裏田の初出勤
裏田と将平のやり取りの間に裏田が何を考え、どう思って将平の提案を受け入れたのか等、将平目線ではわからないことを表現するため、こちらを用意しました。
台詞部分は原則同じなので、内容的に被っているように見えると思いますが、あくまでも裏田の心理を表現するためのものです。
あ、裏田は少し親馬鹿なところがあります。
あと、伏見出身なので言葉が少し違います。
数字表記は漢数字を使っています。
十時少し前、新しい職場――高辻将平オーナーが開く羅甸という店の開店準備のため、僕は再生されたばかりの町家の前に立ってた。
とっくに店の中では高辻オーナーが何かの準備を始めたはるみたいで、糸屋格子の間からその動きがチラチラと見える。
「よしっ!」
小さく気合を入れたら、店の扉を開いて大きな声で挨拶する。
「おはようございます」
ややあって、厨房からオーナーが出てきた。
「おはよう」
「あ、おはようございます」
身長は僕よりも少し低いくらいやけど、結構ふっくらと……してない。
十日ほど前に会った時はもっとふっくらとした体格をしたはったんやけど、こんな短期間でこんなに痩せるもんやろか。
「今日からよろしくな」
「いえいえいえいえ、こちらこそよろしくおねがいします」
「まあ、そんなに緊張しなくてもいいから。早速だけど、二階の事務所にタイムカード、更衣室にサロンが置いてあるから、用意してきてくれるかな?」
「はい、じゃあ行ってきます」
初出勤やし、はよ準備を済ませてしまいたい。
オーナーの見た目のことは後回しや。
着替えて一階に下りてきたら、オーナーは水切りトレイのグラスを拭き終わって、真新しいグラスを洗い始めていた。
「ゆっくりでいいのに」
「いやいや、初日やしそないなわけには……」
初日やし、僕も気合が入ってる。
「それで、何からしましょ?」
「俺がグラス類を洗っていくから、拭き取りしてもらえるかな?」
「はい、ところで……」
やはり十日ほど前に会ったときと比べて、見た目が全然ちゃう。
窶れてるわけやないけど、こないに急激に変わるもんやろか。
「オーナー、痩せはりました?」
「ああ、うん……」
「いや、激痩せですやん。運動したくらいでそこまで……」
「そんなに痩せた感じがするか?」
ふっくらから十日でシュッとした感じに変わってるんやから、激痩せ以外の言葉が出てこおへん。
「え、ええ……」
「痩せたと言うより、身が締まった感じだろ?」
「ええ、なんか若う見えます」
五歳、いや七歳くらい若返って、三十歳くらいに見える。
「とりあえず、グラス拭き頼むわ」
「はい、わかりました」
なんか、上手いこと逸らかされた気いするなあ。
◇◆◇
食洗機を使って食器類を洗い終わったたら、もう昼を過ぎてた。
賄いの時間帯やったけど食べるもんがあらへんので、僕が近所のスーパーに買いに行き、帰って来たらオーナーはパン生地を拵えたはった。
オープン前になんべんか焼いて、天然酵母の具合やら、オーブンの癖やらを確認しはるんやろう。
「とりあえず昼飯を任せてもいいかな?」
「あ、そやった……適当に買うてきたんはええけど、カチョ・エ・ペペとサラダでいいです?」
お釣りと領収書を調理台の上に置いて、賄いの内容をオーナーに確認する。
「うん、問題ない。だが、そうだな……四人分作るくらいでいいかな?」
具が多いパスタソースやったら八十グラム、シンプルなパスタやと男性の場合は百グラムくらいで一人前が普通やと思う。
いまここにおるんは二人やし、それで四人前は多すぎるんとちゃうやろか。
「そ、それはかましまへんけど、誰がそんなに食べはりますのん?」
僕の問いに、オーナーは顎に手えあててたはる。少し考えを巡らせたはるんやろな。
徐にこっちに顔を向けると、オーナーの顔はえらい真剣な表情に変わっとった。なんかえらい重要な話があるみたいや。
こら真面目に話を聞かなあかん。
「うん。その前に裏田君に確認したいことがあるんだ」
「え、なんです?」
「もし万が一……俺の身に何かあったら、この店を引き継いでもらえないか?」
「――え、ええっ?」
