第375話
〈地上の食材が半分以上を占めていると大丈夫なんだろうか?〉
〈エルムヘイム産の草や根の場合は何をしても駄目だ。だが、チキュウ産の草や根は違うというなら、その理由があるのだろう〉
エルムヘイム産の野菜とダンジョン産野菜を組み合わせても駄目ということなら、地球の野菜だけに存在する何かが原因と言うことになる。ダンジョンとエルムヘイムにあって、地球に無いもの。
〈環境的な違いとなると、魔素があるかどうかくらいだよな〉
〈うむ。チキュウの草には魔素が含まれていない。だから、チキュウ産の草と煮た場合、ダンジョン産の草から溶け出した魔素を、チキュウ産の草が吸って蒸発を防ぐのかも知れん。確証はないがな〉
〈だが、コウルを使った料理は……ああ、麺の方も植物の実を粉にしたものだからか〉
〈おそらくな〉
ブロッコリー擬きを使ったアンチョビのオレキエッテは、オレキエッテを除けば地上の食材はほとんどない。だが、オレキエッテも主に地上の小麦で作ったものだから上手くいったってわけだ。
ミミルの説が正しいならば、ダンジョン野菜を使う際は、半分以上を地上の食材が占めるようにする必要がありそうだ。
〈今度、地球の食材を半分以上使ってダンジョン野菜のミネストローネに挑戦だな〉
〈うむ、別になくてもいいのだぞ?〉
〈いや、野菜は大切だ。魔素として吸収するにしても、食べる習慣がないとチキュウでの生活に困ることになる〉
〈ふむ、そんなものなのか〉
ミミルには地球上に存在するウィルスや様々な細菌がどのような悪影響を俺たちの身体に与え、どのような恩恵を与えてくれるか、食物繊維が如何に大切か、という話を充分にできていない。
〈ダンジョン産の野菜のことはわからないが、チキュウの野菜には食物繊維が含まれているんだ。内臓を掃除する役割があるんだよ。だから、チキュウにいる間は定期的に野菜を食べた方がいい〉
〈ふむ……掃除ということは?〉
〈前にも言っただろう。お通じがよくなるってことだ〉
〈ふむ。確かそんなことを言っていたな〉
朝食後に30分くらいはお籠りになるんだから、それが楽になれば……いや、時間に追われて生活している現代人と違って、600年近い年月を過ごしているミミルからすれれば、朝の30分などたいした時間ではないかもしれない。
〈それに、チキュウには微細な生物がいるという話をしただろう?〉
〈うむ、ダンジョン内にいれば気にする必要はないぞ〉
〈ダンジョンに入れば死滅してしまう。だから、俺の体内も、ミミルの体内にもその微細な生物はまったくいないということになるんだ。でもそれは都合が悪い〉
〈どういうことだ?〉
〈まず、どのくらい微細なのか、どういう種類があるのかを説明するとだな……〉
先ずは微細な生物として細菌の存在から説明した。だいたい髪の毛の太さの300分の1程度の大きさしかないこと。ウィルスは更にその10分の1くらいの大きさであること。地上で生活している人は、等しく数百兆個の常在菌が付着した状態で暮らしていること。菌を用いて食べ物を発酵させることで酒や醤油、味噌、酢、ヨーグルト、チーズ、漬物等々の食品が作られること。逆に、毒性を持つ病原菌の場合は病気の原因になることなどを説明した。
〈ふむ、エルムヘイムにも酒はあるし、オストもあるぞ〉
〈うん、それなりに魔素に強い菌がいるんじゃないかな、と俺は思ってるよ。それでだ……〉
ここからが本題なんだよな。
〈魔素の力で常在菌や病原菌が死滅してしまうと、病原菌に抵抗する力が低下する。つまり、病気に罹りやすくなる〉
〈む、どのくらいだ?〉
〈ほぼ絶対に発症するだろうな〉
食中毒の場合は1日で発症することもあるし、病原性大腸菌のO157の場合は数日後にベロ毒素の影響が出ると聞いた。梅毒なんかは数か月後に発症したりするが、単純な風邪や風疹などの感染症の場合は数日から1週間ってところだろう。
〈だったら、毎日ダンジョンに入っていればいい〉
〈単純に考えればその通りだ。でも、動けなくなるような怪我をしてしまったときはどうする?〉
〈ダンジョンで治療すればいいではないか〉
〈回復魔法がない以上、チキュウの医療の方が進んでいると思うぞ? 地球なら四肢を切断しても、縫合して繋ぐ技術はある〉
〈むう……〉
以前、回復魔法がないとミミルから聞いたとき、可能なのは魔力を用いて回復力を高めることくらいだとミミルは言っていた。回復魔法が存在しない以上、エルムヘイムでは麻酔などもないだろう。その場で焼いて止血したり、傷口を凍らせたりして塞ぐことくらいしかできないと思う。
地球なら失った腕や足が残っていれば、縫合することも可能な場合がある。だが、縫合できたとしても感染症対策は必要だ。逆にその場合はダンジョンの中にいる方がいい。
〈とにかく、毎日ダンジョンに入っていられるわけではないから、チキュウにいる間は細菌やウィルスへの免疫力をつけるための食習慣が大切だと思う。それには野菜はとても大切な栄養なんだ〉
〈ふむ……〉
小さく呟いたミミルの表情はどこか不満げだった。
この物語はフィクションであり、実在の人物・地名・団体等とは一切関係ありません。






