第330話
第2層で過ごしたのと同じように、第3層の入口がある地下の部屋に丸太を立て、そこにLEDランタンを置いて夜明けがくるのを待った。
京の通り歌を教え終え、ミミルが歌えるようになった頃には階段から見える空が少し白みを帯び始めている。
「そろそろ夜明けだから、上に行くか」
「……ん」
広げた荷物を片付け、ミミルの空間収納に仕舞ってもらって階段を上る。
直後の空は正に曙。東雲と言われる夜明け前にうっすらと白んだ状態から、段々と明るく変わっていく姿を見ていると、時が過ぎるのを忘れてしまう。
一方のミミルはこのような景色など何度も見ているのだろう。ぼんやりとただ夜が明けていくのを見つめている俺を、隣で見上げたまま待ってくれている。
まあ、第3層の太陽が昇るまでは魔物がいても目視確認できないほど暗いからすることがないので許してほしい。
東の空が白み始め、紙を切り取った影絵のよう真っ黒な山並みが浮かび上がる。やがて、稜線の一部が白く膨らみ、第3層の太陽がゆっくりと時間をかけて顔を出す。
元旦ならご来光だと拍手を打つところかも知れないが、ここはダンジョン……第3層の太陽も実のところは作り物のはずだ。
さて、あまり待たせていると少々せっかちなところがあるミミルの機嫌を損ねそうだ。
〈このあとはどうするんだ?〉
〈む、この方角に進む〉
俺が急にエルムヘイム共通言語で話しかけたせいだろう。
ミミルは驚いたような表情をみせる。だが、すぐにその白く細い指を伸ばして方向を指し示してくれた。
俺としては、詳しく、正確な話をしてもらいたい。まだ慣れない日本語で話した内容を聞き取るよりも、ここはエルムヘイム共通言語で会話した方が良いと判断した。
ミミルも質問の内容から、その意図をくみとってくれたようだ。
〈この先はウリュングルブが支配する領域だ。そこを横切り、安全地帯へと抜ける。安全地帯をたどればエルムの木にたどりつけるという寸法だ〉
〈ウリュングルブ……グルブか〉
日本語にするとオオカミだ。ウリュンは草原という意味なので、草原オオカミとなる。第1層にいたオオカミはエルムヘイム語でイング・ヴォルグ。
まだウリュングルブは見ていないので違いが分からないが、呼び名が違う以上は絶対的な違いがあるのだろう。
〈うむ。第2層までにいた魔物とは違い、連携して襲ってくるので気をつけろ〉
〈第1層にいた、イング・ヴォルグとの違いは?〉
〈むう、忘れたのか?〉
忘れたのかと聞かれても、ミミルが何のことを忘れたと思っているのかがわからない。
あきれたような表情を見せると、ミミルが俺の胸元に人さし指を突き立てる。
〈ダンジョン各層にある領域は、すべて他の世界にあるものから作られている。見た目が似ていても、違う世界のものを元にした魔物は違う名で呼ばれている。そういうことだ〉
〈なるほどな。でも、別の世界から複製されたものだというのは、何故わかるんだ?〉
〈昔、他の世界から連れ込んだ様々な種族がいる。彼らの証言によるものだ〉
〈はああ、なるほどな〉
異なる世界からエルムヘイムへ連れて来た様々な種族の人たちが、ダンジョン内に自分たちが暮らしていた世界の生物に似た魔物に名前を付ける……ということか。
〈それで、ここを踏破するには何日くらいかかるんだ?〉
〈空を飛べないからな……3日程度かかるだろう〉
第3層は第2層の4分の3の速度で1日が過ぎる。第2層は地上の10倍になるので、地球の1日は第3層の7日半
第3層の1日は、地球では3時間と10分ほどになる。
3日かかるということは、地上時間にすると10時間ほどで踏破できるということになる。
第2層で過ごした時間に加え、ミミルのお籠りタイムがあったので時間は1時半。
第3層をクリアするには時間が足りない。
〈じゃあ、踏破は別の機会ということで、予定通りラウンの捕獲を中心にしよう〉
〈うむ。そろそろ行くぞ〉
〈先導よろしく〉
ミミルは特に返事をすることもなく、川の上流側へと歩き始める。
第3層の入口がある場所は、中洲のようになった場所なので、どこかで向こう岸まで渡らないといけない。
そこからウリュングルブの生息する領域を横切り、安全地帯へ出る。後は、順番に楡の木擬きを探して歩く感じだろう。
第3層も草原のエリア。
草丈は80センチほどあり、隠れることはままならない。ただし、ダンジョン内は常に入口に向かって風が吹く。俺たちがいる場所は風下にあたり、なんとか視認できる距離――100メートルほど離れているならば例えオオカミであっても匂いなどで察知されることがないようだ。
遠くに見えるウリュングルブは、草丈の倍くらいある。たぶん、体高はミミルと同じくらい。体長は2メートルを超える。間違いなくミミルよりも大きく、飛びつかれてのしかかられると俺でも逃げられない。
だが、オオカミや犬の動きは走り出すとある程度はジグザグに動くことができるが、猫ほどトリッキーではない。
ウリュングルブの姿を遠くに捉え、中腰のまま顎に手をあてて考える。
「さて、どうしようか……」
第一層で登場したソウゲンオオカミ。エルムヘイムの発音ではイング・ヴォルグです。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。