第351話
〈そうだが、それがどうかしたか?〉
返事をするミミルには違和感がないようだ。安全地帯なのに川の中に魔物がいることを不思議に思わないのだろうか。
〈ここは安全地帯、でも川の中には魔物がいるじゃないか〉
俺の意図が理解できたのか、ミミルは少しあきれたような表情をみせた。こんなこともわからんのか、とでも言いたそうな雰囲気だ。
〈川岸であるここ……ここは安全地帯だ。だが、川の中は違う。それだけだ〉
〈ああ、なるほどっ!〉
ミミルが足もとを指さしながら説明した内容を即座に理解した俺は、素直に感心した。
どんな魔物にもこのダンジョン内に住む領域というものが与えられているとしたら、川に生息する魔物は川の中に生息領域があるわけだ。だが、陸上の魔物と違って川は細くて長い。だから、川そのものがその魔物の領域として扱われるというわけか。そういえば、以前釣りをした時も自分たちは安全地帯である中州にいた状態。川の中だけが魔物の領域になっていたわけだ。
「なるほどねえ……」
ようやくこの世界――ダンジョンの川のことを理解した気がする。もしかすると他にも驚くようなことがあるのかも知れないが、そのときは同じくらい驚き、感心すればいい。同じように草原には草原の、山には山のルールみたいなのもあるのかも知れない。これはまた楽しみだ。
〈変なヤツ……〉
ミミルが小さく呟いた。
もしかするとまた口角が上がってニヤニヤと笑って見えたのかも知れない。でもいいだろう、気にしないことにしよう。ミミルにとっては当たり前のことでも、ダンジョン初心者の俺にとっては不思議なことだ。せっかくダンジョンの謎の1つが解けたのだから、嬉しいものは嬉しいんだ。
〈橋はあそこに見えるだろう。あそこまで移動するぞ〉
〈あ、うん。でもあれは……〉
思わず言葉に詰まる。ミミルが指さした先に見えるのは飛び石だ。
〈ニホンでは〝トビイシ〟と言って、橋ではないなあ〉
と、ミミルに向かって告げる。
〈橋脚のようなものだから、元は橋だろう?〉
下から見上げるようにしてミミルが言う。俺としてはあまり細かいことを言いたくないし、ミミルが言いたいことも理解できるのだがこればかりは譲るわけにはいかない。なぜなら……
〈いや、正直〝トビイシ〟と呼ぶのもおこがましいくらいだぞ?〉
100メートルほど先に見える飛び石は、川の水面から結構な高さがある岩の柱……川の浸食で岩が削られたあとなのだろう。和歌山の串本にある橋杭岩のように凸凹とした岩がまっすぐに並んでいる。ミミルは元々そこに橋があり、橋脚だけが残っているのだと思っているようだ。
〈あれは元々川をせき止めるようにあった岩が、水の勢いで削られたものなんじゃないのか?〉
〈そんなことがあるのか?〉
〈ああ、チキュウでは珍しいことでもなんでもない。海の波で穴が開いた岩なんかもあるぞ〉
〈そ、それくらいはエルムヘイムにもある。ただ、川にはない〉
自信満々でミミルは俺に言い放つ。確かに川の流れで削られて橋杭岩のようなものができたというのは聞いたことがない。いや、カッパドキアのキノコ岩群はそれに近いのかな。
〈チキュウには似たようなものがあるんだよ〉
〈戻ったら教えるように〉
〈わかったよ〉
またポケットからクシャクシャのメモ用紙を取り出し、〝橋杭岩とキノコ岩〟と書いてぐるぐると丸で囲っておく。
メモ用紙をポケットに仕舞っているとミミルがまた魔法で岸辺のススキ擬きを刈りはじめた。川の水面までは5メートルほどあるので、岸に沿って草を刈って進むということなのだろう。それに川に住む魔物は魚だけとは限らない。もしワニのような魔物がいるとすれば、下手に川岸まで下りて行くのは非常に危険だ。
草を刈って道を作りながら進むこと4分程度。俺とミミルは橋杭岩のような奇岩が並ぶ場所へと無事到着していた。
「問題はここからだよなあ……」
長年の風雨に晒されたせいか、あちこちで岩肌が崩れ落ちていて、見るからに脆い印象を受ける。高さは5メートルくらいあるから、飛び乗ったりすると壊れそうな気がして心配だ。ミミルなら体重も軽いから問題ないかも知れないが、俺の体格だと危ないかも知れない。そんなネガティブな思考を始めると、どんどん不安になってくる。
残っている岩の先端と先端の距離は5メートルから7メートル程度の間隔だ。普通の人間なら立ち幅跳びで飛べる距離ではないが、ダンジョン内で強化された俺の身体なら余裕で飛べる距離でもある。でも、不安は岩の強度だけじゃない。
「力加減もわからないなあ……」
いざ目の前で5メートルほど先にある岩の先端に着地するようジャンプしろと言われても、どの程度の角度で、どのくらいの力を入れてジャンプすればいいのか全くわからない。
普段、魔物と戦っている間は無意識に飛んだり跳ねたりしているが、力加減などしていないから仕様がない。
いったいどうすりゃいいんだろう。
この物語はフィクションであり、実在の人物・地名・団体等とは一切関係ありません。