2.ビーツァとシエレイ
2019.05.06 改稿(可読性向上)
ビーツァとシエレイ。共に十代半ばの、周りからは半人前にすら見られないような年齢で出会った彼らは、共に「クスリ」で両親を亡くすという共通した過去を抱えていたからだろうか、自然と信頼しあうようになり。やがて、相手が非凡な「何か」を持っていることに気付く。
――儲けの嗅覚を持つシエレイと、暴力の嗅覚を持つビーツァ。
壁の外には、公権力が及ばない。そんな場所は、時に、そこに住む者の想いに満ちて、渦を巻く。それは、平和な都市に住む者が想像するような安定を望む想いもあれば、商業都市に住む者が想像するような欲望に満ちた想いもある。権力、名声、富貴、時にはつまらない自己顕示欲まで、人の数だけ想いがあり、それが時に溢れ出て、人を飲み込む激流の元となり。――そして、どんな想いも、一たび激流となってしまえば、血と命を飲み込んでいく。
平和を求めて、無法の種を排除する。欲望を満たすために、人から奪う。どんな感情も、血を流すのには十分で。――そして、血を流すのは弱い者だと、相場が決まっている。
そんな世界で、寄る辺を無くした二人が、相手の嗅覚を頼りにするのは自然の成り行きだったのだろう。
シエレイにとってビーツァは、商取引が暴力によって壊され奪われるのを防いでくれる唯一無二の相棒だったし、ビーツァにとってのシエレイは、結局暴力の世界で生きるしかない自分に比較的真っ当な仕事を与えてくれる、またとない相棒だった。
やがて、二人がそれぞれの分野で、力をつけ、名を上げていき。互いに人脈を築き上げ、唯一無二の相棒で無くなった今も、数多の苦難を乗り越えて育んできた信頼と友情はそのままの形であり続けていた。
――この日、二人がこの酒場に入る、その時までは。
◇
「……ああ、そうだな。確かにその『危ない橋』は、お前の領分だ」
乾杯の後、「仕事なら友達価格で請け負う」と言ったビーツァにシエレイは、少し歯切れの悪い、どこかはぐらかすような返事をし、グラスに少しだけ入れた蒸留酒に口をつける。その様子を見たビーツァは、シエレイの、答えになっていない答えに軽く肩をすくめながら、自らのグラスを手にする。
片方はちびちびと。もう片方はごくごくと。会話の途切れた空気を嫌うように、互いに話しかける言葉を探りながら、ほのかに薄茶色に揺れる酒を、二人は無言で飲み進め……
――やがて、外の風景にその言葉を見出したのだろう、シエレイがビーツァに話しかける。
「……この河の向こうには何があるんだろうな」
「さあな。この街とは違う街があるんだろうさ」
帝国と隣国とを分かつ国境の河。極寒の地に流れる氷の河は、ただ渡るだけで命を危険にさらす、いわば、帝都の反対側にあるもう一つの壁。
帝国の中央と辺境を分かつ文字通りの「壁」と、氷塊が絶え間なく流れる、国境の河の形をした「壁」。二つの壁に囲まれた街の住民は、この街から出ることすら叶わない。だが、そんな事実も、この街に住む多くの住民にとってはどうでもいいことだった。――ほんの一握り、壁の向こうに行き来することを生業とするような者たちを除けば。
この街が「他の街と比べて」どれだけ過酷でも、街に住む人間にとっては、この街が世界の全てなのだから。
「お前、帝都に住むつもりはないか?」
――そう、「交易屋」シエレイのような、壁の向こうを知るほんの一握りの者たちを除けば。
◇
「ここに、お前の分の『臣民契約書』がある。こいつがあれば、俺たちは『壁の向こうの住民』、帝国臣民になれる。――こんなクソッタレな街で、ただ生きるために命のやりとりをする必要も無くなるんだ」
シエレイは、懐から封筒を取り出すと、その中から一枚の書類を取り出す。――帝国臣民契約書。帝国臣民、壁の中の住民にとっては出生届と同時に役所に提出する、ごくありふれた書類。だが、帝国臣民にも他国民にもなれない壁の外の人間にとっては、壁の内側で生まれ変わるという夢を叶えることを可能にする、千金の価値がある書類。
その書類を机の上に広げ、同じく懐から取り出した万年筆をその上に置いて。シエレイはビーツァに向けて、説得するように話しかける。
「ただ生きていくだけなのに、荒事がついて回るのは間違ってる。少なくとも、お前は『自分の都合で』誰かと命を取り合ったことは無いはずだ。――なら、『命のやりとりの無い、普通の暮らし』だってできるだろう? そんな未来が、こいつにサインをするだけで手に入る。悪い話じゃないだろう?」
そんなシエレイの話を、ビーツァは、どこか苦笑しながら耳を傾け。少しだけ考えた後に、シエレイに向かって問いかける。
「そいつは、今すぐに決断しないといけないことか?」
「――ああ。こいつは明後日までに『帝都』の役所に提出しないと無効になっちまう。今晩中にはここを出て明日の朝までに『壁』を超えないと、間に合わない」
シエレイの、どこか焦りを感じるような答えを聞いて。ふと、そんな未来も良いかもしれないなと、そんなことをビーツァは思う。この街から出て、壁を越えて、帝国臣民になる。それも、周辺都市に居を構えるのではなく、帝都の住民として、だ。
――きっとシエレイは、自分を誘う、たったそれだけのために、「危ない橋」と知りながらこの街に戻ってきたのだと、そうビーツァは確信をする。
ビーツァは、そんなシエレイの行動が、自分に向けた友誼から出たものだということを確信しながら……
「――返事をする前に一つ聞きたいが」
それでも、どうしても一つだけ、これだけははっきりさせなくてはと、店に入る前からそう思っていたことを確認する。
「最近、この街に出回り始めた新種の『ケムリ』、あれはお前が広めたモノなのか?」
――それは、自分たちの生に影を落とした「クスリ」という代物に、なぜお前は手を出したのかという、抑えきれない非難の響きが混じった、そんな問いかけだった。