第315話
料理の原価には、直接経費である材料費の他に、店の家賃、光熱費、人件費などの間接経費が掛かる。
建物自体は現物出資の形で法人化しているので、家賃はかからない。
普通なら賃料が1か月数十万円かかるような建物だが、それが無料なのが強みだ。2階の居室部分は社宅扱いだ。もちろん、光熱費等のメーターは別になっている。
光熱費は今のところ営業していないので不明だが、人件費は計算できる。あとは店の客席回転数と平均単価を想定すれば、1日あたりのだいたいの利益が弾き出せるという状況だ。
ただ、裏田君を社員から役員に変更することで、人件費の計算が少し変わってくる。
社員として採用している場合、基本給に各種手当などを加えた額が月額の給与となる。パート、バイトは時間給に働いた時間分を乗じて計算する。
一方、役員の場合は役員報酬なので、金額が固定。出勤日数が少なくても、何時間働いても支払う額は同じだ。
「そういえば、裏田君は役員になってもらうということだから、役員報酬を決めないといけないんだけど……」
「ああ、そういえば給料は固定になるって言うたはりましたね」
「一度決めてしまうと、次の決算まで変更できないんだよ。あと、ボーナスも無しになる。その分、報酬に乗せることになるんだけどね」
別に役員賞与の支払いもできるが、既に俺の分は無しで役所に書類を提出しているので今から役員報酬制度を変更することができないだけだ。
しかし、支払いの方法を工夫すればなんとでもなる。
「昔はボーナスには社会保険料が掛からなかったらしいけど、今は掛かるから差はないんだよ。例えば年間の報酬額が480だとして、それを12ヶ月に分割するか、ボーナスを4ヶ月分として16回に分割するかの違いかな」
「毎月40万貰うか、毎月30万で夏と冬に60万ずつ貰うかの違い……ちゅうことですか?」
「そういうこと。ボーナス分を毎月支払わずにプールしておいて、6月と12月に2か月分ずつ纏めて支払う……みたいな感じだね」
1回のボーナスで2か月半分欲しいとなると、年間報酬を単に17回に分割するだけのこと。
裏田君には十分な働きを期待できるから、それなりの報酬を払うつもりはある。但し、残業代はつかない。
「報酬額は要相談ってところだから、田中君がいない間に決めてしまおうと思うが、まず要望を聞くところから始めようか」
役員報酬額を決めるため、前の店で貰っていた給料について確認する。
正社員の場合、料理人の給料は全国平均で約330万円ほど。
裏田君の場合、ヘルプで入っていた程度ということもあってそれよりも少なめ。妻も働いているとはいえ、育ち盛りの子どもが2人いることを考えると少し心許ない気がしないでもない。
基本的に火曜日を店の定休日とするつもりだが、残りの6日間は営業日。法律で1週間に40時間以上働かせてはいけないことになっているので、週6日の営業なら1日あたりの基本労働時間は6時間半ということになってしまう。
店の営業時間は11時出勤の10時閉店、その後の1時間は片付けと清掃、翌日の仕込み。実質は12時間ほど拘束することになる。
社員なら毎日4時間の残業が必須ということになってしまう。その前提で裏田君の役員報酬を考えないといけない。
「要望ですか……」
「そう、月額固定ならいくらくらい欲しいという要望」
ジッと裏田君の目を見つめて返答を待つ。
威圧するつもりはないが、冗談でこんな話をするわけにもいかない。
「役員だからというわけじゃないが、会計上は経費として使えるお金がある。わかりやすいのは接待費なんだけど……まあ、使うことは滅多にないと思う。その代わり、会議費は1人あたり5000円まで認める形にする」
「違いは何ですのん?」
「接待費は基本的に上限なし。ただ、俺たちが接待する相手っていない。取引先から接待されることはあると思うけどね」
「そうですねえ……」
接待費を使うとしたら、他店で働く腕のいい料理人や、優秀なフロアスタッフをスカウトしたいときくらいのものだろう。
「会議費は出席者を領収書の裏に書いてくれれば、問題ないよ。あと、料理の専門書が必要ならそれも経費で落とすし、調理器具も言ってくれれば買うよ」
「至れり尽くせりですやん」
「いや……」
つい苦笑いが零れる。
青色申告をしている事業者として認められている制度の話なので、他の店で働いていても同じだ。
一般的な飲食店では、店員が業者を接待したり、会議費を使う機会はまずない。料理の専門書も個人で買って勉強するのが当たり前という店――制度ができていないところが多い。
今後、勤務時間や経費の扱いのこと、会計の仕組み等々、役員になってもらう裏田君には順次教えていかないといけない。
「これくらいでどうだい?」
要望が出ないので、俺が想定する1年間の役員報酬額を書いて裏田君に差し出す。
そのメモを見た裏田君は「こんなに貰えるんですか!?」と目を丸くした。
役員報酬は1年間固定です。
不景気なら役員の給料を減額すればいいのに……なんて意見を聞きますが、臨時株主総会を開いて減額する以外に方法がないので非現実的なんですよね。
株主総会を開くことを株主に郵送等で通知し、会場を用意して開催する……それだけでも結構なコストがかかるので、何のために減額するんだって話になってしまいます。
一応、自主返納や受取辞退という方法もありますが、これもいろいろと複雑なのです……。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。