第142話
途中で周辺の草を刈ったのが功を奏したようだ。
地面から生えた状態で草を踏んでも根があるので滑らない。だが、俺がエアブレードで刈り取った葉だけの状態だと滑りやすくなるようだ。
結果的に5頭全部が転倒するという面白い結果になり、俺はただ倒れて藻掻くブルンヘスタに止めを刺すだけという単純作業になってしまった。
それに、たとえブルンへスタと1対1で戦うことになっても、この草原の草は邪魔で仕方がない。
刈っておけばブルンヘスタが脚を滑らせてくれるというメリットもあるし、その後も草を刈って有利な場所を作って戦うことで思ったよりも楽にブルンへスタを多数倒すことができた。
また、刈った草は一定時間経つと魔素に戻るようで、視界を遮る草がなくなって動きやすくなったのも良かったようだ。
結果、俺はミミルが連れてくるブルンヘスタをエアエッジやナイフでサクサクと倒していった。
ミミルの話では作業にならないようにという話だったのだが、結果的に作業になっていたような気がするな。
そうして2時間ほど経ったところで、周囲からブルンへスタの気配が消えた。
第2層の太陽が地平線に沈みつつある中、俺は漸く一息ついた。もちろん、ミミルも地上に下りて俺の数歩先を歩いている。
〈ミミル、どうして急にあんなことをしたんだ?〉
別に怒っているわけではない。
いや、確かに最初は頭にきたが、よくよく考えるとミミルは俺を死なせる気はないだろうし、本当にブルンへスタに殺されるほど俺が弱くないと信じているのだろう。
だが、俺の攻撃手段を考えたら明らかに相性が悪い相手なのも確かだ。
ミミルならそれくらい理解できることなのに、なぜ大量のブルンへスタを引き連れ、なすりつけるような方法をとったのか……それが知りたい。
ミミルは立ち止まって振り返ると、俺を少し見上げるようにして話し始める。
〈しょーへいは、まだダンジョンのことや魔法のことを心のどこかで信じ切っていないのではないか?〉
ミミルはそう言うが、実際にいまダンジョンの中にいるし、エアエッジやコラプスなどの魔法を使えるようになったし、魔力で水を出したり、石を出したりすることもできる。
それは現実として認識しているつもりだが……。
〈それはどういう意味だい?〉
〈そうだな……言葉を変えよう。
しょーへいは、どこか魔法を使うことが怖いと思っていないか?〉
〈いや、そんなこと考えたこともないぞ〉
〈私にはそう見える。それに、ダンジョンにいるのは本当の自分ではないと思っているのではないか?〉
〈いや、それも……〉
確かにダンジョンの中に入るとあまりにも景色や空気が違うので夢の中にいるような感覚がないわけでもない。魔素のせいか疲れにくいし、ほとんど睡眠欲や食欲が湧かないから現実感が薄れるのかも知れないな。
魔物が霧散する姿を見ていれば死んだら分解されて魔素になるというのも理解できるが、それで本当に自分が死ぬのかというとなんだか実感が無いのも確かだ。
〈どうだろう?〉
〈訊ねたのは私の方なのだがな……〉
ミミルは俺の返事に首をこてりと傾け、両手で呆れたとばかりにポーズをとる。
〈とにかく、しょーへいはまだ本気を出せていない。だから、魔法も上達しないのだと私は考えている〉
ミミルはそう話すとまた背を向けて歩きながら話を続ける。
〈せっかく身体強化を教えようというのに、出し惜しみされた魔力では充分な効果が得られないからな〉
〈つまり、俺が力を出し切ることができるようにするための荒療治だということか?〉
〈他に何がある?
一度死と隣り合わせの状態で懸命に戦ってみれば今のように恐る恐る魔力を流し込んだりすることがなくなるはずだと思ったのだがな……。
まさか、草を刈り取ってブルンへスタが脚を滑らせるなどという戦法を考えるとは思いもしなかったぞ〉
いや、あれは偶然の産物だ。
俺自身、あんなことになるなどとは夢にも思っていなかった。
〈そもそも、技能カードが鈍色を示しているのだから、しょーへいの風刃であればブルンへスタの脚を切り飛ばすことなど容易いことなのだぞ?〉
〈そうなのか?〉
まず、身体能力は少なくともダンジョンに入る前よりも上がっているようだが、それがどのくらいなのか知らないし、魔力も実際にはどれくらいあるのかなんて俺にわかるはずもない。
いっそのこと、身体測定でもやってみたい気分だ。
〈お、見えてきたぞ。野営地だ〉
ミミルの言葉に視線を転じてみれば、眼前には幅にして50mはある大地の裂け目があり、その20mほど下に見える川底にはゴツゴツとした岩がゴロゴロと転がっていて、その隙間を縫うように川が流れている。
少し上流の方には大きな一枚岩があるのだが、その平らな上部は畳にして20畳くらいの広さがある。
〈あの岩の上でいいのか?〉
〈そうだ、あそこなら魔物が寄ってこないからな〉
〈それはいいが、どうやって渡るんだ?〉
〈こうだな――フロエ〉
またミミルに背中から抱きかかえられ、俺は空へと舞い上がった。