第411話
イカスミのパエリアは温めなおしたとはいえ、一度冷えているので魚介やイカスミの煮汁を米がたっぷりと吸いこんでいて、噛めば噛むほど甘味と魚介の旨味、イカスミの風味が広がる。
〈昨日も思ったが、濃厚でうまい。なぜ皆はあまり手をつけなかったのだ?〉
〈皆、デンシャに乗って帰るからだよ。ほら、この歯を見られるのは恥ずかしいだろう?〉
ニッと口元を開き、ミミルにみせる。それを見て、ミミルもニヤリと笑い、俺にみせた。だが、耐えられなくなったのだろう、アハハと声を出して笑い始めた。
その無邪気な笑顔をみて、俺は噴き出しそうになるのを寸でのところで抑えた。
相変わらず歯が黒くなるのは楽しいようだ。
このあと第3層に移動しても良いが、攻略するには3日はかかるとミミルが言っていた。1泊2日で何かをするにしても、行動範囲は限られていると思う。
だからと言って、いまから地上に戻ったところで時間的に中途半端になる可能性が高い。
〈今日はどうするんだ?〉
とりあえずミミルにたずねてみる。
昨日、キュリクスの肉はたっぷりと補充した。ルーヨやブルンヘスタ、ヴィースの肉は少量しか残っていない。そちらの肉を補充するのというのならやぶさかではない。
〈特にこれと言ってしなければならなことはない〉
〈他の肉はいらないか?〉
〈……ふむ〉
ミミルはスプーンを手にイカスミのパエリアを掬うと、珍しく口に運ばずにそれを見つめている。
その様子を見ていると、ミミルが俺の方へと視線を向けて言った。
〈この料理はコメを使っているのだろう? なら、このダンジョン2層でリズが手に入る。この第2層で手に入るのならば今後もダンジョンで料理をする際に使えるだろう〉
〈……そうだな、あると便利だ〉
〈では、そうしよう〉
次の瞬間、ミミルはすでにスプーンを口の中に入れていた。
確か、ダンジョンの出口の方へと進む場合、キュリクスのいる領域の次はブルンヘスタがいる領域。他の領域はまだ見たことがない。
どちらに向かうのかはこのあとのお楽しみ、といったところか。
また初めて見る景色、魔物を見ることができるのだから楽しみだ。
10分ほどで食事を終えると、ミミルはいつものように〈行ってくる〉と言ってお籠りになった。
その間に皿を洗い、簡易テーブル、椅子を片付けておく。
いまは焚火台もないし、簡易コンロも出していないのであっという間に片付けが終った。
暇つぶしというわけではないが、空間収納からメモを取り出し確認する。
アナログ時計
カバの生態
橋杭岩とキノコ岩
急がば回れ
【確認】空間収納の制限事項
【買い物】模造紙、分度器、機械式時計
そういえば、いくつかメモをしていたのを忘れていた。
そこまで急ぐ用件ではないので、今すぐ調べてどうこうするという必要はないだろうが、早めに地上に戻って説明するのも悪くない。
ダンジョン第2層は時間の流れが10倍になるので、2泊したところで5時間弱しか地上では時間が経っていないことになる。
ダンジョン内で食べる地上の野菜類を買い足したいので、市場にも行きたいところだ。
「そういや、明日は検査があるんだよなあ……」
消防署と保健所の検査、警備会社の工事が入る。開業直前の検査になってしまったのだが、これは水回りの工事や内装工事、厨房まわりの機器設置が終っていなければいけなかったのでしようがない。
基本的な準備はすべて済んでいるはずだが、いざ前日となると少し心配になってくる。
基本、保健所や消防署の検査項目で内装の設計段階から考えないといけないことはすべて織り込み済み。住居部分にまで誘導灯が必要だとは思わなかったが、2階事務所の場合は窓から出るルートを確保していないのなら住居部分を突き抜けて出られるようにしないといけないというのも理屈としてよくわかる。その点は林さんに感謝だ。
ダンジョン第2層だと、2泊3日しても地上では6時間しか経過しない。ダンジョンに入ったのは裏田君や田中君たちが帰ってからメニューを作り、風呂に入ったりしてからだったので遅めの1時過ぎくらいだと思う。
とにかく、保健所と消防署の検査項目の確認のためにも、今回はリズを取りに行ったら地上に戻ることにしたい。ミミルが戻ったら相談することにした。
*
〈ミミル、悪いがリズを取りに行ったら、地上に戻りたいと思うんだがいいか?〉
ミミルが戻ってくるのを待って、声を掛けた。
一瞬、ミミルは不満そうな表情をしたが、すぐに返事をした。
〈別にかまわないが、どうかしたのか?〉
〈店の準備でいろいろと確認したいことがあるんだ〉
〈しようがないな〉
と溜息を吐くように言うと、ミミルは眉尻を下げた。
地上は科学文明が進んだ世界。ミミルの目から見ても興味深いことがたくさんあるはずだ。免疫という観点でダンジョンに1週間も入らないと感染症が心配になるが、ダンジョンに入り浸るというのもどうなんだろう。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