突然、何の話かと思たら、えらい大きい話や。
こないに大事なこと、すぐに返事できひんで。
あかん、とりあえず本気で言うてるかどうかだけでも確認せんと……。
「あ、いや、冗談ですよね?」
即座に首を左右に振らはった。そないに直ぐ否定せんでもええのに……。
「この商売をしていると帰宅するのが当たり前のように遅くなるだろう?」
「え、ええ……そうですけど」
夜、遅うまであれこれ仕舞うたり、仕込みやらしなあかんさかい、どないしても帰りが遅うなる。終電になること見越してバイクや自転車で通ったりする人もぎょうさんいたはる。
「俺がこの世界に入ってから二人かな……深夜に帰る途中、バイク事故で亡くなってるんだよ。それを考えると、俺の身にも何があるかわからないだろう?」
「まあ、そうですね。俺も同じですけど……」
事故に遭うて亡くなったちゅう話を聞いたこともあるし、包丁を握れへんくなって店を閉めたちゅう噂を聞くことある。
「明日は我が身ってやつだ。何かあったら、店を任せられる人が欲しいって思うのは普通だろう?」
「ま、まあそうですけど……」
運、不運ちゅう話もあると思うけど、確かに自分で店を経営するんやったら最悪の事態は考えときたいちゅう気持ちはわからへんでもない。僕も店を持ちたい思てるし、どっかの店主事故で亡くなったやらいう話を聞いてるさかい、オーナーの気持ちは理解できる。
「幸いにも、この店は法人化してある。その会社の役員になってもらえば、俺の身に何かあっても裏田君が引き継ぐことができる」
将来、店を持ちたい思てる僕にとってはえらいええ話やと思う。
そやけど、役員になるちゅうことは、この会社に縛り付けられるちゅうことや。簡単に退職することできひんようになる。その結果、「自分の店を持つ」っちゅう僕と嫁さんの夢が遠のくやろな……。
オーナーは真剣な表情を変えることなく、真摯に僕を説得しようとしたはるようや。
「俺には身寄りがないし、死んで国に巻き上げられるくらいなら、裏田君に引き継いでもらいたい。もちろん、俺が死んでしまったりすれば店を自由にしてもらって構わないよ」
そやけど、事故死するちゅうのんは飽くまでも万一のこと想定しての話や。
「でも、オーナーが死なへんかったら僕は店を開くことがでけへんということですよね?」
「ま、まあ……そういうことになるな。
そうだなあ……会社として資金的に余裕ができるくらい儲かったらだが、支店を完全に任せるというのもいい」
「支店……ですか」
「いや、支店というよりも別事業として系列の店を作る感じだな。羅甸とは別に、裏田君が考えるような店を経営する感じだな」
「ううむ……」
これはものすごええ条件や。
簡単に言うたら「いずれ店を出す資金を出したるさかい、うちで働け」っちゅうことや。
会社に所属してるさかい、厳密には自分の店とちゃう。でも、自分の店と同じくらい自由にしてもええっちゅう意味やと思う。
正直、子ども二人を育てながら共働きで店を持つだけのお金を貯めるっちゅうんはえらいきつい。いくら頑張っても低金利な世の中やと銀行ではお金は増えへんし、株とか外貨預金とか相場をチェックしてる暇があらへん。コツコツとお金を貯めることくらいしかできひんのが現実や。
でも、「うまい話にはトゲがある」とか言うし……。
「なんか、僕にとってメリットばっかりで怖いですわ」
「いや、その代わり二つ……大事な約束をして欲しい」
やっぱりそれなりの条件はあるんやね。
「この店が失敗したら腎臓を一個売るとか?」
借金したときの定番やけど、これくらいやったら冗談っぽう聞こえるやろ。
「そんな馬鹿な話はないよ。安心してくれていい」
いやいや、簡単に安心できるもんとちゃいますよ。
僕がこの店に来たんはほとんどスカウトのみたいなもんやけど、そのときにオーナーから聞いたんは高辻町の屋敷を売ったって話。まあ、資金はぎょうさんあるとは思うけど……。
「先ずは、俺が死んだり行方不明になるようなことがあったら、裏田君がこの店を引き継ぐこと。それを約束してくれたら、次の条件を話すよ」
