第61話
ボルスティは瓦礫の下で白目を剥いて、口から泡を拭いたまま死んでいた。心臓は動いているし、肺も上下して呼吸はしている。ただ、もう死んでいるのだ。
その死体を観察すると、頭の部分はそうでもないのだが、硬化した背中の皮膚は毛の1本も生えていない。逆に、腹の方はとても長くて硬い上毛と、柔らかくて空気を含んだ下毛の2層になっている。背中と比べると腹側の方が柔らかいとは言え、普通の刃物なら下の肌に傷一つ付けられないだろう。
「おいおい……」
改めて倒した相手を観察し、声が漏れてしまう。
ミミルに貰った短剣で心臓を一突き――止めを刺そうと思ったのだが、どう考えても刃渡りが足りない。このまま息が止まり、心臓が停止するのを見て待っていてもいいが、これだけの巨体がもつ生命力ならかなり時間がかかるだろう。
仕方がないので、頸動脈を切り裂く。
ボルスティの血が派手に吹き出すが、やがて心臓の鼓動に応じて噴き出すようになり、その量を減らしていく。つまり、この血の噴き出しが止まるということ――それは心臓が停止したことを意味する。やがてボルスティの巨体は静かに魔素へと還り、霧散していく。
その場に残るのは琥珀色をした拳大の魔石、赤胴色の丸いメダルのようなもの、そして巨大な毛皮である。
ミミルは毛皮を空間収納へと仕舞うと、メダルとその大きな魔石をもって俺に手渡そうとする。
「悪い、大きすぎて持てないな……」
『ん――、あずかる。めだる、もつ」
恐らく第1層出口部屋の鍵なのだろう。メダルだけを受け取ると、ミミルが魔石を空間収納に仕舞うのを確認して、視線を上げる。
気がつくと、石舞台の中央に第1層の入り口部屋のような階段ができていた。
『いく――』
「ああ、そうだな」
手にしたメダルを見ると、中央に何かの動物らしき彫刻がなされている。恐らくイノシシ――先ほどのボルスティなのだろうが、上顎から伸びたキバがない。
裏返してみると六芒星が描かれており、周囲に文字らしきものが並んでいる。
どこかで見たことがある気がする文字なのだが。これはなんて書いてあるのだろう?
「ミミル、読めるか?」
「ギレンボルスティ――」
ミミルは俺の左腕にピタリとくっつき、覗き込むようにメダルの文字を読み取ると、念話になって翻訳されないよう、声に出して読み上げる。
ギレンボルスティ――さっきの守護者の名前が後ろについているところを見ると、何らかの関係があるものだのだろう。名前以外の情報があればミミルが教えてくれると思うが、特にそんな雰囲気ではないので、何もわかっていないのかも知れない。
「そうか、ありがとう」
『き、しない』
第1層出口の階段をミミルが先導するように降りていく。
俺の家の庭にできた入口や、第一層入口と同じく壁や天井がぼんやりと光っている。
外の方がかなり明るかったので、中に入ると目がなれるまで少し見づらい。
階段を降りきったところにある部屋は第一層入口と同等の大きさで、正面に転移石が置いてあるのが見える。部屋の温度は地下にあるせいか外よりも低いようで、乾燥し、ひんやりとした空気が肌を刺激する。
のんびりと部屋の様子を見ていたが、ミミルは先に転移石の前にまで移動し、俺に向かって手招きをしていた。
『しょーへい、めだる、おく』
「――あ、うん。わかった」
第1層入口と比較するように部屋の中を眺めていたが、特に違いは――転移石にメダルを嵌める場所があるくらいだろう。守護者を倒すことなく第2層には行けないようになっているようだ。
恐らくだが、ここでメダルを使って第2層に転移すると、この第1層出口はまた何らかの方法で隠蔽されるのだろう。
転移石の周辺にもどこかで見たような文字が並んでいるのだが、丸い転移石の本体がある台にメダルを嵌めるための凹みがあり、その周辺に書かれた文字は光を帯びていて特に目立つ。
「ミミル、この部屋に書かれている文字は――」
『しょーへい、ちしき、ほしい?』
俺としては、この部屋に書かれている文字が何のために書かれているのか、どういう内容が書かれているのかを知りたいだけだ。
恐らくだが、エジプトのクフ王のピラミッドに入ることができたとして、そこに書かれているヒエログリフを見たとすれば、同じ感想を抱くことだろう。
『にそう、はなす。めだる、はめる』
「ああ、わかった――」
当然、ミミルはこの部屋の文字くらいは読めるのだろうし、知識として既に記憶していることだと思うので目の前で読んでもらう必要もない。話を聞かせてくれるのなら、この部屋に拘る必要はない。
凹みの中にギレンボルスティの絵が彫り込まれたメダルを嵌めると、転移石本体が薄らと光り始めた。ここを触れば第2層へと移動できるのだろう。
左の二の腕あたりに視線を送ると、そこには俺を見上げてただ頷くミミルの姿がある。
転移石に触れると、いつものように目の前が明るく光り、俺は目を閉じた――。