第3話
俺は少女に向かって正対すると、右手の親指で自分の胸元を指しながら、ゆっくりと話しかけた。
「俺の 名前は 高辻 将平」
少女は俺の手の動きをチラッと見ながら、真剣な顔で聞いている。
誰でも思いつく、ジェスチャーと言葉をうまく組み合わせて話す方法だ。これなら伝わるだろう。
少女は俺の胸元を指して、声を出す。
「ツャッタモチ」
駄目だ……全然、さっぱり、全く、ひとつもわからん。
彼女が返したのは彼女自身の名前なのか?
それとも俺を指しているから、俺の名前を言ったのか?
いや、俺の名前とは全然違う発音だったはずだ。
「うーむ」
俺は一度立ち上がると腕を組んで考え込む。
少女に向けて視線を落とすと、人差し指をおとがいに押し当てて首を傾げたまま、俺のことを見上げている。まるで頭のうえに「?」と表示されているのではないかと思ってしまうポーズだ。
問題は少女が自然にこのあざといポーズを取っていることだ。
いろいろと考えようとしているのに、ついつい意識がそっちに向いてしまう。
とにかくコミュニケーションの方法を考えないと一歩も前に進めない。
言葉が通じないという状況は、ヨーロッパの国をまわって武者修行したときに俺も何回か経験している。だが、その国で使われている言葉に多少の基礎知識くらいはあったし、それなりの規模の街であれば英語があるていど通じる。しかし、田舎の村まで行ってしまうとお年寄りが増えて英語が通じないことが多かった。
そんなときはできるだけジェスチャーを加え、少ないボキャブラリーを駆使して道や店の場所を尋ねた。
でも今回は違う。
相手の使う言語に基礎知識がないので、どうにもならない。
「――!? チワドシ!」
少女が何かひらめいたようだ。
俺に向かって右手を差し出してくる。
なんだ?
握手か?
俺はまた屈んで少女に視線の高さを合わせると、何の違和感もなくその手を右手で握り返した。
とても小さくて、ひんやりと冷たく、それでいて柔らかい手はとても重いものを持ったことがないように感じてしまう。
反対の手には身長と同じくらいのツルハシを持っているので、絶対に俺の勘違いなのだが……。
少女が握った手をジッと見つめると、俺の手のひらがじわりと熱くなった。
つないだ手に目線を移すと、温かく優しい光がその手の中に生まれ、俺と少女の全身へと薄く広がっていく。
なんだこれ?
光はふたりの全身を包み込むと、何もなかったかのように消え去った。手の中の熱もいつの間にか消えている。
「い、いまの……なっ、なんだ? なんだ!?」
ビールを飲んで酔いでもまわったのだろうか?
それとも、目の錯覚とか――いや、手が熱くなったから目だけの問題じゃないな。
だったら何なんだ?
俺は少女と握手している手から、少女の目へと視線を移動する。
『いし、そつう……』
うおっ! 直接脳内に少女の声が聞こえてきたぞ!
な、なんだ?
何をどうすればこんなことができるんだ⁈
正直、急に頭の中に声が聞こえるとか気持ち悪い……。
「頭の中に直接話しかけないで!」っと逃げたくなるのも無理はない。
『ここ、どこ?』
「俺の家であり、店。上に寝起きする場所がある」
少女に尋ねられ、つい普通に返事をしてしまった。
俺が話をしたいことはこういうことじゃないんだが……。
すると、少女がスッと目を細める。
そのまま何かを諦めたように、小さく溜息を吐いた。
『まちがい、ここ……きた。ごめん……なさい』
頭を下げたりはしないが、少女は心苦しそうに謝罪の言葉を述べた。
ただ、謝られたところでこの大きな穴は塞がらないし、俺の怒りも収まらない。
この穴は俺の店の開業時期にまで影響を与えかねないんだから当然だ。
ただ、俺もいい大人なんだから、この少女に怒りをぶつけるなんてことはしない。
「悪いことをしたという認識はあるんだよな?
この穴をどうするか君の親と相談したいんだが、お父さんかお母さんはいるかい?」
話をつけるのなら、この子の親に直接話をつけるべきだろう。
俺は泣き寝入りという言葉が大嫌いなんだ。
だが、少女は俺から意外な言葉を聞いたようで、何故だかキョトンとした表情を見せる。
あれ? 意思疎通できるようになったんだよな?
妙な沈黙が続く。
俺、何か変なこと言ったか?
少女は眉を八の字にし、視線を外して天を仰ぐ。そのまま何かブツブツと呟いているようだが、その内容が直接俺の頭の中に届くことはない。
恐らく、考えをまとめようとしているのだろう。
だが、その時間もすぐに終わる。
『わたし、しょうかい。わたし、なまえ……〝かしこきもの〟。いせかい、きた』