第324話
なぜ「ピッチ」と呼ぶことがダメなのかということをミミルに説明するのは大変だったが、自分が同じ立場ならどう思うかと言われてミミルも理解したようだ。
とりあえず、田中君はミミルから「桃香おねえちゃん」と呼ばれるということは諦めたようだが、モモチチと呼ばれることについてはやはり納得できないらしい。
ならばと、裏田君が何故か「ピーチ姫」を推してくる。世界的にも有名なゲーム機器会社が自宅近くにあることが影響しているのだろう。そこの代表作にはそんな名前のキャラクターがでてきたから間違いない。
「うち、姫って呼ばれような育ちとちゃいますし……」
「まあ、そうやろなあ……」
「裏田さんっていけずやわあ」
ミミルがモモチチと呼ぶことで雰囲気が悪くならないよう、裏田君なりに気を遣ってくれているのだろう。
ただ、こんな話を続けていてもまた空気が悪くなってしまう。
幸いにも、ベランダの工事確認の間に決まっているメニューの食材は注文を終えているはずだ。
「ところで、2人は今日のうちに済ませておきたいことってあるか?」
「特には……ないです」
「うちもありません」
「じゃあ、今日はこれで上がりにしよう。無理してやることを作る必要もない。タイムカードも気にしなくていい」
時間も21時を過ぎたところだが、まだ営業前なので、無理して残ってもらう必要はない。
これからまた酒を飲みに行くとなると、バーのような店になってしまう。明らかに大人の店なので、ミミルは置いていかないといけなくなる。さっきの店でもミミルには酒を我慢させているので、いまから更に酒をメインに飲みに行くと言うのは、少し忍びない。
外食するために田中君は着替えを済ませているし、裏田君は今日も普段着のままだ。
「じゃあ、今日はここまでってことで。明日からパートとバイトのトレーニングが始まるから、よろしくな」
「はい」
「わかりました。お先に失礼します」
5分ほどで裏田君、田中君の2人は2階に戻って荷物を取り、家路についた。
ミミルには先に部屋へ戻っておくように伝え、残ったティラミスをカウンター下の冷蔵庫へと移す。明日の午後の休憩時間に皆で食べる予定だからな。
ミミルが空間収納に仕舞ってしまうと、いざ食べる時に取り出すのに困る。それに、このあとダンジョンに入っている間、ミミルがこっそりと食べてしまいそうだ。
風呂の用意を済ませ、2階の自室に戻るとミミルはまた生真面目にも片仮名ドリルをしている。
「風呂の用意をしている。入ってからダンジョンに行く……でいいか?」
「……ん、わかった。先、入る」
ミミルが立ち上がって1階へと向かった。
机の上には何も残っていないので、すべて空間収納へと仕舞ったのだろう。
ミミルは普段から自分の荷物はすべて空間収納に仕舞っているので、そこにあるのはミミルと出会う前の部屋とあまり変わらない姿。
大型のディスプレイモニターが増えた程度だ。
ほんの1時間ほど風呂に入っているだけだというのに、ここにミミルがいないとなんだか寂しい気分になってくる。不思議だ。
「そういえば、ネットで注文しようと思っていたものがいくつかあったな……」
まずは北欧神話について学ぶことができる何か……本だろうな。
そして、それをダンジョンの中で読むことができるような電池式の照明器具。
既にダンジョン内で使っているLEDランタンがあるが、それとは違って夜中に本を読むことができる程度の光源。リーディングライトってやつだな。
スマホを手に取って、通販サイトで検索キーワードを入力してはお目当てのものを探す。
まずは北欧神話の文献からだ。
サンプルを拝見しながら購入するものを選ぶ。
サンプルを読んでいくと、ゲルマン民族が信仰した神々の物語――北欧神話は大きく3つの文献により語り継がれていることがわかる。
1つは、コペンハーゲンの王立図書館に収められている「古エッダ」だ。45枚の羊皮紙に書かれた歌謡集である。
次に、「スノッリのエッダ」――アイスランドに断片的に伝わる神話を集め、1冊にまとめ上げたものだ。
最後は、「ユングリング家のサガ」で、スノッリが書いた古代北欧王家の物語――ヘイムスクリングラの最初を成している。
こうなるとスマホの小さな画面で色々と調べるのも面倒だ。
この部屋には大きなディスプレイモニタがある。そもそもパソコンに接続するためのディスプレイだから、問題なく繋ぐことができるはず。有効活用できるよう、小型のパソコンを買って繋ぐことにしよう。
ミミルもローマ字を覚えればネット検索して様々な情報を得ることができるから、将来的にも必要だ。
ついでに無線で使えるキーボードやマウスを探して一緒に購入しておく。
あとは、リーディングライト。
ダンジョンの夜は暗いから、テントの中や入口部屋などで過ごす際に本を読めるくらいの明るさがあるものがいいだろう。
北欧神話についてこの物語の中で詳しく書くのもどうかと思いますので、今回はこの程度で……。
「ピッチ」は文字的に「ビッチ」と読み間違えかねないこと。某掲示板では差別的な表現である「ビッチ」を態と「ピッチ」と表現したりすることなどから、ダメとしています。
この物語はフィクションであり、実在の人物・地名・団体等とは一切関係ありません。