第286話
俺が考えていたメニューは年間を通じて変わらない固定メニューが7割、季節に応じて変わるメニューが3割。
主要な野菜や魚、肉はもう季節を問わず仕入れることができる。しかし、春のタケノコや夏秋の鱧のようにその時期にしか出回らない食材というのがあるので、3割程度は限定で季節のメニューを出すという形だ。
また、肉や魚は食材を共通化して、コストダウンを図る。
例えば、豚なら同じロース肉を使ってバターサルビア、スカロッピーネにすることで2つのメニューを出す。牛も同様で、モモ肉を使ったミラノ風カツレツ、タリアータを出すといった感じだ。
だが、このメニューだと「うちに来ないと食べられないもの」とまでは言わないが、それに近い強烈なインパクトのある料理がない。
ホテルのレストランならこの内容でもいいだろう。
料理もセットになった宿泊プランがあるから、必ず客は来る。そして、いい素材を使って、料理の大きさに対しアンバランスなほどに大きな皿に盛り付ける。そうすることで、お客さんはその盛り付けを芸術的で贅沢に感じてくれる。その贅沢感を味わわせるのがホテルの料理だ。
南欧時代に下町の食堂のような店で働いていることも多かった俺は、帰国後に働き始めたホテルの盛付けに「何だか物足りない」と感じたものだ。
そんな不満を感じながらも俺がホテルで働くことを選んだのは、同じ味で、同じ見た目のものを大量に作る技術が身に付くからだ。多くても同時には2、3人前しか作らない大衆食堂では経験できない。
西村夫妻が営む店の中、もう一度店内を眺めてみる。
カチャカチャと食器が当たる音。
乾杯の音頭を上げる声に、グラスを当てる音。
豪快な笑い声、控えめな笑い声、大きな声、甲高い声、ひそひそと話す声……。
客層は30歳前後の女性同士のグループと男女2人組が多く、男性はどちらかというと1人か2人で来店していることが多い。
バルと名乗るだけあって、明らかに「居酒屋」の雰囲気が強い感じだ。
俺が働いていたような、おっさんたちが集うむさ苦しいバルとは雰囲気が違うが、それでも「バルだなあ」と思わされる。この雰囲気は酒や料理に集った客が作り上げている。
一方、俺の店が目指しているのはダイニングバル。
これからはホテルの看板を背負って店をやるわけではないから、他の店と差別化し、十分に集客効果が見込める何かが必要だ。
先に行った店には、アッサジーニという名物があるし、この店にはシェリーと生ハムという名物があった。
だが、俺の店には名物と言えるものがない。
本来、こういうことはもっと早くに考えておくべきことだが、ここ数日はダンジョンとミミルのことで頭が一杯だったから仕様がない。
呆れられるかもしれないが、これは裏田君に相談するべきだな。
「……これなに?」
「イワシって言う魚ですわ」
どうやら俺が考え事をしていたせいで、ミミルは裏田君に質問していたようだ。
人見知りではあるが、素性を明かした相手というのもあって、少しは距離が近づいたようで安心だ。
「なあ、裏田君」
「はい、どないしました?」
ミミルは他に何か訊ねようとしていたのか、次の質問を遮られて少し不機嫌そうに頬を膨らませる。
「うちの名物料理、考えなきゃな」
「ああ、そうですねえ。高辻さんは何かこう……「こんなん」って感じのイメージって持ったはります?」
「いまのところはないなあ……」
正直、名物料理はいま思いついたところだから、何のイメージもない。頭に浮かんだのはイメージというより、制限事項だ。
「まあ、他の店とは被らないもので、年中提供できるもの……という感じかな?」
「確かにその2つの要素は大事ですねえ」
「あとは、簡単に真似できないものがいいな」
「ですねえ……」
現代日本はとても便利な場所だ。
1年中、手に入る食材がとても多い。だが、それだけに誰でも作れるものも多くなる。
「基本的に30歳前後の女性客グループを中心に、ワイン好きな男性が集まる場所って感じを想定しているから、それも前提になるね」
「女性向けっていう意味やと、菓子担当の意見も大事やなと思いますけど?」
「そりゃそうか……これも明日相談だな」
オープンまで一週間くらいしか余裕がないが、方針がはっきりしていれば何とかなる。
「ほんで、看板娘には手伝うてもらうんです?」
「ん?」
裏田君が俺に訊ねると、そこからミミルの方へと目線を向ける。
突然、俺と裏田君に見つめられるような形になり、ミミルはなぜか顔を赤くして『見るな』と念話を飛ばしてくる。
ミミルの可愛さは武器になるのは間違いない。だが、目立つのもどうかと思う。
「その顔は、あまり目立たせとうないって感じですねえ」
「うん。いろいろと問題があるからね」
「そうですねえ……」
手伝ってもらうにしても、オープン当初のビラ配り……しかも曜日と時間帯を決めて、場所も店先に限定する感じだな。
この物語はフィクションであり、実在の人物・地名・団体等とは一切関係ありません。