第117話
地球における多くの動植物がどのように子孫を残しているのかを図鑑を用いて説明すると、ミミルはとても真剣な表情をして話を聞いてくれた。
〈ふむ、なるほど……チキュウの生物の営みは理解した〉
〈エルムの場合はどうなんだ?〉
現在の地球の文明はまだ生命の神秘の入口を覗いているに過ぎないかも知れないが、恐らく顕微鏡も存在しないエルムヘイムでは月経のことや、生殖行為などにより子が成されることは理解していても、遺伝や染色体、DNAなどは発見されていないだろう。
〈いや、身体の設計図というものあるということ自体、私は知らない。ダンジョンに入らない前提であれば、一定の年齢になると女性は月経が始まり、男性は精通して子を作れるようになる。そして運が良ければ子ができて生まれる……という認識だ〉
やはりな。
魔法という便利なものが存在し、子どもの時期にダンジョンに入って魔物を倒せば子どものまま成長が停止してしまう世界だ。実際に生殖行為そのものに関する知識はあっても、そこから先に母体で何が起こっているかということまでは解明されていないのだろう。
〈じゃあ、なぜ子どもが両親に似たところを持って生まれてくるのか……ということについてはエルムへイムでは誰も知らないということでいいか?〉
〈うむ、そのとおりだ。だが、基本的に顔立ちや肌の色が親に似た子どもが生まれるのはエルムへイムでも同じだ。チキュウ人のいう遺伝子というものは存在するだろう〉
〈エルムへイム人ということは、ルマン人や他の民族も含むということだよな?〉
〈そのとおりだ〉
いまのところ限りなく確定に近いと言えるのが、ルマン人だ。
恐らく千年以上前に北欧に住んでいたゲルマン人、ノルマン人がエルムヘイムへと渡った人たちであり、地球人と同じ染色体、DNAなどを持っていることが想定できる。
ただ、巨人族や他の猫人族、犬人族などの民族は地球とは異なる進化を遂げた別世界からの移住者だ。地球人と同じように生殖するとは限らない。
〈エルムへイム人とすると複雑だが、少なくともルマン人がこのチキュウから渡った人たちであれば間違いない。
だが、エルムへイムで独自の変化を遂げてきたエルムの場合は違う要素なのかも知れないじゃないか〉
ミミルは俺の言葉を聞いて眉間にシワを寄せると、怪訝そうに俺を見つめる。
〈しょーへいが言いたいことはわかる。だが、私がチキュウ人と同じようなDNAを持っているかも知れない。調べる方法はないのか?〉
〈調べる方法は……〉
調べる方法は、とても簡単。
ミミルを政府機関に突き出せばいい。
自衛隊なり、このあたりなら国立の大学病院なりに収容されて検査されることだろう。
身長、体重を測り採血や採尿、採便、レントゲンにCTスキャン、MRI……いや、これだけなら人間ドッグじゃないか。
えっと、他にも様々な部位から生体サンプルを取られるだろうな。取得可能な範囲の各種体液、皮膚や体毛、爪……等々か。
考えたくはないが、おかしな科学者なら骨の調査をしてみたいとか、脳のサンプルが欲しいとか言い出したりするんじゃないだろうか……そういう意味ではここが人権などあってないような国でなくてよかったなと思う。いや、そもそもミミルは人間ではないので人権は存在しないとか平気で言い出す輩もいそうだが……。
とにかくミミルには人道的な対応をしてくれるものと信じたい。
そして、ミミルのことが公になるかに関係なく、政府……いや、世界各国が興味を示すのは魔法と不老の身体だろうな。
その調査のために何年もの間、ダンジョンに入ることも許されず、調査実験の材料にされ続けることになるんじゃなかろうか。
そういう意味では魔法が使えるようになった俺も同じ扱いになるんだろうな。
もちろん、有益な資源がたっぷり眠る我が家の奥庭にあるダンジョンは、資源の少ないこの国にとっては宝の山だ。
何せ、日本のブランド牛よりも美味しい肉がとれるキュリクスがいる。まだ出会ってないが、鶏や豚に相当する魔物もいるかもしれないし、各種希少金属が採れる場所があるかも知れない。
また、ダンジョン内は魔素で満ちているのでウィルスや細菌類は繁殖しないとミミルは言っていたが、「未知のウィルスによる感染症が存在する可能性がある」として辺り一帯は立入禁止になるだろうな。それを理由に家の土地を含めて政府に強制的に収用される可能性もある。
うちの店はまだ開店さえしていないというのに……。
〈しょーへい、調べる方法は……なんだ?〉
〈あ、すまん……いろいろと考えてしまってたよ。調べる方法は……ないな〉
すまんミミル。
ここは嘘を吐くしかないんだ。
だが、ミミルは俺を見上げると、ニヤリとした笑みを見せる。
〈しょーへいは嘘が下手だ。DNAとやらを発見したのなら、同じ方法で調べれば済むことだろうに。他にも方法はあるのだろう?〉
さすがミミルだ。とても聡い。