第226話
砂時計は耳かきの先ほどの砂を残していたが、1秒も経たないうちに下へと落ちていった。
〈終わったぞ〉
漸く砂時計から目を離し、ミミルはこちらへと目を向ける。
俺はそっとスマホの停止ボタンをタップしてアラームを止めた。
〈時間は同じだったよ〉
〈本当か?〉
首肯でミミルに返事をする。
砂がこぼれ落ち始めるタイミングでタイマーのスタートボタンをタップしていないから、寸分違わず同じかと言われると、絶対に同じということはできない。
だが、それが絶対である必要性はない。
同じ、近い、似ている……いまはそんなレベルでいい。
地球の1分間は、エルムヘイムの1デレット。
地球の1mは、エルムヘイムの1ハスケ。
温度の単位はカルで、これも地球と同じ氷の融点が0カル、沸点が100カル。
重さの単位は……レーベだが、どのくらいか聞いてないな。何か料理をするようになるなら、地球の重さの単位は大切だ。
教えておくほうがいいだろう。
〈手伝ってくれてありがとうな〉
〈いや、私も興味があるからな。いずれは他の単位も調べたいと思ってるぞ〉
とても満足そうな笑顔を見せるミミル。
まだまだ気力も集中力もありそうだ。
〈そうか、後は自分で……といいたいところだが、最後に確認させてくれ〉
〈なんだ?〉
〈1レーベとはどれくらいの重さだ?〉
〈これ1つの重さが1レーベだ〉
ミミルが空間収納から琥珀色の石、水色の石、緑色の石をごろりとテーブルの上に並べる。
〈魔石か?〉
〈第1層などで手に入る最小の魔石、その重さが1レーベだ〉
〈なるほど……〉
エルムヘイムに暮らす者にとって、最も身近なものの1つが魔石なんだろう。
〈チキュウの道具で確認してもいいか?〉
〈もちろんだ〉
〈ちょっと待っててくれ〉
料理器具一式は届いているので慌てて厨房へと走り、業務用のスケールを取ってくる。重さは2kgまでしか量ることができないが、100分の1g単位まで表示してくれる。
早速持ってきたスケールをミミルが座るカウンターに置いて電源を入れる。
画面上に0の文字が表示され、そこにミミルが置いてくれた魔石を1つ載せてみる。まずは土属性――琥珀色の魔石だ。
目盛は丁度、10gで止まる。
機構はバネ秤なので標高や緯度で差異はでるだろうが、この重さでは微々たるものだ。
念の為に他の色の魔石でも試してみるが、結果は同じ。
最小サイズの魔石――琥珀色はツノウサギ、水色はオカクラゲ。緑はなんだろう……不明だが風属性の魔物が出すものなんだろう。
〈何かわかったか?〉
〈うん、ありがとう。正確にチキュウの10gだってことがわかったよ。10gは1レーベだ〉
〈そうか、覚えておく〉
ミミルは暫くスケールの方を見ていたが、俺の目線に気がついたのか、こちらを見上げて柔らかく微笑んでみせた。
なんというか、少し寂しそうにも見える。
そういえば、俺も海外修行に出るときにまず両替を済ませたんだが、外国の通貨を持つと「今から行くんだ」という気になる。
そして実際に外国で暮らし始めると、その国に根付いた文化とかそういうものを様々なものから感じるんだが……ある意味、ミミルは単位が変わることで、エルムヘイムには戻れないことを再実感しているんじゃないだろうか。
〈ミミル、手間なことに付き合わせて悪かったな〉
〈いや、必要なことだ〉
ミミルはそう言って、カウンターの上に転がった魔石を集め、空間収納へと仕舞った。
これで長さと重さ、時間に加え温度の単位までは教えることができた。
ここからは速度、加速度、圧力、仕事量、あとなんだ……とにかくいろんな単位へと広がりをみせる。
だが今日はこれくらいにしておこう――ここから先は物理学の世界だ。もう俺にはよくわからない。
さて、事務所部屋のパソコンがつけっぱなしだ。
俺もこのスケールを片付けて、また2階の事務所部屋に戻ることにしよう。
カウンターの上に置いていたスケールに手を伸ばすと、ミミルが先に手にとってしまった。
さっき、ミミルがジッと見つめていたから、必ずこれは訊ねられると思っていたのに油断してしまった。
〈しょーへい、これの中身はどうなっている?〉
やはりだ。答えるのは簡単なんだが……。
〈ミミル、ニホンの道具のことを訊ねる時はニホン語にしよう〉
〈……な、なぜだ?〉
思いもよらぬ俺からの提案に、ミミルの目に明らかな動揺の色が奔る。
せっかくエルムヘイム語が通じる相手がいるんだから、ミミルとしては楽なエルムヘイム語で訊ねたいのだろう。俺も同じ立場なら間違いなくそう思う。
明日になれば先ずは裏田君、明後日には田中君が出勤してくる。
これからは更に他の日本人と接する機会が増えるだろう。
このまま言葉の翻訳を俺に頼るのはミミルにとって絶対に良くない。
まあ、あと1日しかないから手遅れのような気もするが……。
〈そりゃ、そうしないとミミルが覚えないからだろう〉
〈ぐむむ……確かに〉
俺の言うことも尤もだと口では納得したような返事をしつつ、ミミルが悔しそうに下唇を噛んでいるのが見えた。
この物語はフィクションであり、実在の人物・地名・団体等とは一切関係ありません。