第306話
この店の料理はコースのみだ。
基本的に料理の構成は変わらず、季節に応じて中身が変わる。
店の大きさは決まっているので、営業時間帯の客数には制限がある。それを予約のみの対応にしていれば、1日に必要な食材の量が決まる。
それだけ食品ロスが減り、仕入れの方にも無駄が出ない。収益も安定するのでいいことずくめだ。
ただ、料理人の目からすると、同じコース料理だけをただ黙々と作り続けるというのは楽しくないだろうなあ……と思ってしまう。
「他の店を見てまわった感想ってあるか?」
出てきた前菜盛り合わせを箸でつつきながら田中君、裏田君に尋ねてみる。
チェーン店を除き、この店に到着するまでにあった飲食店は10軒ほど。その店のランチセットを掲げた看板を見て歩いた。
「値段は800円くらいから1500円くらいの間でやったと思います」
「うん、うちも平均でみたら1200円くらいなんかなあと思て見てました」
裏田君が最初に口を開き、田中君が続く。
「でも、1500円のランチのとこは、昼のコースやったと思います。他にもセットみたいなんがあって、1000円未満でまとめたはりましたね」
「ああ、そうだな。うちも同じような価格設定で行きたいとは思うね」
サラダとピンチョス、パスタで900円、最後にメインの魚か肉料理1皿で600円。妥当な値段設定な気がする。
ピッツァは昼のコースのセットにはしない前提であれば、サラダとピンチョスを合わせて1000円から1200円くらいで抑えたい。
パニーニやボカティージョもパスタと同様だ。
「他の店のランチパスタは創作系が多かったと思うんだが、どうだった?」
オイル系、トマト系のパスタは多いのだが、所謂名前付きのレシピ……カルボナーラやボロネーゼ、ジェノベーゼのような一般的に名の知られているパスタは少なかった。
「パスタをランチに食べに来はる人って、女の人が多いと思うんです。ボロネーゼを好きな人もいたはるけど、うちらはあまり頼まへんと思うんです」
「そう。ヘルシーなパスタが好まれるさかい、こってりとしたパスタは敬遠されがちですわ」
「あと、仕事したはる人はニンニク系は避けはると思います」
「そうだよなあ……」
丁寧にニンニクに火を入れたアーリオ・オーリオは食べてしまうとそんなに匂いはしないものなのだが、ニンニクを使った料理は臭いと言う先入観を持つ人は多い。
「あと、クリーム系はなかったよな」
「ええ、そういえばあらへんかったと思います」
「カロリーが高いって思たはる女の子はぎょうさんいたはりますからね」
全員が前菜を食べ終え、次の料理――油目の椀物が配られる。
ミミルは初めて見る魚、初めて見る調理方法に戸惑っていたが、俺たちが食べ進めるのを見て箸をつける。
葛を打って表面つるりとしているが、中身はふわふわになった油目の身を口に含んで吃驚している。
「まあ、牛肉のラグーは必ず仕込むし、クリーム系も他の料理の食材を見て出せばいいんじゃないか。ベーコンとほうれん草とかもいいし、ツナと白菜でエスニック風を出した次の日は、それをクリームにするとかもアリだろう」
「材料が残ったら次の日に味付けを変えて出すんですね。ええと思います」
「まあ、クリーム系はどちらにしても様子見ながら……だな」
裏田君と田中君、2人が俺の言葉に頷いた。
「ランチメニューは基本創作系で行きたい。明日からはパートとアルバイトのフロア研修を始めるから、ランチタイムは賄いで順次メニューの試食といこう」
「わかりました」
裏田君が返事をする。
一方の田中君にも今日のパンが焼けたらボカティージョとパニーニの作り方を教えていく必要があるな。
「あとは、サンドイッチ系。これはフォカッチャを使ったハムと野菜たっぷりのパニーニ、パン・コン・トマテをベースにしたボカティージョにする」
「バインミーとはちゃうんです?」
「バインミーはフランス統治時代のベトナムに普及した料理だからね。それに、バインミーはシンプルに具を挟むだろう?」
「あ、スペインやと、潰したトマトを塗ってから挟まはる……」
地域によって違いもあるので絶対ではないが、パン・コン・トマテをベースにチーズや肉、トルティージャ等を挟むのが基本と言えると思う。
「まあ、そうだな。潰したフレッシュトマトと、オリーブオイルのペーストを作っておく。注文に応じて挟む具材も予め作ってラップしておく……そこまでが仕込みだな」
「それはええんです。心配なんは、パンの生地を仕込むのに3時間くらいかかるんですけど……営業時間に焼き立てを出すんやったら仕込みは早朝になるんとちゃいます?」
十一時に出勤してからでは、パン生地の仕込みが遅いということを彼女は言っているのだろう。
至極真っ当な意見だと思う。
「そこは俺がやるよ。田中君の出勤時間に合わせて二次発酵が終わるくらいにするから大丈夫だ」
実際はミミルの空間収納に頼ることになるが、それくらいはミミルも手伝ってくれるだろう。
この物語はフィクションであり、実在の人物・地名・団体等とは一切関係ありません。