第387話
裏田君が出社して暫くすると、イタリア食材を中心に扱うマーレ商事の担当――清水さんが食材の納品にやってきた。
我々のような飲食店は様々な種類の食品、複数のメーカーの調味料等を必要とする。米や小麦粉、乾燥パスタに岩塩、砂糖、グラニュー糖、ホールトマト缶、ボッタルガといった日持ちのする商品から、乳製品、野菜、肉類……これらを個別の業者から仕入れていたら、仕入れそのものが煩雑になってしまう。
食品卸業者が間に入ることで仕入れの業務がとても楽になるのだが、イタリア食材となると専門性の高い業者に世話になるのは仕様がない。
肉類や野菜、魚については食肉卸と青果卸、市場の魚屋にお願いするし、その他の仕入れについては裏田君に任せている。おそらくこれまでにつきあいのあった業者から誠実で良心的なところを選んでくれているはずだ。
南欧料理店をするうえで必要な食材が次々と運び込まれてきて、調理台の上にどんどん積み上げられていく。裏田君が伝票を見ながら納品された食材や調味料を確認している。注文をしたのは裏田君だから、彼に任せるしかない。
『風呂からあがったぞ』
ミミルから念話が届いた。俺が厨房にいることを念話で返すと風呂上がりで上気した顔でミミルが現れた。今日はゆったりとした白のプリントTシャツにデニムのショートパンツを選んだようだ。
「お、ミミルちゃん、おはようさんです」
「……お、おはよ」
裏田君にはかなり慣れてきたと思っていたが、ダンジョンに入って2日も寝泊まりしていたのもあって少し小恥ずかしそうだ。
「あとで呼ぶから、それまでは2階にいたらどうだ?」
「……ん」
少し寂しそうにミミルが返事をした。
別に邪魔になるからとか、そういう理由で言ったつもりはない。ただ、ミミルへの伝わり方は違うかも知れない。
「字の練習をするなら客席に座っていてもいいぞ?」
「ん!! そうする!」
先ほどの表情と打って変り、とても明るい声と満面の笑みでミミルが返事をした。
2階の部屋で独り寂しく過ごすよりも、多少なりとも人の出入りがあって騒がしいくらいが良いのかも知れない。それに、今日のうちにパートとバイトの4人に紹介しないといけないのだから、わざわざ二階に行って連れ出してくることを考えると客席にいてもらった方が良い。消しゴムのカスはいつも器用に空間収納へ仕舞っているようなので、その点も気にしないで良さそうだ。
「清水さん、少しいいですか?」
「はい、何でしょう?」
イタリア食材を扱う専門卸の担当者がいるのを見て。ダンジョン内で少し困っていたことがあったのを俺は思いだした。
「店とは別に、個人でいくつかお願いしたいものがあるんだけど、そういう注文って受けてもらえます?」
「はい、内容にもよりますけど、大丈夫ですよ」
「それはありがたい。ではグアンチャーレ、パンチェッタを……」
清水さんがメモを取り出すのを待って、俺は思いついた食材と欲しい量をつらつらと並べていく。
地球上では保存食として作られるソーセージやベーコン、生ハムなどをダンジョン内で作ることはできないので、まとめて買っておくことにした。
他にも、アンチョビやオリーブオイル、オリーブの実、トマトの水煮缶などもあわせて注文しておく。
清水さんは慣れた感じで、指定ブランドの有無やパッケージサイズに応じた購入量の提案をしてくれた。
専門的な食材と、注文単位のせいで非常に高額になってしまったが、空間収納に仕舞う食材だから賞味期限や消費期限を心配する必要がないので良しとした。
マーレ商事の清水さんが帰る頃になって、次々と業者が納品にやってきた。食肉卸、鶏肉卸、青果卸に食品卸……片付けるよりも先に調理台の上に積み上がって行くのでパスタ生地を打つこともできなかった。
営業開始まであと5日もあるので生鮮品はほとんど頼んでいないことを考えると、食材の量としてはこれでも少ない方だ。
「おはようございます」
「おはようさんです」
業者が食材を運ぶ中、田中君が出勤してきた。
「おはようございます。田中君はとりあえず着替えておいてくれるかい」
「はい、パートの方も来たはりますけど、どうします?」
「更衣室を案内して、一緒に着替えてもらえばいい。あとタイムカードの場所を教えてあげて欲しい」
「わかりました。着替えたらホール側にいればいいですか?」
「そうだな、そうしてくれるか」
はい、と返事をして田中君は既に店の外で待機していたパートの2人を呼びに行き、隠し階段から2階へと上がって行った。
裏田君が時間指定をしていたのか、見事に11時前にはすべての業者が搬入を終えていた。
届いた食材を見て、俺は魚だけは近くの市場にある鮮魚卸から仕入れることにしていたのを思い出した。
「そういや、今日は魚を買ってないな……」
「大丈夫です。僕が頼んどきました」
知らないあいだに届いていた魚を裏田君がみせてくれた。
もうすぐ6月ということもあるのだろう。真鰯に鱸、連子鯛など旬の魚が発泡スチロールの中に詰め込まれた氷の間から見えた。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






