第287話
西村夫妻が経営するバルを出て、裏田君の案内に従って3軒目に入る。
ここは京町家を改装した店だ。
格子戸がついているのだが、とても木が太くて間隔が広いところを見るに、酒屋格子だろう。扉の上に杉玉をぶら下げるところも残っているので、元は酒屋だったということだ。
メニューはパスタがメイン、そこにスープやサラダがつくタイプ――俗に言う「カフェ」だな。もちろん、パスタ以外にも肉や魚のメインが用意されている。
特徴的なのは京野菜がふんだんに用いられているところだ。
人通りが多い三条通りに近いというのもあり、観光客が多い。
ある程度年齢を重ねた人たちはお金があるので食事する場所も先斗町や祇園のような観光地価格で商売する店へと流れるが、この辺りは20代前半くらいまでの若い人たちが多い印象だった。
3軒目を出て、俺の店の方へと戻る途中に4軒目へと立ち寄る。
店のメニューを見ると飲み放題付きのコースメニューがいくつかある。料理の内容もパエリアが必ずついてくる。
てっきりパエリアが名物なのかと思ったが、アヒージョに添えられるパンが自家製。タパスも50種類近く用意されているらしい。
客層は20代から30代半ばといったところだろう。
主にワイン目当てで来る客にすると、タパスが多いのは魅力的だし、最後にパエリアという腹に溜まるものが食べられるのもうれしい。
食後のデザートはカタラーナやバスクチーズケーキ等が用意されていて、ミミルが二つとも食べていた。あとで感想を聞かせてもらおう。
焼きたてのパンがあって、パエリアやアヒージョなど様々なタパスが用意されている。客層も20代から30代半ばのワイン好きとなると俺の店のターゲットにかなり被る。
この店との差別化は強く意識しないといけない。
1軒目と同様、会計の際に店主に挨拶を済ませて店を出た。
それぞれの店に特徴があって、魅力的だ。
「カタラーナ、美味かったか?」
視線の高さをミミルに合わせるため、屈んで訊ねる。
焦って食べる必要などないのに慌てたのか、ミミルの唇の端には小指の先ほどの茶色いカラメルが付いている。
返事をどうするか考えるかのように視線を宙に泳がせるミミル。
美味しかったかどうか――それを「おいしい」と答えるのは簡単だが、2軒目でも同じものを食べているので「違い」を見つけようとしているのだろう。
「美味しい。たまご濃い。甘いは控えめ、にがい」
「そっかあ」
「にけんめ、甘い。にがい甘い」
「ブリュレやし、仕上げの違いやろか?」
裏田君が違いについて考察しているとおり、仕上げ方の違いだろう。
ミミルの口元に残ったカラメルソースを指先で拭い、ペロリと舐めてみる。
ミミルがまた真っ赤になって俺の胸元にパンチを伸ばしてくるが、痛くも痒くもない。
「むぅ……」
「あ、すまんすまん……」
そういえば、「これからは口元についていたら、それを教えてくれればいい」と言われていたことを思い出した。
エルムヘイムのフリッグの祭で、女性の口元に付いたものを拭って舐めると、その女性への好意を認めるという話だったはずだ。
「やっぱり親子ですやん」
「ならいい」
裏田君が俺たち様子を見て、呆れたような声を漏らす。
一般的な日本人といえる裏田君にはそう見えるならそれでいいだろう。
立ち上がってミミルに手を差し出すと、恥ずかしそうにそろりと俺の手を取る。
裏田君にはミミルの国の慣習のことを話しておくべきだろうか?
いや、自分の子どもならともかく、裏田君がミミルの頬に付いた食べ物を拭って食べるなんてことはないだろう。自分の子どもでも触らせてもらえるかは不明だが……。
アルコールが入った身体に夜風が気持ちいい。
裏田君も同じように思っているのか、風が吹けば両手を広げて全身でそれを受け止めている。
「メニューのことなんだが、少し考えておいてくれるかい?」
「名物の方です?」
「うん。俺の方はメニュー構成を少し見直してみる」
「わかりました」
名物料理をすべて裏田君に任せるわけじゃないが、先ず俺はランチメニューの構成を見直すことにしよう。
月並みなパスタランチやピッツアランチ、昼のコース程度にしか考えていなかったが、なんかこう……思想のようなものが必要だと思う。
そこで名物が生まれるかも知れないからな。
他にもいろいろと考えながら歩いていたが、暫くして店に到着した。時計を見ると21時30分。
本来なら22時までは営業時間だから裏田君を拘束することになるが、まだ開店前だから拘る必要もない。
「今日はこのまま上がっていいよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
「明日もよろしくな。おつかれさま」
「お先に失礼します。ミミルちゃんもおやすみなさい」
裏田君がミミルに挨拶すると、そのまま頭を軽く撫でた。
恐る恐るミミルの顔を覗き込むと、憮然とした表情で1点を見つめ、プルプルと震えている。
しまった……ミミルを子ども扱いすると怒ることを裏田君に話していなかった。
この物語はフィクションであり、実在の人物・地名・団体等とは一切関係ありません。