「借金ができたらマグロ漁船に乗って半年くらい帰ってきいひんとかですか?」
「なんでそうなるんだよ。とにかく、この店を引き継いでくれるという約束ができたら話すよ」
まだ信用するのは早い思うけど、こんな話をくれはるということは、僕のことをかなり高く買うてくれてるということやろうとも思う。
高辻さんって言うたら南欧で修行してきた本格派の料理人で、外資系五つ星ホテルの副料理長をしたはった人や。玉石混交の料理人の世界で、トップクラスの人に認められてるって思うとつい嬉しゅうなってまう。
こんなにも自分を認めてくれてる人を相手に、これ以上疑うのんは失礼な気いしてくるわ。
「僕にとってメリットしかないですし、わかりました――いいですよ。嫁も安定した立場になるんやったら安心やろし……」
僕の返事を聞いてオーナーはなんや安堵したような息を吐いてから、相好を崩さはった。
ほんまに僕のこと買うてくれてるんやなあ。こら、期待に応えられるように頑張らなあかんわ……。
そのまま、昼食は作らんと二階へ連れて行かれた。
「今から話すことは他言無用。その理由はあとで話すから、とにかく最初は黙って聞いていて欲しい」
階段を上がりきる頃にオーナーは思い出したように話しかけてきはる。えらい真剣な表情で刺すような言い方や。
「そ、そんなヤバいことなんですか?」
また心配になってつい訊いてしもた。
「普通にしていればヤバくはないんじゃないかなあ」
「え、なんですのん?」
オーナーが扉を開き、言われるがまま中に入る。
店の二階にこんなモダンな雰囲気の部屋があるとか、思いもしいんひんかった。
「入るぞ……」
数回ノックをして、オーナーが部屋の中へと声を掛けはった。
扉の向こうには、僕の子どもよりも少し歳上くらいの女の子が立ってはる。
確か、オーナーは独身。
子どもがおるととか、聞いたことあらへん。
「ああ、裏田君。ミミルだ」
オーナーの声は耳に入って来る。聞こえてるけど……。
なんやこの子……。
銀色の髪をした、えらい色白な女の子。
年齢はたぶん……十歳から十二歳くらいやろか。
「ミミル、彼が裏田君。挨拶できるな?」
「……ん」
背後に立ってでオーナーが両肩を抑えたはるけど、ミミルちゃんは完璧に俯いてしもてて、まるで昔に流行ったホラー映画の幽霊みたいになってしもてる。
俺も暫く呆然としとったけど、流石に話を聞かへんことには理解できひん。
「え、えっと……オーナーって独身ですよね?」
「そうだよ。悪いね、ミミルはちょっと人見知りするから……」
独身で、このくらいの歳の子を連れてるってことは……え、どういうこっちゃ?
「ほな、この子は?」
少し食い気味にオーナーに訊ねたせいか、ミミルちゃんがオーナーの背後に隠れてしもた。
いや、僕はそんな怖い人とちゃいますよって、安心してもろてええんやけど……。
慌ててミミルちゃんを捕まえて強引に横に立たせるオーナー。
どうやらミミルちゃんもそこまで怯えてるわけやないみたいやけど。顔が見えへん。
「そうだなあ……説明するよりも、実際に目で見てもらうのがいいと思うんだが。ミミルはそこの部屋で着替えてきてくれるかい?」
「……ん」
オーナーの言葉にミミルちゃんは小走りで小部屋へと走って行かはる。ミミルちゃんの部屋なんやろか。
ミミルちゃんが部屋に入るのを見届け、僕はオーナーの方へと目を向けた。
「えっと、裏田君はゲームとかするんだっけ?」
いままでミミルちゃんの話をしてたと思たら、急にゲームの話って……。
「いや、急に話変わってますけど……まあ、人並みにはやりますね。子どももやりますよって……」
「じゃあ、ダンジョンって聞いたことがあるかな?」
オーナーは僕に向かってそう訊ね、ソファに座って座面を手でポンポンと叩かはった。
座れっちゅうことやろと判断して、遠慮なく座らせてもらう。
まあ、俺くらいの年齢の人からすると、ダンジョンのイメージっていえば……。
「ロールプレイングゲームとかで出てくるやつですよね。洞窟みたいな感じですかね」
「うん。そういうイメージだよなあ……」
オーナーも俺と同じような認識……ってことやんな?
