第236話
食事を終え、一息ついているとインターフォンが鳴った。
まだ時間は9時になっていないが、荷物が届いたようだ。
慌てて店の入口を開くと、俺の車が前にあるせいで駐車場から荷物を運んできたらしい。台車に山積みになったダンボールを載せて業者の若い男が立っていた。
食器の類は基本的に厨房にある食器棚へと収納するが、グラスなどのガラス食器、カトラリーの類はまた別のところで管理する。
また、季節的に涼やかな料理――冷製のパスタや、ガスパチョのような冷たい料理を盛り付ける皿も同様だ。
厨房の調理台にすべての皿と食器類を並べるのが難しいので、客席側にあるカウンターと客席テーブルに箱から出して並べてもらうことにした。
ものの30分程度ですべての食器がテーブルの上に並べられていくのを、ミミルも興味深そうに眺めている。
ディナープレート、デザートプレート、ミートプレート、パンプレート等々……皿だけでも十数種類がそれぞれ数十枚単位で積み上がる。
コーヒーカップ、ティーカップにソーサー、ミルクピッチャーにシュガーポット。これらはカトラリーと共にカウンターの上に並べてもらった。
ワイングラスやシャンパンフルートの不良品は交換してもらわないといけないので最初に確認だ。
リムを指先でくるりと触り、傷が欠けがないことを確認したら、
テーブルの上でソワリングするように回してみる。プレート部分が歪んでいれば、ガタガタと音がする。
続けてステム位置が中心にあるか、ボウルが斜めについていないか……グラスを回して確認していく。
最後に軽く指で弾いて音を確認する。澄んだ音が響くように鳴ればいいが、目に見えない罅が入っていれば短く濁った音がする。
海外製の有名ブランドだが、3割近く不良品が入っていた。
もちろん別の日までに新品と交換してもらうことになる。
〈ミミル、手伝ってくれるかい?〉
〈ん、何をすればいい?〉
手にとったディナープレートを指で弾いてみせる。
それなりの大きさがあるので、低めの音が鳴り響いた。
〈食器をこうして指先で弾く。いい音が鳴り響けば合格だ。鳴り響かないものは見えない罅が入っているから、交換してもらうんだよ。小さな皿だけでも手伝ってくれるかい?〉
〈わかった〉
ミミルにはサラダボウルなどの小さな皿だけを確認してもらう。
ひとつひとつ、大きさや色、見た目は同じだが微妙に音が違う。その違いがいいのか、ミミルは楽しそうに食器を指先で弾いて音を確認してくれている。
〈しょーへい、これは駄目か?〉
デザートプレートを手のひらに載せ、ミミルが指先で弾くと短く鈍い音を立てた。
〈そうそう、中に罅があるんだろうな。それはあっちのテーブルに置いておいてくれ〉
〈うむ〉
皿を持ってミミルは小走りすると、指示したテーブルの上に皿を載せてまた検品作業に戻る。
中に罅があるような皿を1つ見つけたので、ミミルは音の違いを理解できたのだろう。音が変な皿は、言わなくても別のテーブルへと運んでいってくれる。
薄玻璃のタンブラー、オールドファッショングラス等々は国産だからなのか、品質が良くて不良品が出てこない。恐ろしく薄いグラスなので罅とか入る前に割れてしまうからだろう。
こうして、チーン、カーン、コーンと種類やサイズに応じて違う音が店内に響く。
1時間半ほど経っただろうか……。時計を見ると10時を少し回っている。だが、この短時間でガラス食器、陶磁器等の検品と数量確認、カトラリーも数量確認を済ませることができた。
業者の人には開店までに新品と交換してもらうことにして不良品を引き渡し、受け取った分だけの手書き納品書を貰った。
不良品分の納品が終われば、当初発注分の納品書と交換することになる。
とにかくミミルが手伝ってくれたので、結構な時間を節約できたと思う。
〈ミミル、ありがとな〉
帰る業者を店の入口で見送り、ミミルに声を掛けた。
〈ん、しょーへいの役に立てたか?〉
〈もちろんだ、ありがとう〉
〈あ、うん……〉
含羞むような笑顔をみせ、ミミルは直ぐに俯いてしまった。
〈さて、これはどうするのだ?〉
〈今日はこのままにして、明日になったら全部洗うつもりだ〉
〈独りでこれだけの食器を洗うのか?〉
〈明日から1人出勤してくるからな。2人でやるさ〉
〈むぅ……〉
ミミルには言っていないが、厨房には食洗機がある。カトラリーや皿を洗うのはそれに任せればいい。
ガラス食器はデリケートだし、直接お客さんが口をつけるものだ。こちらは流石に手で洗うことになる。
食器用の布巾も納品されているので、これはいまのうちに一度洗って糊を落とし、干しておく必要があるくらいだ。
店関係で言えば、他に急いで今日やらないといけないことはない。それよりも、明日以降は昼間にミミルのために時間を割くことが難しくなる。
〈それよりも、また少し出掛けるぞ〉
〈どこに行くのだ?〉
〈それは、着いてからのお楽しみだ〉
今後のためにも、ちょっと特別な場所にご招待することにしよう。
カトラリー:スプーン、ナイフ、フォークなどのこと
シャンパンフルート:シャンパン等のスパークリングワインに用いる脚のついた細長いグラス。シャンパンタワー等に使う平たいグラスはクープといいます。
リ ム:ワイングラスの口があたる部分。
ボウル:ワイングラスの中、ワインを注ぐところ。
ステム:ワイングラスのボウルの下にある軸(脚)の部分。
プレート:ワイングラスの底
ソワリング:テーブルの上で円を描くようにグラスを滑らせること。主にワインを空気に触れさせて香りを立たせるためや、アルコール度数を目視確認するために行う。
玻璃:ガラスのこと。
この物語はフィクションであり、実在の人物・地名・団体等とは一切関係ありません。