第250話
文具と革細工用品の会計を済ませた俺達は、荷物をミミルの空間収納へと仕舞って近くの真新しいビルへとやってきていた。
1階入口を入ると右手にカフェがあり、正面にある小さな文具店の向こう側へと進む。
「……ここも本屋」
「そうだよ。店によって受ける印象が違うよな」
前回、図鑑などを買った書店は使っている本棚の色、カーペットの色なども相まってモダンではあるが図書館のような雰囲気に近かった。
この店は、天井は配管がむき出しになっていることで、とても高く、広く感じる。無垢の木を使った柱周りの書棚、格子がとても落ち着いた、洒落た和風の空間を演出している。
「なにの本、買う?」
「本じゃないな、文字の読み書きを練習するためのものかな……」
言って書店の中で参考書売り場を探し、ミミルの手を引いて歩くと、ほどなく小学生向けの参考図書などが並ぶ場所へと到着した。
先ずはひらがなとカタカナ、小学3年生くらいまでの漢字ドリルがあればいいんじゃないだろうか。
表紙を見ると小学1年生は80文字、2年生は160文字、3年生は200文字。合計で440文字ある。ひらがなとカタカナを加えると、約540文字だ。こんなにたくさんの文字を一気に覚えられるものだろうか……。
念の為に確認してみると、4年生は202文字、5年生は193文字で6年生は191文字。総合計で……1120文字くらいある。
「うーん」
つい、店頭に並んだ漢字ドリルを前に腕を組んで唸ってしまう。
正直、俺もこれだけの文字を書けと言われて、間違わずに書く自信はない。食材の発注などでメモをとることはあるが、魚や肉の名前、野菜の名前くらいしか書くことがないし、実際の注文はパソコンで文字を入力してしまう。
「どうした?」
「文字を書く練習をするために使う、ドリル――練習帳があるんだけど、合計で1100文字くらいある。一度に全部覚えるとなると厳しいかなと思ってね」
「もんだいない」
平らな胸を張って、自信満々にミミルは返事をする。
ミミルは「知」の加護を得ていると言っていた。その加護の力がどの程度のものなのかわからないが、本人が大丈夫というならまとめて買っておいてもいいか。
「ミミルが欲しい本はあるか?」
「んー」
ミミルはおとがいに指をあて、辺りを見渡す。
残念ながら周囲にあるものは漢字ドリルを除くと、学習参考書、算数ドリルの類が多い。ミミルが表紙を見て読めるのは「ドリル」の文字くらいだろう。
「ミミル、くわしい図鑑、欲しい」
「全部読んだのか?」
「まだ。たとえば自動車……しくみ知りたい」
「のりもの図鑑とか、そういう系統かな……」
ミミルのために買った図鑑は子ども向けに様々な情報をカテゴライズして記載したもので、そこまで深い知識については記されていない。
自動車という範囲で言えば、基本的な自動車という乗り物についての説明や、パトカーや消防車、救急車、バス、トラック……そういう役割に応じた分類やそれぞれの説明はある。しかし、自動車の構造やエンジン、クラッチやミッションに関する記述は無かったように思う。もちろん、サスペンションやダンパーについても同様だ。
遺伝子の説明も、遺伝子はメンデルによって発見されただとか、らせん構造のDNAによって作られているだとか書かれているだけ。どの組み合わせが何を示すのかだとか、何本目のDNAに身体のどこを形成するための遺伝子がある――などといったことは書かれていない。
「これは、だめだな」
「……ん、くわしくない」
ミミルを連れて図鑑売り場に移動するが、乗り物図鑑などに掲載されている内容はやはり子ども向けだ。とは言え、自動車を購入したときに受け取る冊子に入っているパーツリストは細かすぎて「仕組みを理解する」という目的には合致していないように思う。
となると、整備方法などを学べるような専門書の方を探すほうがいいってことだろう。
専門書があるエリアへとミミルを連れて移動すると、料理関係の本が目立つ。
もちろん、ミミルの視線も表紙を飾る美味そうな料理へと向かうわけで……。
「しょーへい、この本はなに?」
「ここは殆どが料理の作り方を書いた本だよ」
「この料理、おいしい?」
ミミルが指さしたのは、土鍋で炊き上げた鯛めしの写真が表紙を飾る和食のレシピ本だ。
さっき、炊飯器をやめて鍋でごはんを炊くつもりでココットを買ったが、土鍋と同じように鯛めしを炊いたりすることもできるはずだ。
「美味しいと思うぞ」
「……食べたい」
だが、俺は南欧料理はできるが、日本料理はからっきしだ。いま作るとしたら、同じ真鯛を使ったパエリアになってしまう。
まずはココットを使ったときの水の量など、裏田君に教わらないといけない。
「まあ、いつか食べさせてやるさ」
「ほんと?」
「それくらいお安い御用だ」
確か、四条通りを東に行って、八坂神社の手前に鯛めしが名物の店があったはずだ。ここからは少し遠いので、また別の機会に食べに連れていくことにしよう。
この物語はフィクションであり、実在の人物・地名・団体等とは一切関係ありません。