ダンジョンって何やっていう質問とかは辞めて欲しいかも。
「実は一週間前、この店の奥庭にダンジョンができた」
「――は?」
そんなアホな……ラノベみたいなことあるわけあらへん。
「そのダンジョンから出てきた少女がミミル」
「――へ?」
ダンジョンができたっちゅーだけでもありへん話やのに、そこからミミルちゃんが出てきたとか、更に理解不能なんやけど。
気いついたら最後のひと言を発したまま口をポカンと開けてオーナーの顔を見つめとった。見惚れてるわけやないから勘違いしいひんと思う。
慌てて口を閉じると、オーナーはまだミミルちゃんのことで話を続けはる。
「ミミルは見た目、十歳か十一歳くらいに見えると思うが……実は百二十八歳だ」
「――ええっ!?」
あの体型はうちの子とそっくり。お尻が小さくて、つるんとしてぺたんこで、胸の位置が高い。
どう見ても小学生の高学年くらいにしか見えひん。
「なんか、僕のこと誂うてます?」
「いや、真面目も真面目、大真面目だよ」
「そやかて、あまりに阿呆臭いというか……」
そないにじゅんさいなこと言われても信じるわけにはいかへん。
扉が開く音がして、ミミルちゃんが戻ってくる。
さいぜんまで着てたシンプルなワンピースから、豪奢な刺繍が入ったゲームキャラが着るローブのようなものに着替えはったみたいや。
「あ、ミミル。悪いけどこっちに来てくれるか?」
小走りで走ると、オーナーの背中に隠れるようにして服を掴み、そっとこちらを覗いてくる。
――なんやこの可愛い生きもん……。
う、うちの子の方が絶対に可愛いけど、なんや恐ろしゅう庇護欲を掻き立てられる。
その原因は、どえらく整うた顔立が幼さも兼ね備えているからやろか。それとも、こっちを見据える独特なワインレッドの目にあるんか……。
「ミミル、隠れてたら昼飯が遅くなるぞ」
「ん、がんばる」
オーナーのたったひと言でミミルちゃんの態度が大きく変わった。
虚勢を張ってんのかも知れへんけど、妙に堂々とした雰囲気を纏うた気がする。見た目の幼さに反して、大人でも持てないような威厳みたいなもののせいで、どうにも脆く、アンバランスな存在に見える。
「裏田君に耳を見せてあげてくれ」
「……ん」
ミミルちゃんはオーナーの言葉に従うて、右手で髪を掬って隠れてた耳を顕にしはった。
その耳はそないに大ききゅうはないけど、後ろに向いて上部が尖った形をしたはる。
――こんな耳をした子もおるんやなあ……。
耳を見せられた時は少しびっくりしたけど、少し離れたところからじっとミミルちゃんの耳を観察さしてもらう。
「裏田君、まだ証拠はないが……ミミルはエルフだ」
「ええっ、エルフですか!?」
「エルフちがう。エルム」
ミミルちゃんから否定の言葉がでたけど、オーナーの言いたいことはなんとなくわかる。地球上にある言葉にしたらエルフってだけのことや。
――でも、エルフねえ。
ミミルちゃんを再度観察してみる。
髪色は銀色、透けるように白い肌、ワインレッドの瞳……これはカラコンかな。中心部分は普通に血の色をしてるさかい、アルビノやろか――あと、やっぱり体格はすごい脚の長い小学生や。
「エルフって、あの……いや、うーん」
声に出し、僕の中にあるエルフのイメージを整理してみる。
まず、耳が長おうて尖ってる。金髪碧眼で体型は……どうやったっけ。胸とか小さいのがエルフの特徴やったか?
有名なロールプレイングゲームやと胸がちっちょうて、背中に丸い羽が生えてたはず。
でも、小説とかアニメは巨乳エルフもおるよな……。
「どうした?」
「いや、もうアニメとかゲームの世界のエルフを思い出してしまうと、その……ミミルさんがエルフっぽく見えへんちゅうか」
一応、年上っちゅーのを信じて「ちゃん付け」は控えといた。
とりあえずエルフという種族をアニメやゲームに出てくるキャラで考えたらあかん気いしてきた。
「まあ、実際にダンジョンを見てもらおうか。その方が確実だから」
オーナーがダンジョンに行く言い出したけど、ほんまに付いて行ってええんやろか。アニメやらに出てくるようなモンスターがおったらどないしたらええんやろ……。
「え、ほんまに見に行くんですか?」
「ああ、百聞は一見に如かずだよ。ほら、行くぞ」
オーナーの案内で一階へ下り、そこから通り庭を通って奥庭の方へと歩いていく。
靴は厨房用のままやけど、鉄板入っているしこれの方が安心やな。
「うおっ、ほんまに穴が開いてますやん」
奥庭に出る扉を開けたら数歩先に小屋ができてて、扉のを開けると階段があった。
「そうなんだ。階段を下りたところに大きな部屋がある。丁度奥庭全体くらいの大きさかな」
「へえ……」
オーナーの言葉どおりやと、隣の敷地にも広がってる可能性があるんやけど大丈夫やろか?
考えながらミミルちゃんの後ろについて階段を下りると、大きい部屋に出た。
ぼんやりと光る天井や壁、床に照らされてなんとなく幻想的な雰囲気がある場所や。
でも正面は行き止まりで何もあらへんやん……。
第268話から第269話の内容を裏田目線で書いたものです。
多少、台詞は削除していますが、概ね将平目線で書いたものと同じです。
将平目線ではあまりに都合よく進むように見えるかも知れませんので、裏田君が何を考え、どういう流れで決意したかを知っていただくために書いてみました。
*[京]じゅんさいな :[共]いいかげんな
*[京]さいぜん :[共]さっき