槽や井戸水を使う場合は水質検査成績書等も追加で必要になる。もちろん、うちの店の場合は必要ない。
書類を提出してから2週間くらいして現地調査が行われる。調査項目は、人と建物、設備に関するものが対象だ。
まず、人に関するものだが、実在する食品衛生責任者が配置されていることを確認する。
食品衛生責任者は調理師免許や栄養士の資格を持っているか、食品衛生協会の講習に参加した実績があれば申請できる。うちの店では俺の名前で申請している。
次に建物に関する検査項目。これは、建物が衛生的で安全かどうかを確認する項目だ。
まず、壁は清掃が容易で防火性があり、火を使う場所は耐火性のある素材を用いていることが求められる。
壁の次は床だ。清掃がしやすいことは前提だが、特に厨房では水捌けが良いことが必須要件となる。
そして天井。ほこりが溜まって落下してきたりしないものが求められ、厨房に関しては耐火性があることが必須要件だ。
これら建物としての要件は設計段階から満たしていることは確認済みなので、正しく反映されているかどうかが現地調査のポイントになる。いまになって何か問題を見つけたからといってどうこうできるものでもないから、腹を括って検査を受けるしかない。
最後に設備面の検査項目だ。
まず厨房関係以外という意味では次の3つ。
・トイレは客と従業員で別になっているか
・従業員専用の手洗い専用設備はあるか
・従業員の更衣室が用意されているか
うちの場合、裏口に従業員用のトイレがあり、そこに従業員用の手洗い設備を用意している。客用トイレは縁側の先に2つあり、抜かりはない。また、更衣室は2階に男女別に用意している。
厨房側の検査項目も記載されている内容に従って、最終確認をしていく。
食材用、食器用のシンクが分かれているか。調理設備はすべて厨房内に収まっているか。扉付きの食器棚に食器が収納されているか。厨房に1つ以上の蓋つきのごみ箱があるか……等々、細かな項目が並んでいる。
俺は1つひとつの確認項目に目を通し終え、最後に食品衛生計画書をチェックする。
実は自治体が定める食の安全衛生管理認証制度というのがあり、認証を受けると認証マークを使用することが認められる。
第三者による認証を得ているという事実は、店を利用する客に対して安心感を与え、他店との競争においても大きなアドバンテージになる。だが、認証を得るにはHACCP(※)に対応した衛生管理マニュアルが必要で、俺の店の規模ではそこまでの制度対応は難しい。
だが、認証を受けなくても日々の記録作成が義務付けられている項目が2つある。ひとつは始業前の冷蔵庫や冷凍庫の温度測定と記録。もうひとつはトイレの清掃記録だ。
まだオープン前だからと手をつけていなかったので、今日の分から記録をつけることにした。保健所側から「計画書があるのに実施していない」と、指摘される可能性があるからだ。実際は開店前なのでいろいろと言われることは無いと思うが、経営者としてはちゃんとやっている体はつくっておきたい。
厨房にある冷蔵庫、冷凍庫を開けて設置されている温度計を確認し、俺は扉に貼り付けたチェック表にある今日の日付のところに署名をしていく。厨房を終えると、次は客席側カウンターの内側に設置した冷凍庫、冷蔵庫も同様にチェックした。
最後に客席側のトイレの清掃を行い、こちらも記録をつけた。
「これで保健所の検査項目は問題なしかな?」
俺は再び検査項目一覧を上から順に確認した。俺の視点では問題が無いように見えた。
ひと段落ついたところで時計を見ると、そろそろミミルも風呂から出てくる時間になっていた。
まだ消防署の現地調査項目が残っているが、俺も風呂に入ってから再確認することにした。
【HACCP】
Hazard, Analysis, Critical, Control, Pointの頭文字をとったもので、危害要因の分析と、その危害要因の排除・低減を目的として重要な工程を管理すること。
飲食店の場合は、食中毒を起こす感染症対策において調理、冷却等の面で厳格なルールを定めていることが求められます。特に加熱殺菌という点では、火の入り方を確認する方法を含む調理手順を料理ごとに定めてマニュアルに書き、バイトを含めて誰が調理しても同じ手順で確認できるようになっていなければならないようになっています。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






