第160話
〈 〉はミミルのエルムヘイム共通語での会話を表しています。
食パンは最初のパン屋でバケットやブールのような食事パンが少なかったので取り敢えず買っておいたものだ――ここは食パンを使うことにしよう。
だが、単にトーストしてオムレツやスクランブルエッグ等を合わせると朝食感がでてしまう。俺がイメージする軽食はサンドイッチやホットドッグだ。
よし、あの店のサンドイッチを再現しよう……。
幼い頃、親に連れられて何度も食べに行った木屋町の喫茶店。店主が高齢になって閉店してしまったので、俺がこの街に帰ってきたときにはもう食べられなくなっていた。
作り方を伝授された人が別の場所で店を開いていると言うことは聞いているが、なかなか行く機会がない。
ミミルに頼んで簡易コンロを出してもらい、そこに薪を入れて着火器具を使って火をつける。
一方には魔法で作った水を入れた鍋に蓋をして火にかけておく。
お湯が沸くまでの間に、食パンを3cmの厚みに2枚スライスし、続けて2種類のソースを作る。
まずは、マスタードソース――ディジョンマスタード、ワインビネガー、マヨネーズをあわせて混ぜ合わせ、食パンの片面に塗っておく。
そして、トマトソースにウスターソースを混ぜたソースも作り、もう1枚の食パンに塗る。
俺が作ったソースが気になるのか、ミミルが器に指を突っ込んで残ったソースをぺろりと舐める。
別に怒るほどのことではないのだが、マスタードソースを舐めなくてよかった。ディジョンマスタードを使っているので辛味は柔らかいのだが念のため――。
〈そっちは辛いから舐めないほうがいいぞ〉
ミミルに忠告すると、ミミルは赤黒いソースがついた指を舐め終えてこちらに目線を向ける。
〈辛いのか? だったら何故塗ったのだ?〉
〈大丈夫、今から焼き上げる玉子焼きを挟むと辛さが抑えられるから〉
鶏卵を4つボウルに割り入れ、同量の牛乳、塩少々を入れたら、パルミジャーノ・レッジャーノを削り入れ、コシを切るようにして混ぜ合わせる。
本来なら昆布粉を入れるのだが、代用品だ。
続けて、フライパンを2台目の簡易コンロで火にかけ、オリーブオイル、無塩バターを溶かしたところに溶いた卵液を一気に流し込む。
音を立てて卵液がフライパン全体に広がり、固まり始める。
菜箸を円を描くようにグルグルと回しつつ、フライパンは前後に動かし、満遍なく固めていく。
〈見事なものだな〉
〈卵料理は手際の良さが勝負だからな〉
〈私には無理だな〉
背が低く、手も小さいからミミルには確かに難しいだろう。
そこは仕方がない。
〈まぁ、俺が料理できるんだからそれでいいだろう?〉
〈そ、そうだな……〉
ミミルは少し残念そうな声を上げるが、役割分担すればいいことだ。
俺ができることは俺がやる。
ミミルにしかできないこと――いまのところダンジョン内に限られるが、それをしてくれれば俺は何も言うことはない。
そうしている間にもフライパンの中身が8割方固まってくるので、お湯を沸かしている鍋の蓋をフライパンへそのまま移し、火から下ろしておく。
鍋蓋についた水滴と予熱で蒸らされ、卵がふわりと柔らかく焼き上がる。
3分ほど蒸らしたら、フライパンの蓋を取り、焼き上がった玉子焼きを長方形になるよう畳んで、パンに挟む。
分厚い――焼き上げた玉子焼きだけで厚みは5cm以上ある。
パンは挟むときに少し押し固めたとはいえ、元は3cmの厚さがあったので合計で7cmくらいの厚みになった。
そして、ボウルを逆さにかぶせて再度蒸らす。
5分ほどで予熱で食パンまで熱が通ったら、最後に耳を切り落とし、4つに切り分けて皿に盛り付け、先ほど手に入れたカーリーパセリを飾る。
少しアレンジが入っているが、俺が生まれ育った街の玉子サンドの出来上がりだ。
蒸らしている間に淹れたコーヒーをマグカップに注ぎ、ミミルには紅茶を入れて出す。
〈おおっ……これはまた大きいな〉
〈いや、ギュッと押さえれば食べられるだろう?〉
あまりの大きさに困惑した顔をするミミルの前で、俺はサンドイッチを軽く押しつぶしてみせる。食パン部分を圧縮したところで中央部の厚みは6cmくらいはある。ミミルの口だとギリギリ入るかも知れないな。
〈ううむ……〉
ミミルは一番分厚い部分に気を取られすぎている。
玉子焼きを左右からパンで挟んだまま、三角形の端に齧りつけば大口を開けずに食べられるはずだ。
〈横にせずに、このまま端から齧ればいいんだよ。こうして――〉
お手本とばかりにミミルの前で齧りついてみせる。
ふわりと柔らかかな食パンと玉子焼きに齧りつくと、トマトとウスターソースの香りが広がり、遅れてマスタードマヨネーズのツンとした辛味が鼻腔を刺激する。
しっとりと柔らかい食パン、ふわり柔らかい玉子焼きが口の中で解け、混ざりあうと共に、甘く優しい卵の風味が口いっぱいに広がる。
「うん、美味いな……」
食べられないときに自分で何度も試した味だ。
本家には及ばないだろうが、とても上手くできたと思う。