第312話
田中君とミミルがティラミス作りに励んでいる間、俺と裏田君はパソコンがある事務所へと移動していた。
料理の原価計算をするためだ。
とはいえ、基本的なメニューは既に算出したものがある。乾麺から生パスタに変えた分の差額を計算すればそれで良いはずだ。
「パスタは1人前、100グラムでいきますのん?」
「いや、ソースによるんだが……試算では100グラムでいい」
「Mサイズの卵て……」
「1個50グラム。1キロ打つときは10個だから、15人前くらいだね。あと、打ち粉に50グラムくらい使う。セモリナ粉はピッツァの打ち粉にも使うけど、打ち粉は別に計算するか」
了解ですと返事をしメモを取ると、裏田君が仕入れ価格表と睨めっこを始める。
「ピッツァは同じ15人前だと……」
念のためにピッツァの方も算出してもらおう。
直径何センチのピッツァにするかで変わるが、500グラムの粉に水300グラム。これで4玉分だから……。
「とりあえず2キロ、16人前で計算しておいてくれるかい」
「オッケーです。それにしても、やっぱりええ粉使うと高うなりますね」
「そうなんだよ……」
イタリアではパスタ用に硬質小麦のセモリナ粉、パン用は普通小麦のマニトバ粉。ピッツァ用の小麦粉は粘りが強く、伸びが良くなるようにブレンドされた粉を使う。
細かく言うと、パン用のマニトバ粉を基準にした場合、ピッツァ用の小麦粉――ゼロゼロ粉は水分吸収値とグルテン量、灰量の値が低く、弾力性を表すP/L値が高い粉にブレンドしたものだ。
こういう小麦粉であれば、よく伸びる生地ができあがる。
――ピッツァ生地やパスタそのものが不味い店は流行らない。
修業時代、店の人たちから叩き込まれた言葉だ。日本でも、米が不味い定食屋は流行らない。だから俺も、生地づくりに妥協はしない。
そのせいで日本だと仕入れる小麦粉の値段は高くなってしまう。
ピッツァ用のゼロゼロ粉は普通の強力粉の倍、セモリナ粉は更にその倍以上だ。
「塩やイーストの値段は量的に誤差として、1人前の原価はどれくらいになった?」
「ピザ生地が1人前200グラムで原価は約65円。パスタが約100円くらいですね」
原材料費だけで見るとこの程度だ。
人件費やソースの費用、ガス、水道、その他間接経費が加わり、一皿あたりの単価が増加していく。
料理業界の悪癖なのだが、営業時間分しか給料を払わない店が未だに存在する。つまり、仕込みや片付けの時間を労働時間としてはカウントしない……若しくは仕込みや片付けの時間を込みで日給を決めているという理屈だ。
店主の視点からすると、仕込みは包丁の練習だからだとか、自分もそうやって育ったからだとか……いろいろと理屈がある。
働く料理人の方も、店主が先に仕込みを始めているところに遅れて入るのは気を遣うだとか、早くに入らないと店が回らずに自分の首を絞めることになる等の理由がある。
でもうちはそんなことはしない。
働いた分だけ給料は払うのだから、人件費は高くなることを覚悟しておかないといけない。
「パスタは乾麺百グラムで原価30円くらいやから、えらい高うなりますね」
「でも、ピッツァはチーズで原価が上がるから、似たようなものだよ」
「あ、そうか……」
ピッツァの場合、ほぼ確実にチーズを使う。
1枚のマルゲリータにモッツァレラチーズを50グラム使ったとすると、生の場合で200円、冷凍でも150円ぐらいの原価アップになる。
幸いにもうちは2階でハーブ類を育てている。
決して空気のいい場所とは言えないが、マルゲリータの場合はオリーブオイルやソースのコストを足しても300円くらいで足りそうだ。
そこにインターフォンが来客を知らせる電子音を鳴らした。
16時半を少し過ぎているが、漸くベランダ工事の業者が到着したようだ。
「来客だ……あとは、裏田君が考えるランチ用のパスタメニューで試算してくれるかな。パンのレシピはこっちに書いてある」
「了解です」
裏田君に続きの作業をお願いし、ベランダ工事業者の対応のために部屋を出た。
ベランダ工事業者は3人体制。
店の前で荷物を下ろし、駐車場に車を置いて来たらしい。
「毎度です。今日は3人で作業させてもらいます」
「ああ、よろしくお願いします。段取りを教えてもらってもいいですか?」
2階に特に何か見られて困るというものは……ないはずだ。
だが、ミミルと田中君の作業が終わった後、ミミルが2階の居室に戻るなら少し気にかけておく方がいい。
「まずは、設置場所を再確認させてもらいます。部品を仮設置して固定する場所を確認する感じですね。そのあと、2階側の手摺の切断と扉を設置、梯子の固定……という順番ですわ」
「最初は2階からってことでいいか?」
「ふた手に分かれて確認さしてもらいます」
仮に設置する場所を確認するためにも、2階と1階でそれぞれ確認するってことだな。
設置するのは俺の家……住居部分だから、裏田君に手伝ってもらうわけにはいかないしなあ。
とりあえず、1階側を先に案内してから2階に1人だけ連れていく感じでいいか。
イタリアの小麦粉の分類は大きく二つ
grano duro:硬質小麦を挽いた粉で、セモリナ粉はこれに該当します。
grano Tenero:軟質小麦を挽いた粉で、精製度が高い(細かく挽いて外皮の含有量が低い)ものから順に00粉、0粉と数字を振って分類されます。
絶対ではありませんが……ピッツァは00粉、パンは0粉を使います。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。