第416話
そら豆擬きのボンベノルはリズの群生地の奥にある安全地帯を抜けたところに自生していた。地球のそら豆は、太い茎が空に向かって伸び、分枝した枝先に数枚の雫型の葉が開く。その分枝の根元に花が咲き、鞘ができて中に実ができる。鞘がまっすぐ空に向かって生えることから空豆と呼ぶと言われていたりするが、実際は収穫の頃に実が熟成し、鞘の縫合線が黒くなってくると重さで垂れ下がってくる。鞘を割ると、白い綿状になった内果皮があるのが特徴だ。
ボンベノルは葉が逆三角形、と言うと地球のそら豆に似ているように聞こえるかも知れないが、妙に尖っている。
肝心のボンベノルの実は、茎から分枝した先に放射状に五本ほどの鞘がついている。パキラの葉が鞘になったような感じだ。
「……どんな花がついていたんだろう」
つい、思ったことを口に出してしまった。
それを聞いていたミミルが訝し気にこちらを見上げる。
〈ダンジョン内の食用植物は花が咲かんぞ?〉
〈え、そうなのか?〉
〈魔素で造られたものだから、花を咲かせる必要がない。花を咲かせるのは、観賞用と食用の花、花の魔物だけだ〉
〈それはなんか寂しい気がするな〉
〈なぜだ?〉
地球の農家の人たちは、花を愛で、自らの手を貸して受粉させて実らせるものも多い。そうして丁寧に愛情持って育てるという感覚を俺は理解できる。
一方、エルムヘイムに住む者にとって、食材とはダンジョンが魔素から作り上げてくれるものでしかない。
〈いや、なんでもない〉
〈相変わらず変なヤツだな〉
そもそも環境が異なるから価値観も異なる。説明してわかってもらえるかどうか、わからない。
収穫したボンベノルを空間収納から取り出してみると、地球のそら豆のように鞘に入っている。とはいえ、鞘の形も大きさも地球のそら豆とは違って、1粒ずつ、雫形の鞘に入っている感じだ。
リズはほぼ精米されたような状態で収穫されていたのに対し、このボンベノルは鞘のままで収穫されているのが不思議だ。
ボンベノルの鞘を割ってみると、中は地球のそら豆と同じで内果皮がある。そら豆の場合は、この内果皮の綿のような部分に栄養が溜まり、結実した豆が成長するに従ってこの内果皮の部分を栄養として取り込んでいく。
もしかして、と思ってボンベノルの内果皮の綿のような部分を摘まんで口に入れてみる。次の瞬間には舌の上で溶けてしまい、豆特有の青臭さなんかもなく、とても上品で甘い味わいだけが舌に残った。まるで上等な砂糖を使って作った綿菓子のようだ。
焼いたそら豆の内果皮も同じように食べることができ、食べてみると甘いのでそこまで再現されているのだろう。
〈ミミル、この綿の部分、甘くてうまいな〉
〈な、なんだと!?〉
ミミルも慌ててボンベノルの鞘を割り、白い綿の部分を手に取って口に入れる。
〈あ、甘い……〉
〈知らなかったのか?〉
〈ボンベノルには興味がなかったからな〉
〈なるほど……〉
お湯に塩を加えて茹でるにしても、鞘からは外さないといけない。それに、茹でるということは魔素が溶け出して抜けてしまうということだから、味も香りもない食べ物だけが残るという感じだったのだろう。
〈それにしても、これは大発見だ〉
〈いや、エルムヘイムの人口を考えたら、この白い部分を食べたエルムもいるだろう?〉
〈いるかも知れんが、私は話に聞いたことがない〉
〈そ、そうか〉
世俗とは隔離されたような環境で育ったミミルには、他の人たちがダンジョンで得た甘味などの情報も入ってこなかったのかも知れない。
〈何百年も損をしていた気分だ〉
〈そりゃそうだろうな、おっと〉
すぐそばでボンベノルを採集していたわけではないので少し大きな声で話をしていたせいだろう。突然、足元に穴が開いてそこから魔物が現れて爪先に噛みついた。
大きさは50センチほどで、全身が毛に覆われているが、鼻先と口元だけに毛が生えていない。他の特徴は爪が異様に大きいことだろうか。
肩から上の部分くらいだけを穴の外に出し、鉄板が入った俺のブーツの先に何度も噛みついている。
まったく痛くも痒くもないが、あまりガジガジと噛り付かれると皮の部分がダメになってしまう。
俺は噛みつかれた方の足を高く蹴り上げた。
地面から無理やり引きは剥がされた魔物は、4メートルほどの高さまで打ち上げられる。
〈ムルヴァだ〉
〈へえ〉
宙を舞ったムルヴァを見てミミルが言った。
エルムヘイム共通言語の加護によると、日本語だとモグラということになる。見た目の通りだ、と思ったところでムルヴァが四肢を広げた。広がったムルヴァの四肢の間には飛膜のようなものがあり、生意気にも空を滑空すると少し離れたところにある穴に向かって下りていく。
俺は逃がすまいと右手のナイフに魔力を流し込み、ヴィヴラのような魔力の刃を飛ばした。
魔力でできた不可視の刃は穴に入ろうとするムルヴァを縦2つに切り裂いた。
ドサリと音を立てて落ちたムルヴァの体は数秒して魔素へと還りはじめた。残ったのは琥珀色の魔石と、爪だった。
【参考】
そら豆だけで、空豆、蚕豆と二種類の字が存在します。他に天豆、四月豆、五月豆、一寸豆などと呼び方が変わるので、そら豆と書くのが憚られますね。
それぞれ実の生り方や収穫時期から名前がついているのですが、一寸豆は鞘の中の豆の大きさが一寸程度なのでその名がついています。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






