第371話
僅かとはいえ、風上に立っている以上は体臭で気づかれる恐れがあるため、俺とミミルは一定の距離を開けたまま、エルムの木を中心にして右側へと静かに回り込んだ。
『今回も最初の一撃は任せていいかな?』
『うん』
日本語で話すときとも、エルムヘイム共通言語で話すときとも印象が違うのでなんだか調子が狂う。
とはいえ、着々とラウンへと近づいていくわけで、20分ほどで風下側でミミルの攻撃が届く位置にまで移動した。
〈――ランムッサ〉
ミミルが呟くと、枝の上に留まったラウンの頭上に白く小さな輪が浮かびあがり、乾いた破裂音が響く。
同時にエルムの木の枝から黒い塊が落ちてきた。
慌てて駆けよってみると高圧電流が流れたせいでラウンは完全に麻痺状態に陥っている。だが、結構な高さから落ちて来たというのに骨折などはしていないようだ。頭を地面にぶつけるということがなかったのだろう。
俺は地面でピクピクと痙攣しているラウンの両足を掴んで吊るし、腰のナイフを抜いて首を切り落とした。切断した首から滝のように血が噴き出すのだが、すぐに身体は魔素へと還っていく。
ポロリと落ちた魔石は濃い青紫色。残念だが卵はドロップしなかった。
すぐに落ちた魔石を拾って水の魔法で洗浄し、指先で摘まんで日の光に翳してみる。僅かに白や黒い模様が混ざっていて、渦を巻くような模様を描いている。
〈む……〉
少し唸るようなミミルの声がする。
〈次元属性の魔石だ。別名、空間の魔石という〉
〈これで何か作れるのか?〉
〈うむ。以前、しょーへいが私に質問した、収納袋を作るために必要な魔石だ〉
〈おおっ! ってことは、空間収納の技能を手に入れなくてもいいってことか?〉
いま、ミミルは〈収納袋〉と言ったか……それでも俺にとっては充分だと思う。
〈いや、ダンジョンを踏破するなら空間収納の技能は必須だ。完全に両手を空けて戦うことができるというのは大きい。それに、背中に背負うにしろ、肩に掛けるにしろ、回避の際に引っ掛けられれば怪我の元にしかならん〉
〈ああ、うん。そうだな……〉
確かに魔物の攻撃を紙一重で躱した先に背負った鞄があるとか、考えただけでもぞっとするな。
ギリギリの戦いになることもこれまで何度もあったわけで、荷物を背負って同じことをしろと言われてもできる自信がない。例えそれが中身のないただの紙袋であったとして、間違いなく邪魔な存在になる。
〈これは貴族の従者のような立場の者が持つものであって、我々のように魔物と戦う者が持つものではない。どうしてもというなら、地上の荷物を収納するためだけに袋を作ろう〉
〈そうだな。今後は荷物も増えることだろうし、そのために使う前提でいいよ〉
2階の住居部分には廊下に壁面収納を並べているのである程度は荷物を収納できる。だが今後もあれやこれやと買っていれば足りなくなる。ミミルの言う〈収納袋〉があれば、その心配もない。
〈必要なのはパッダの皮に、マスヴィンの頬袋、あとはロッドスピンデルの糸が必要だな。ロッドスピンデルは第四層にいる〉
ミミルのいう〈マスヴィン〉というのはカミツキネズミのこと。頬袋から大粒の砂金をドロップした魔物だ。あの頬袋はあきらかによく伸びる素材だから、収納袋を作るのに使うというのも納得できる。パッダ――ヒキガエルも鳴き声を出す際に喉袋を膨らませるから、いい素材になるんだろう。
4層にいるという〈ロッドスピンデル〉はもちろん見たこともない魔物だが、エルムヘイム共通言語で「赤い蜘蛛」を指す。
それらの素材、すべてを集めないといけないとなると大変だ。
〈手持ちにある材料でなんとかならないのか?〉
〈マスヴィンの皮は、しょーへいが着ている服に使った。ロッドスピンデルの糸も収納袋を作るほどは残っていない〉
〈第1層と第4層か……〉
〈パッダの皮も足りていないぞ。そんなに需要が無いから元々手に入れていないからな〉
〈そうなのか……じゃあ、明日にでもいくか?〉
食いつき気味の俺の返事を聞いて、ミミルは呆れたような顔をしてみせる。
〈最優先すべきはしょーへいが空間収納を覚えること。収納袋は二の次だ〉
〈あ、そうだな。すまん……〉
後頭部を指先で掻きながら反省するが、気になって仕方がない。
実際にミミルが空間収納を使っているところを見ているから、空間収納のスキルそのものはイメージができる。だが、収納袋とやらは見たこともないので、つい国民的アニメの猫型ロボットが使うものを想像して舞い上がってしまった。
いざ戦闘となったときに邪魔になることは理解しているはずなのだが、どうにも大人気がない。
ふと視線を第3層の太陽へと向けると、とても高いところにある。ちょうどお昼時といった感じだ。
〈そろそろ昼飯の準備をするか……〉
〈そうだな〉
すぐにミミルが簡易コンロや簡易テーブルなどを空間収納から出して並べていく。
それらを並べたら食事の用意だ。
ダンジョン野菜は煮込むと旨味が抜けてしまうから扱いが難しいが、いろいろと試してみるとするか。
この物語はフィクションであり、実在の人物・地名・団体等とは一切関係ありません。






