第388話
真鰯はマリネにするのと、シチリア風にベッカフィーコ、スペイン風の酢漬けにするのもいい。
鱸はカルパッチョ、連子鯛はアクアパッツァでいいだろう。
とりあえず料理の試作とメニュー写真を撮るために今日は10品くらいは作ろうと考えていたのだが、まるで俺の考えていたことを知っていたかのような買い付けだ。冷凍だがムール貝やアサリも用意してあるところが憎い。
そのラインナップを見て俺が親指を立てると、裏田君は嬉しそうに笑顔をみせた。
「とりあえず、田中君たちが下りてきたら自己紹介の時間にするから、そのあと魚の仕込みをお願いしていいか?」
「接客の説明とかしはるんですか?」
「まあ、ソムリエールがいるから基本は田中君に任せてもいいかなと思っているんだが……そうすると、ドルチェのサンプル写真を撮れないだろう?」
「ああ、そうですねえ。わかりました」
フルーツをふんだんに使ったり、フカフカのスポンジを使ったケーキのようなドルチェを出すことはあまり考えていない。あくまでもイタリアやスペインの地方菓子を中心に据えるつもりだ。だから、そんなに手間はかからないが、俺が作るというわけにもいかない。そこはパティシエールである田中君にお願いせざるを得ない。
「おはようございます」
「おはよう」
田中君がパートで働く2人を連れて厨房へとやってきた。
パートの2人の顔を見るに、かなり強張って見える。緊張しているのだろう。まあ、初日だからしかたがない。
「おはよう。とりあえず、客席の方に集合してもらっていいかな?」
それぞれに「はい」と返事をして、俺の後ろに続くようにして客席へと移動した。
客席に移動すると、ミミルが一番奥、庭に面した6人掛けテーブルに座って黙々と平仮名ドリルをしているのが見える。俺と裏田君、田中君にパートの5名を加えると6名だ。ミミルが座っているテーブルの方へと移動する。
『ミミル』
ミミルはかなり集中してやっていたようで、俺たちが近づいても気がつかなかった。仕様がないので一言だけ念話で声を掛けた。
そのひと言でミミルも俺たちが近くにいることに気が付いたようで、おもむろに顔を上げて俺たちの方へと視線を向けた。
「ミミル、自己紹介するから手を止めてくれるかい?」
「……ん」
坐ったまま自己紹介をさせるというのも何なので、ミミルにも立ち上がるように促した。
『他の人の前だから空間収納はつかわないように』
念のためにミミルに念話を入れておくと、単に『うむ』と返事が返ってきた。
とりあえずミミルが平仮名ドリルを畳み、立ち上がったところでスタッフの方へと視線を向けた。
パートの主婦2人は、何でこんなところに子どもがいるんだ、とでも言いたそうな顔をしていた。納得できなければ根掘り葉掘りたずねられそうな気がするので、しっかりと説明することにした。
俺は、喉の調子を整えるようにまず軽く咳払いをし、話をはじめた。
「ああ。改めておはようございます」
「「「「おはようございます」」」」
意外にも全員が声を揃えて挨拶を返してきたので少し焦った。だが、平静を装って何事もなかったかのように話を続けることにした。
「まずは全員の自己紹介だな。最初は俺からだ」
突然自己紹介をしろと言われてもできない人も多い。ここは俺から始めて、どんな内容を話せばいいのか最後に付け加えるとしよう。
「レストランバル『羅甸』のオーナー、高辻将平です。生まれは下京区で36歳。高校卒業してから調理師学校へ行って、そこからイタリア、スペインで10年ほど修行してきました。それから東京のホテルでスーシェフを数年。今回、自分の店を持つことになりました。イタリアやスペインの家族的な明るい雰囲気の店にしたいので、楽しくやっていきたいと思っています。よろしくお願いします。
……という感じで、出身地とか、家のこととか、家族構成とか、趣味だとか……差しさわりのないことを話してくれればいいですよ。と、いうことで次は裏田君」
何の前触れもなく裏田君に話を振ったが、彼も体育会系の人だから自己紹介には慣れているはずだ。
裏田君がまずは軽く頭を下げてから話し始めた。
「あ、どうも。副料理長の裏田です。伏見区から通てます。えっと、32歳で、家族は嫁はんと小6の娘、小4の長男がいてます。身長は188センチです。高校のときまでバレーやってたんですけど、怪我で料理人に転向しました。仕事は楽しゅうをモットーにしてます。よろしゅうたのんます」
身長を聞いて、おおっという声がパートの2人から聞こえる。裏田君は高身長で童顔、更に小顔だから女性にもてるだろう。妻子持ちであることはしっかりアピールしていたが、パートの2人は主婦なのでそのあたりは気にしなくていいと思うのだが……いいはずだよな。
自己紹介が終って俺から拍手を送ると、他のメンバーも拍手する。もちろん、ミミルも見様見真似で拍手している。
「さて、次は田中君。あ、年齢は言わなくてもいいから」
俺は全員の年齢を知っているから別に教えてもらう必要はないんだよ。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






