第111話
結論から言うと、草叢に身を隠すのは意味がなかった。
そもそも体高が3mもあるゴールドホーンにすれば、草を掻き分けて隠れている俺を見つけるなど容易いことだ。俺が草を掻き分けて違うところに移動するのもよく見えているんだろう。頭を下げ、俺のいる場所に向けて太いツノを左右に振り回しながら追いかけてくる。
キュリクスは体型なども牛に近い魔物だが、このゴールドホーンはとても大きい。それなりに首も太くて長いので、撓るように振り回すと、ツノが膨大なエネルギーを保って草を薙ぎ払う。
こりゃ、当たれば大怪我では済まないな……。
牛に似た声で怒り狂ったように叫びつつ、ゴールドホーンがツノを突き出して左右に振り回す。2本の長いツノが風を切り、草を薙ぎ倒す際に生じる轟音が俺を追いかけてくる。
一方、俺からは周囲の草が邪魔でゴールドホーンがよく見えないし、背を向けて走らなければ周囲の草を薙ぎ倒しながら追いかけてくるツノから逃げられない。
ゴールドホーンは数回首を振り回しても俺にツノが当たらないからだろう……立ち止まって首を上げ、俺のいる場所を探しているようだ。首を振り回している間は、ツノを突き出すので前が見えていないからだろう。断続的にツノが草を薙ぎ倒す音が聞こえない時間があるので間違いない。
だがこのままだとジリ貧だ。
草叢に身を隠しても、俺から攻撃することができないんだ。奴が薙ぎ倒してできた開けた場所に出る方が戦いやすい。
ゴールドホーンが首を上げて俺を探している間に大きく回り込んで、既に薙ぎ倒されて開けた場所へと戻ると、ほんの5mほどの場所に頭を下げてツノを突き出した状態の奴が現れる。
ヤツはいま、頭を下げた状態で全く周囲が見えていない。まず、俺の居場所を確認するために必ず頭を上げるはず。
――いまだ!
ゴールドホーンが頭を上げようとした瞬間、2本のツノの間に向かって駆け込む。
まっすぐで太く長い2本のツノが、掬い上げるように俺の前を通り過ぎると、次に現れるのは、1m近くもあるヤツの無防備な顔だ。
高く飛び上がって狙いをつけると、驚愕に染まったヤツの双眸を見つめたまま、眉間に右手のナイフを突き刺す。
ミミルに貰った赤銅色のナイフの切れ味は素晴らしいが、流石に頭蓋骨は硬い。ガゼルやオリックスもメスの取り合いをする際はツノの付け根あたりをぶつけ合って戦うのだから、キュリクスも同様なのだろう。僅か数センチしか刃先が入っていない。
「――石頭めっ!」
咄嗟に左手でヤツの右側のツノを掴み、ナイフから右手を離すと、そのままツノの間に右手を押し当てる。
――マイクロウェーブ
口に出す余裕なんてない。とにかく至近距離から高出力の電磁波を飛ばす。
一瞬で体毛が焼け、焦げ臭い匂いが立ち上り、手を押し当てたところからヤツの頭蓋骨とその内側――脳が焼けていく。
その痛みに抗うためか、俺を振り落とすためなのか――ゴールドホーンは狂ったように首を振り回し、低く力強い声で絶叫を繰り返す。
だが、俺の発する電磁波は脳内の血液や脳漿を僅かな間で沸騰させ、脳細胞を破壊する。
力を失ったゴールドホーンの巨体が崩れるように倒れていく。
俺が地面に衝突する前に飛び降りると、ヤツの身体が地響きを立てて横たわった。
先程まで俺の目を睨むように見つめていたヤツの双眸は白目を剥き、絶叫のような声を上げていた口からは白い泡が出ているが、呼吸による胸部の上下動は弱いながらも続いている。
ヤツの眉間に刺さった右手のナイフを引き抜く。
刃先に特に刃毀れのようなものは見えない。流石、ミミルが作っただけのことはある。だが、3mを超える大きさの魔物となると、その骨にナイフでは歯が立たないことがよくわかった。
前脚の腱を切って動けなくするとか、脚の付け根――人間の場合は腋の下に該当する――にある動脈を切断してしまうという方法が戦い方としては正しいのかもしれないな。
心臓が停止したのだろう――目の前に横たわっていたゴールドホーンが霧散して消えた。
そこに残されたのは、拳くらいの大きさをした深い緑色の魔石と、巨大な肉の塊だ。
いつもは魔石をポケットに入れているが、これは大きすぎてポケットに入れるのが難しいぞ。
肉の方はどうやらヒレ肉に該当する部分だ。ミミルが持っていたサーロインとヒレ肉の両方でドロップするのではなく、こうして一箇所だけがドロップすることもあるんだな。今日食べた肉よりも大きく、少しサシが入っているので牛肉ならシャトーブリアンと呼ばれる部位も含まれている。すごく美味そうだ。
他に、金色のツノと腹側の毛皮、前脚の蹄なんかも残っている。
〈合格ですかね?〉
屈んでドロップ品を確認している背後に着地したミミルの気配を感じ、訊ねる。
ミミルは背後から値踏みするような視線で俺が手に持っているものを見つめ、答えた。
〈合格だ〉
えっと、合格したのは俺ですよね?
それともこちらの肉でしょうか?