第420話
続けて、ボウルにオリーブオイル、スライスしたトリューク、タイムとローズマリーを入れ、そこに切り出したファルの肉を入れて10分ほど漬け込んでおく。空間収納の中では時間が停止するので、事前にマリネしておく効果がないので仕様がない。
ボンベノルのファルファッレやギュルロのラぺを食べ終えてから、漬け込んだファルの肉を焼き始める。
漬け込んでいたオリーブオイルを流し入れ、フライパンを火にかける。フライパンの温度を少しずつ上げ、トリュークの香り、ハーブの香りが立ってきたらそれらを取り除き、ファルの肉を入れて焼く。
非常に脂肪の質が良い黒毛和牛や、豚などでは手で持つだけで脂身が溶け出してきたりするのだが、ファルの肉の融点は高いようだ。指で触れたところで溶け出してくる気配が殆どない。ファルに似た羊肉の脂肪が溶け始める温度は44℃と高い。その結果、人間の体内温度でも溶けにくいので分解、吸収されにくく、太りにくいとされているのだが、そういうところもファル肉は羊肉に似ている気がする。
しばらく火にかけていると、脂身の部分が白から半透明な乳白色へと変化して少しずつ溶け出していく。溶けて流れ出た透明な脂が赤身の表面を揚げるようにクリスピーに焼いていく。
成羊なら独特の匂いが立ち上がってくるはずだが、肉を裏返したフライパンから立ちのぼってくる香りはむしろ甘い。
表面がクリスピーな感じに焼きあがったファルのロース肉を皿に盛りつける。表面に残った脂はまだ熱く、肉の表面から溢れる肉汁が蒸発する音が食欲を刺激してきた。
いますぐにでも齧りつきたい衝動を抑えつつ、フライパンから一時的に取り除いたローズマリーやタイム、トリュークを飾り付け、刻んだリンキュメンを散らして出来上がりだ。
焼きあがったファルのステーキをのせた皿を持って振り返れば、ミミルが椅子に座ったまま左手にフォーク、右手にナイフを持ち、期待に満ちた視線を向けている。
そっと皿を差し出しつつ、ふと気になったことをミミルにたずねる。
〈ミミルが最も好きなのは何の肉だ?〉
自分の方へと差し出される肉を目で追っていたミミルだが、俺の突然の問いかけに一瞬、動きを止めた。
だが、すぐに目の前に差し出されたファルのステーキへと視線を戻し、姿勢を正した。
〈そうだな。肉の味はキュリクスが好きだが、好んで食べるのはファルだ〉
〈やはりそうか〉
〈ん? どうしてそう思った?〉
〈空間収納の食材を分けてもらうとき、入ってなかったからな。好きな肉だから手持ちがなくなったと思う方が自然だろう?〉
ミミルの問いに答えを返しつつ、自分の分を盛りつけた皿を片手に俺も椅子に座った。
ミミルのことだから、俺が知らない食材で美味しいから独り占めしようと出さなかった可能性も否めない。たが、塩を振って焼くだけ、というエルムらしい料理とは違った方法で調理されたファルを食べられるのなら、ミミルも在庫を放出するはずだ。
ミミルは俺の返事を聞きながら、左手のフォークをファルのステーキに突き刺し、右手で肉を切りだしていた。
表面はクリスピーに焼き上げているので硬く、なかなかナイフが入らない。
〈な、なるほど〉
〈この肉のどういうところが好きなんだ?〉
〈それはだな、ファルの肉を食べた翌日は……わかるだろう?〉
〈わかるだろうと言われても〉
すぐにわかるわけではない。
ミミルは何やら恥ずかしそうにこちらを見ているが、食べた翌日のことで、口にするのも憚られるようなこと、という感じだろうか。
更に、いまは食事中というのも考慮すると、便通のことだろう。
羊肉の場合、脂質が消化されにくいので排便が楽になる傾向がある。ファルの肉も同じ性質があるのなら、ミミルの言っていることもよく理解できる。
〈ああ、なるほどな〉
〈うむ〉
ミミルはナイフを持つ右手に力を込めてステーキを切り取り、口に運んだ。その小さな口に入るのかと心配になる大きさだが、半分くらいで噛み切ると、残りの半分を押し込むように奥に入れた。いつものように、両頬が膨らんだミミルの出来上がりだ。
その微笑ましい食事風景に、つい俺の頬も緩んでしまう。
これまでに肉をドロップした魔物は、第1層でホルカミン、第2層ではキュリクス、ブルンヘスタ、ルーヨ、ヴィース、ファル。
それぞれ、地球の獣肉で言えばウサギ、牛、馬、鹿、猪、羊に似た性質があった。
地球なら他に鶏や雉、七面鳥やホロホロドリ、合鴨、家鴨などの鳥類もいる。
ダンジョンでは鳥類は第2層にいたストゥールとラウン、グリンカンビ以外にまだ接敵していないが、第4層に入れば他の鳥がいるという話だ。
どんな鳥なんだろう、と考えつつ俺もファルの肉にフォークを突き立て、ナイフでひとくちサイズに切り取って頬張った。
ファルの脂で揚がったように焼けた表面はサクサクとした食感で、内側は中心まで暖かく入ったレアに焼きあがっていた。
ミルクのような香りに、濃厚な赤身の旨味が共存して実に美味い肉だ。
ただ便通だけの理由ではなく、ミミルが好んで食べるというのも理解できた気がした。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






