第292話
鯖姿寿司も京名物。元祖と言われる店は創業250年近い老舗だ。
海産物だと他に若狭焼というのがある。一汐ものの甘鯛を炭火で鱗ごと焼いて食べる。パリパリに焼けた香ばしい鱗と甘鯛の身の味のバランスがなんともいえない。
この二つの名物は共に海の魚が鯖街道を通ってこの街に運ばれたのが始まりだ。
「でもなんか違うんだよなあ」
空に浮かぶ白い雲を見て独り呟く。
塩サバや甘鯛を使って南欧風に料理したところで、どこか魅力がない気がする。
それに、美味いものは必ず真似される。
更に見た目が華美であればSNSで映えると言われて口コミが広まり、真似した料理が一気に日本中に広まっていく。
そういえば、SNSを使ったマーケティングも必要だ。
まあ、おっさんの俺がやるよりも田中君のような若い女性にお願いするのがいいだろう。
裏田君は仕入担当者、田中君は広報担当者……俺は人事総務に経理担当者ってところだろう。
……と、思考が思いっきり逸れてしまった。
誠実でまともなチェーン店なら「レシピを売ってほしい」と言ってくることもあるらしいが、商品開発専門の部隊を持つ大手のチェーン店までが恥ずかしげもなく流行に火が付いた弱小店のメニューを真似してくる。
「柳の下には泥鰌はあまり住んでいないと思うんだがなあ……」
苦労してアイデアを出して独自の商品を開発し、定着するよう努力し続けてきた小さな店が大手に潰される。
見方を変えれば、真似され難いのも大事な要素だということだ。
だが、独創的で珍しいメニューを短期間で作り上げるのは難しい。寧ろ、日本ではまだ知られていない料理を出す方が物珍しさから話題になる可能性がある。
最近で言うならバスクチーズケーキやマリトッツォがそうだ。
「スイーツかあ……」
また小さく呟いて、ストレスが溜まってきていることに気が付ついた。
裏田君にも相談しているし、夜だけ食べられるスイーツがあればそれも名物になり得る。
明日になって田中君に相談してもいいだろう。昔から「3人寄れば文殊の知恵」という言葉もあることだし、今日は諦めるとしよう。
ついでと言っちゃなんだが、参考までにミミルの意見も聞いてみるか。
ベッドから起き上がり、ミミルの元へと近づいていく。
思ったとおり、ミミルは樹液のような液体の中に魔物の皮を漬け込んでいるようだ。
イタリアで皮職人の工房を見せてもらったことがあるが、濃度の違う液体に少しずつ漬け込んでいくはずだ。
「ミミル、ちょっと教えてほしい」
「ん。なに?」
「参考までに俺が作った料理の中で、最もおいしいと思ったのは何だ?」
作業するミミルの手が止まった。
樹液塗れの手は、何かの魔物素材でできた手袋のようだが、俺にはどんな魔物なのか想像もできない。
数秒経ったが、ミミルは遠くに見える何かをじっと見つめたまま動かない。
完全に手の動きは止まっているし、瞬きはしている。
「どうした?」
「……え、えらべない」
言ったミミルの顔が今にも泣きだしそうな感じで崩れていく。
別にそこまで深く考えなくてもいいのだが、ミミルなりに俺がいま行き詰っていることを感じてくれているのだろう。
隣に膝をついて、ミミルの小さな身体を抱き寄せる。
「ありがとう、でもそこまで深刻に考えなくていいから」
「ちがう。ぜんぶ美味しい。えらべない」
「ああ、それならそれでいいよ。ありがとう」
「ちがう。思い出す、食べたくなる」
言うと同時、ミミルは俺の胸元で頭突きを始めた。
これまで作った料理を1つひとつ、見た目や味まで思い出していたということだろうか。それこそ、牛が反芻するかのように……。
記憶力が高いミミルだからこそできる技だろう。それだけの記憶力と味覚があるなら、もう絶対味覚と言っていいんじゃないかな。
料理人をすれば間違いなく大成するはずだが……何故か俺の胸元に頭突きをし続けているミミルをチラリと見遣る。
恐らく料理らしい料理をしたことがないだろう白く小さなミミルの手を見て、料理そのものの才能は無さそうだと俺は悟った。
「じゃあ、材料のすべてがあるわけじゃないけど……いまから俺が作るとしたら、何が食べたい?」
徐に頭突きを止めて、ミミルが俺の顔を見上げる。
頭突き自体、俺は痛くも痒くもない。
ミミルも加減していたのだろう。特に額の辺りが赤くなっているようなことはないようだ。
「キュリクス、薄い切った肉がいい」
「ああ、キュリクス肉の炙りカルパッチョか……」
「ん。辺りにたくさんいる。食べたいなる」
「ああ、そうだな。気持ちはわかる」
ミミルが満面の笑みで俺の顔を見上げている。
あくまでも参考意見としてミミルに訊ねたのだが、この表情は食べさせてもらえると思って期待しているのだろう。
ミミルは徐に両手の手袋を脱ぎ去ると、簡易テーブルの前まで歩き、空間収納から巨大なキュリクスのモモ肉の塊を掴んでこちらを見る。
どうやら買ったばかりの低温調理器に出番がやってきたようだ。
この物語はフィクションであり、実在の人物・地名・団体等とは一切関係ありません。