第136話
ミミルは30m程度の距離までブルンへスタに近づくと、右手を下から右方向に向けて振り上げた。
ミミルの投げた風刃が進行方向に伸びた草を刈りながら飛んでいく。
葉擦れよりも大きな音に気がついたのか、1頭のブルンへスタが風刃が飛んでいく方向へと目を向ける。
なるほど、移動する風刃の音で撹乱するという算段のようだ。
最初に風刃を投げた場所からミミルは更に前進して多少の音も立てているが、風刃が草を刈る音の方が大きく、見事にブルンへスタの注意を引きつけるのに成功している。
ブルンへスタが警戒しつつ少し風刃が消えた方向へと常歩で進んでいるのがその証拠だ。
ミミルはというと、風刃が飛んでいる間にブルンへスタへと更に近づいていて、風刃の射程に捉えている。周囲に草が生えていなければブルンへスタの横っ腹が見えていることだろう。
ミミルはそこでまた2枚の風刃を投げる。
周囲を草で囲まれている状態だからミミルには殆ど見えていない筈だが、目に見えない風刃が辺りを覆う葉先を切り飛ばしながらブルンへスタへと飛ぶと、1枚は正確にその胸に突き刺さり、もう1枚は喉笛を切りつける。
だが、見るからに厚い毛並みに防がれたのか、喉笛の傷は浅い。
突然襲った痛みに、ブルンへスタ後ろ脚で立ち上がり、怒気を込めて嘶く。
胸に突き刺さった風刃が霧散して消えているせいで傷が大きく開き、ブルンへスタが息をする度に鮮血が溢れ出ている。
こうなると、いくらミミルが小さくても、掻き分けて踏み倒された草が凡そ3m近い位置から見下ろすブルンへスタに居場所を教えてしまう。
少しだけ頭を出していた俺の方に標的が向かなくてよかった。
草が踏み倒された場所を視線に捉え、ブルンへスタは向きを変えて前脚を下ろすと、20mほど離れた場所にいるミミルに狙いをつけ、土を蹴り、首を立てて駆歩で走り出す。
1歩、2歩、3歩……最初は小さな歩幅。
歩数が増えるに従い、ミミルへと突進する速度は上がる。
大きな馬のような魔物にとって20mなどほんの数歩だ。
だが、突然ブルンへスタは地鳴りのような音と共に、前のめりに崩れ落ちた。
ミミルは草叢に隠れてその姿が俺から見えないが、ブルンへスタが倒れた場所からするとまだ数メートルあるはずだ。
雷魔法を使ったようには見えなかったし、別の風刃でも投げつけたのだろうか。
近くで見ることができなかったのが残念で仕方がない。そういう意味ではほとんど参考になっていない気がする。
倒れたブルンへスタから嘶きのような鳴き声が聞こえてくる。まだ止めは刺されていないのかも知れないな――等と考えていたら、視線の先で草が掻き分けられているのが見える。ミミルがこちらに近づいているようだ。
〈全部見ていたか?〉
〈草が邪魔で最後がよく見えなかった。どうなったんだ?〉
〈こっちへこい〉
ミミルに言われるまま後ろについて歩く。
30mほど歩いたところで、倒れたままのブルンへスタが目の前に現れた。
スペインのアンダルシアにいたとき、馬祭り(Felia de Caballo)を観に行ったことがある。アンダルシアの馬は体高が低く、150cm程度しかないが、体型としては美しい形をしている。
あと、京都競馬場のパドックで馬を見たことがあるな。もちろんサラブレッドと呼ばれるとても美しい馬たちだった。
さて、このブルンへスタ――馬のような体型だとは思っていたが、脚の太さや蹄の大きさは実際の馬のものよりも何倍もあると思う。関節もとても大きくてしっかりした印象だ。それに見てわかるほど筋肉質な身体つきをしている。こいつも軽く体重1tを超えるだろう。
胸元に刺さった風刃の跡や口元から鮮血が溢れ出ている。
恐らく胸に穴が空いたことで胸腔に空気が入ったのだろう。こうなると人間でも息ができなくなる。それに口から血を吐いているところを見ると肺の中にまで血が溢れているはずだ。
〈しょーへいが止めを刺してやれ〉
〈俺がかい?〉
〈ああ、早くしろ〉
ミミルの言葉に首肯で答えると、腰に佩いた赤胴色のナイフを引き抜き、ブルンへスタの心臓めがけて突き刺す。
一瞬、身体を痙攣させたブルンへスタは足先や尻尾などの末端部分から魔素へと還り、30秒ほどで霧散した。
そこに残ったのはブルンへスタの見事な鬣と形状的にはリブロースの肉だろうか。地球の馬と同じで、とても木目の細かい肉だ。
〈おっ!〉
ミミルは満面の笑みを咲かせ、肉を拾い上げて空間収納へ仕舞ってしまう。
他のものも仕舞って欲しいのだが、相変わらずミミルにとっては肉が大切なようだ。
さて、地面をよく見ると、鬣の中に埋もれるように琥珀色の魔石が入っていた。実はキュリクスも同じ大きさの魔石をドロップしていた。
ミミルが雷魔法で蹂躙していたので沢山ドロップしていたが、ほとんどミミル自身が空間収納へと仕舞っている。
よく見ると大きさはツノウサギのものよりもひと回り大きい。用途についてはミミルに教えてもらうことにするか。