第251話
平台に積まれた料理の専門書を涎を垂らしそうな勢いで見つめていくミミルの手を引き、なんとか自動車整備に関する専門書が置いてある場所へとやって来た。
先ず、1冊を手にとって中身をパラパラと確認する。難しい漢字にはルビ打ちがされているが、かなり漢字を読めなければ理解できないレベルのものになっている。
「ミミルは話すことができるが、まだ平仮名と片仮名しか読めないよな?」
「……ん、漢字わからない」
「そっか……」
他の本もパラパラと読んでみるが、基本的な自動車に関する説明をする本という意味では内容はあまり変わらない。目次レベルで読み「解りやすく構成されている」と感じる本を1冊選ぶ。
買うならこの本だが、まだ漢字を読めないミミルに買って手渡す意味があるだろうか……。
無意識のうちに顎を擦りながら、俺の方を見上げるミミルを見て考える。
『み、見るな』
自分もいままで俺の顔を見つめていたくせに、ミミルはプイッと顔ごと視線を他所へ向ける。
俺にしたら、ミミルも立派な「変なやつ」だよ……。
思いつつ、手に持った本を開いてもう一度流し読みしてみる。
基本的な漢字はルビがないが、専門用語や一般に使用頻度の少ない熟語にはルビが振られている。
ミミルには「この本に書かれているルビなしの漢字くらいは読めるようになる」という目標にするにはいいかもしれない。
「この本でいいか?」
こうして訊ねてもミミルのこの本の良し悪しを判断できないと思うが、念の為だ。
何故か頬を赤く染めて俯いたままのミミルが俺の手に持った本をチラリと見る。
「……しょーへいに任せる」
「じゃあ、これで決まりでいいかな?」
「他にも知りたいことある」
「漢字が多いからな……最初にこれを読めるようになるのが先だと思うぞ」
「……ん、それでいい」
また外方を向いて、ミミルはボソッと返事をした。
ミミルの反応が理解できないが、いまは情緒不安定なところもあるし、仕様がないのかも知れない。
とりあえず、この本を読めるくらいの漢字知識を身につけることを目標だ。ミミルにはそこまで頑張ってもらうという意図が伝わったような気がするので、会計を済ませて店を出ることにしよう。
お会計を済ませると時間は既に18時になっていた。
ミミルと手を繋いで本屋を出ると、そのまま家路につく。
仕事を終えた人たちがオフィスビルから溢れるように出てくるせいで、大きな通りは人でいっぱいだ。人通りを避けて裏道へと入った。
「しょーへい、いいにおいする」
「――ん、そうだな」
肉が焼ける甘い匂い、タレが焦げる匂いが換気扇から出る白い煙と共に辺りへと漂っている。
――焼肉か。
ミミルは目を瞑り、匂いが出てくる場所を探すようにして匂いを嗅いでいる。
「これは焼肉の匂い。牛の肉を焼いて食べるんだよ」
「おー」
「甘い匂いは肉が焼ける匂い、焦げた香りはタレの匂いだ」
「おおー」
俺の言葉を聞いて、ミミルは再び小さな鼻をヒクヒクと動かす。
ダンジョンでは肉を食べる機会が多いが、どうしても俺の得意な調理方法を選ぶことが多く、ステーキと煮込みにすることが多くなってしまう。
昼はステーキだったが、ミミルは肉が好きだし、「こんな食べ方もある」ということを教える意味でも、ここで夕食を済ませよう。
「焼肉、食べるか?」
「いいの?」
「もちろんだ」
俺が返事をすると、ミミルは目をキラキラと輝かせ、嬉しそうな笑顔をみせる。
俺もこの匂いを嗅いでいると食べたくなってしまった。
ミミルの手を引いて、匂いを撒き散らしている店へと足を向ける。
自動ドアが開いて店内に入る。炭火の無煙ロースターを使っているからだろうが、店の外ほどは匂いがしない。
一歩、二歩と店内へ足を踏み入れると、奥から店員が現れる。
「いらっしゃいませ、ご予約のお客様ですか?」
「いや、予約していないよ」
「お2人様ですね、少々お待ち下さい」
平日とは言え、夕食時の時間帯だ。予約なしでは席がない可能性もあるが……。
ミミルは黙って俺と店員の会話を聞いていたが、その内容は理解しているはずだ。その表情に微妙に緊張感が表れている。
一応、もしも席がなければこの店を諦めねばならないことをミミルに説明しようかと思った時、店員が戻ってくる。
「おまたせしました、お2人様。こちらのお席へどうぞ」
店員の言葉に空席があることがわかり、少しホッとした。
ミミルも店員の言葉を聞いて、表情が少し和らぐ。
店員の案内に従って2人がけのテーブルへと腰を下ろすと、ミミルに話しかける。
「飲み物はどうする?」
「……しょーへいはどうする?」
「俺は生ビール、ミミルは……酒以外の飲み物で頼むよ。この烏龍茶かコーラあたりがいいんじゃないかな?」
メニューを開いて見せながらミミルに選択を促し、エルムヘイム共通言語で周囲にわからないよう話を続ける。
〈ニホンでは20歳未満は酒を飲んではいけないし、飲ませたものは衛兵に連れて行かれる。ミミルは見た目が若くて可愛いから、酒を飲ますわけにはいかない。いいかな?〉
〈し、仕方がない……〉
ミミルは少し頬を赤く染め、狼狽えるように返事した。
この物語はフィクションであり、実在の人物・地名・団体等とは一切関係ありません。