第385話
『これでどうだ?』
『ひとことではわからないよ』
『むむっ……』
風呂から出て服を着たところでミミルを呼んだ。
再度、念話の糸を繋ぎ直してもらうためだ。魔法のひとつなのだから俺も覚えられるなら覚えた方がいいのだろうが、1時間そこそこで他のスタッフが全員揃うことを考えると余裕がない。
それに、俺から念話の糸をつながないといけないような相手はいないから、覚えるにしても急ぐ必要はない。
『念話の糸というのは、いろんなつなぎ方があるのかい?』
『う、うむ。家族や恋人、友人と繋ぐことはよくある。また、職場で念話を使うという話もよく聞く。それにダンジョンに入る際だけ臨時的に繋ぐ場合もある。特に目上の相手に接続することを考え、相手に応じて話し方を変えるように魔力の糸を接続する際に意識しておくのが一般的だ』
チャンネルに応じて話し方や伝わり方を変える感じだろうか。相手の顔や表情が見えない状態で話をするのだから、目上の相手に話さないといけないときには間違いが起きないというのは便利だと思う。
『私の場合は魔法師団の筆頭という職務上、どんな用件であっても必ず面会して話をする。それは相手が国王や宰相であっても同じだ。そのような目上にあたる存在に念話で話すなど不敬であろう?』
『そうだなあ』
『それに魔法師団の同僚からすれば、筆頭である私に念話で報告するなどありえないことだ。だから、私は妹とだけ接続していたのだが……他の念話をすることがないので、しょーへいを妹と同列に繋いでしまったようだ』
念話の糸がどのように口調を変えているのかが理解できないが、とりあえず当初の目的である「念話時の口調を普段の話し方に合わせる」というのはできているように思う。
〈ああ、うん。普段の話し方に近くなったよ。もう念話でなくていいぞ〉
〈む、そうか〉
〈別にこちら側の口調をさきほどまでの念話みたいに変えてもらってもいいんだぞ?〉
〈いや、これは長年の癖だからな。妹に対してもあまり変わることがないし、簡単に変えられるものではない〉
〈ああ、そうだな。わかってるよ〉
ダンジョン内の生活日数を合わせると600年かけてつくった口調なのだから、数年で「変えろ」だなんて言えるわけがない。だが、エルムヘイムに帰ることができないのも事実だ。少しずつ崩してもらってもいいとは思う。
だが、無理して変えてもらう必要はない。
〈とりあえず、地上ではニホン語で。ダンジョン内はエルムヘイムの言葉で話すことにしようか〉
〈うむ。ダンジョンの魔物はエルムヘイム共通言語で名付けられている。それを無理にニホン語にして会話する方が不自然だ。それに、魔物との戦闘中にニホン語で話すと正しく意思疎通できないからな、危険極まりない〉
〈そうだな、俺もそう思うよ。でも、地上では基本は日本語。わからないときは念話を使ってくれ〉
〈わかった。そうしよう〉
とりあえず、念話の問題は片付いたと言えそうだ。
残る懸念事項は……ポケットに入っているメモを見て考えるとしよう。
「手間かけさせてすまなかった。ありがとう」
「いい。ミミル、おふろ、はいる」
「ん、ああ。ごゆっくり」
「……ん」
風呂に入るというミミルを脱衣場に残し、俺は厨房へと向かって歩く。
時計を見ると、時刻はもう少しで9時半。
10時になれば裏田君と田中君が出勤してくるだろう。パートの女性陣は営業開始の11時より少し早いくらいの時間に出てくると思う。
ポケットから取り出したメモの皺を伸ばしながら、書いたことを確認していく。
ダンジョンに入ってから書いたものだけをピックアップしてみると、キーワードだけなので何がどうしてメモするに至ったのかも思いだす必要がある。
アナログ時計
カバの生態
橋杭岩とキノコ岩
急がば回れ
書いてあるのはこれくらいだ。
アナログ時計以外は調べものばかりだから、店の方を終わらせてからミミルと調べることにしようと思う。アナログ時計は……これも店が終ってからでいい。
とりあえず急ぎの用事は無いことに安心し、ほっと息を吐いた。
見あげると事務所天井から飛び出た配線が目に入る。
ダンジョンで寝泊まりすると地上の時間感覚が狂うので困るが、防犯設備の工事は明後日のはずだ。
「あ、冷蔵庫か!」
防犯システムを設置すると部屋から移動するたびに解除しないといけなくなるから自室に冷蔵庫くらいは買うことにしたのを思い出した。
慌ててネット通販のサイトを検索し、飲み物を冷やすためだけの冷蔵庫を検索する。酒や飲み物を置くのがメインだから、大きなものは要らない。
でもホテルの部屋に置いてある冷蔵庫って、夜中に結構大きな音がする。それに製氷皿とかを入れると氷ができるところがあるが、定期的に霜取りが必要だと聞いたことがある。
いや、待てよ……これから夏になればアイスクリームなんかも仕舞っておくことになるかも知れない。ならば、やはり冷凍庫も必要だ。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






