第336話
テーブルには既にミミルが待ち構えるようにして座っている。
炭水化物多めの食事になってしまうが、野菜たっぷりのスープを用意したのだから、是非パンと共に食べて欲しい。
最後に田中君が焼いてくれたプティ・バタールを食べやすいサイズに切って軽く焚火で炙ったものを差し出す。
鍋の蓋を開けると、中のダンジョン野菜のミネストローネは何故か淡い赤色へと変わっていた。
ダンジョン産のトマト――ロバシンは唐茄子の絵のように凸凹とした表面をしているが、色は黄色。鍋で煮込み始めた時も黄色かったのだが、仕上がってみると普通に地球のトマトで煮たような色になっている。あと、ギレナベアナも赤い鞘をしていたのが、緑色に変わっている。
地球でも紫アスパラガスの色はポリフェノールによるもので、茹でたり、焼いたりすると緑に変わる。レッドキャベツの色もポリフェノールで、火を通しても色が変わらないが、酸性になると赤色になり、アルカリ性になると青、緑、黄色と変化していく。
地球にそんな野菜があるんだから、ダンジョン内の野菜もポリフェノールに似た成分を持っているのかも知れない。いや、複製元になった世界にある野菜がそんな特徴を持っているんだろう。
味見のため、小皿に少量を掬い取って口に流し込む。
灰汁のときと同じで、味がすっきりとしている。良いように言えば上品……悪く言えばコクがなく、平べったい味。
ロバシンの酸味が抜けているのは驚きだ。
舌の上で味を感じる部分である味蕾は甘味、苦味、酸味、塩味、旨味の五味に対し反応する。渋みはタンニンなどの作用で舌が収斂することで起きる反応だし、辛味は高温や冷温を痛いと感じる神経を刺激する。つまり、人間は、五味に加え、辛味、渋み、舌触りや歯応え等も含め総合的に食べ物の味を捉えている。
ダンジョン産の肉は実に美味しいが、残念だが野菜は良いところばかり集めて作り上げた味だ。苦味、渋みなどが足りていない。
どうしようかと悩むと共に、思わず唸るような声が出てしまう。
だが、ミミルが野菜を嫌う理由がわかった気がする。
煮詰めたところで、元から存在しない渋みや苦味が何とかなるものではない。かといって、手元にあるものでは味の調整が難しい。地上の野菜を足すと、どんどん量が増えてしまう。
料理人として誠に遺憾だが、今回はこのまま出すとしよう。
出来上がったミネストローネを皿に装い、ポヴェレッラと共にミミルの前に置く。
例によって俺が座るまでの間、「待て」をされた犬のようにジッと料理を見つめている。
シェアする料理ではなく、一人前ずつの量を用意しているから先日の焼き肉のように先に食べ尽くされる心配も無い。「いただきます」をすれば、先に食べてもらって全然問題ないのだ。
だが初めて会った時から、ミミルは俺が同じ席に座るまで食べようとしない。何故だろう。でも、改めて訊ねるとなるとなんか小恥ずかしい気がする。
さて、ミミルは急いで食べたいところだろうが、鍋に水を張ってトングやボウル、チーズグレーター等を浸ける。
「食べていいぞ。いただきますしろよ」
「……ん、いただきます」
背後で食べ始めたから表情を確認できないが、短い言葉ながらも声のトーンが上がり、嬉しそうなのがよくわかる。
腹の虫を泣かせてから30分近く経ってるからな。
「……む、エルムヘイムの味」
「やはりそうか……ダンジョン産の野菜を使うとそうなるみたいなんだ」
「……ふくざつ」
「そうだろうなあ」
ダンジョン素材で育ってきたのだから、複雑な気持ちにもなるだろう。
フライパンに絡みついた溶けたチーズを刮げ取り、水に浸けたところで俺もテーブルにつく。
仄かに赤く染まったスープに、赤くなったロバシン、鮮やかな緑になったナッチとギレナベアナ、リュークはスープを吸って透き通り、セレーリは白く、ギュルロは皮に近い部分まで完全にオレンジ色へと変化していた。もう見た目は普通のミネストローネだ。
そこにスプーンを入れて食べてみるが、やはりコクがない。
自分で倒したギュルロを生で齧ると林檎と蜂蜜のような香りがして甘かったというのに、どういうことだろう。
ナッチも生だとシュウ酸の渋みが全くなく、少し柔らかな甘味を感じたのだが、こうしてみると物足りない。
ヴィースの肉までも、味が抜けたような感じがする。
唯一、存在を主張しているのは地上から持ち込んだジャガイモくらいのものだ。
気になったのでミミルに訊ねようと視線を向ける。
目に入ったのは、ポヴェレッラの上に載せた目玉焼きにフォークを差し込み、トロリと流れる卵黄を見て目をキラキラとさせている姿――。
いまのタイミングで訊ねるのはミミルの不興を買いそうだ。
フォークで卵黄が絡んだスパゲティを手繰り、先端に崩れた白身を刺してスプーンの上でクルクルと器用に巻き取るミミル。
そんなに大きな塊が食べられるのか――と心配になるほどの大きさになったスパゲティを大口を開けて頬張る。
途端に頬袋をいっぱいにしたハムスターのような生き物へと変貌した。
自分が作った料理をこうも美味そうに食べてくれると、嬉しくなってしまう。
やはり野菜の味が抜ける謎は、食べ終えてから訊ねることにしよう。
この物語はフィクションであり、実在の人物・地名・団体等とは一切関係ありません。