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蚕のひと  作者: Hank Memory
2章 狼の呪い
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2-7 鳳家



 鳳家は江戸からこの村に入った一族で現代までの商いは蘭学者及び蘭学医から薬剤師だとか人の生命に携わる仕事が殆どだ。

 村に入る以前は何をしていたのかは、残念ながら資料として残存していなかった。

 家系図は確認できたが、所々虫食いや何頁か破られている。

 年々の紙の劣化かやはり意図的に消された歴史なのか、すべての真実は闇の中にある。


 1994年



 馬宮修は村の外に出て行き、彼は外の学校で一年を過ごし卒業した。そのまま中学校も大学付属の中高一貫校へと通ったようだった。

 蛇園兄弟たちと満晃たちは四人揃ってみな同じ小学校を卒業したが、進路はバラバラだった。蛇園涼介は隣の府にある市内の私立中学に進学した。爽太は満晃と同じ公立の中学校へと進んでサッカー部に入部してで日々練習に励んでいる。

 ……朔夜は、同じ町の違う公立中学校へと通った。本人が願い出たことだった。


 馬宮修とは月一の世間話を綴った手紙の交流がしばらく続いたが高校に入る頃には途切れてしまった。満晃も高校は勉学に勤しみ忙しない毎日を送っていたので手紙を書く余裕は無く、中学時代よりも厳しくなっていた。


 蛇園兄妹がそれぞれの特長に合わせて進路を違えたように、満晃も同じように転換期が訪れた。

 転換期と呼べる時期とは、中学二年の六月、梅雨の頃だった。


 中学校は村には無かったため、手近に隣の市にある公立に毎日30分ほど時間をかけて通った。

 村から隣の市へ行くのは案外むずかしいことではない。山を隔てた向こうに市があるのでいつも長いトンネルを経由して登下校を済ませた。

 同じ学校へ行くため爽太とは待ち合わせをして一緒に、舗装された道、田畑を横切り山の麓のトンネルに潜る。登下校の会話は爽太が先に話題を切り出す。大抵は部活の話や昨夜の夕飯の内容、クラスでのちょっとした騒ぎや学校の教員の噂や愚痴であった。

 爽太が忙しく下校の都合が合わない時、満晃は図書室で勉強した。

 ひとりで帰る事ができないのではなく、両親たちから登下校は必ず一人で行動しないようにきつく教えられていたからだ。山のトンネルは少々薄暗く、痴漢や誘拐に遭ってもおかしくない道だった。

 満晃も爽太も自分たちは男であり、少女のようにか弱くはないプライドが備わっている。だが、入学式の次の初登校日に二人はそれぞれ一人で学校に登校したものの、下校するときには「やっぱり登下校は一緒の方がいい」と親の意見を汲むことにしたのだった。



 六月の衣替えを迎えたがその日の朝は肌寒く、指定の黒い学ランを羽織って満晃たちは先日行われた数学の小テストについて話し合っていた。満晃と爽太はクラスが違い、週に三回以上ある数学の授業の進度は満晃のクラスが早かったので、授業のネタバレを聞くのが爽太の楽しみの一つだった。

 特に小テストは厳しく問題数に対して点数が低い場合、再テストが施行されるシステムで、その再テストは放課後に行われる。

 部活に入っていなかった満晃ならともかく、サッカー部の期待の新人であった爽太にとって放課後の練習時間を、僅かな時間でも削られるとなるというのは死活問題である。そのため小テストの結果が悪くならないよう満晃からテストのヒントを貰っていた。


 今日行われるテストの不安を打ち払い、爽太はまさに爽やかにはにかみ、トンネルを抜ける頃には雑談を始めた。

 「図書室の番人がいるって噂になってるんだよな。満晃のことだけど」

 「……はア?」

 「他にも図書室の妖精とか色々あるんだけど……」

 「意味分かんないよ」

 また学校の七不思議の噂を拾ってきたかと思えば、その噂の渦中に自分がいると知って満晃はとんでもなく素っ頓狂な声を上げた。

 「俺も意味は分かんねえけど、噂になってるくらいお前は人気者だってことさ」

 「噂、……噂っていったい誰が流してるんだ」

 「噂じゃなくて、事実だろ。俺んとこの担任がまた水泳部の誘いを掛けたけど断ったんだろ? 去年の水泳授業の時からずうっと目えつけてるし、勉強ばっかに明け暮れて頭カチンコチンになっちゃいますよお、満晃くん」

 「うるさいなア」

 筋肉バカに言われる筋合いはない、と思った。

 家の伝統に縛られている自分にとって、似た境遇なはずである爽太のいつも気楽で自由な所に少々妬んでいた頃だった。

 「でも」と爽太が言葉を差し込んだ。学校前の交差点が赤でちょうど止まったところだった。

 「息抜き程度でいいからさ、水泳やってみろよ。途中から入っても怒られないって、満晃なら」

 「担任の口から僕の事を聞きたいだけだろ」

 「おかげで俺は誇らしいんだ。有名人と肩を並べて登下校ってこと」

 「爽太さあ……」

 爽太が有名人と言うなら真実、そうなんだろうな。

 茶化すことが多いが爽太は嘘をつかない性格で、実は彼もそれなりに有名人だった。

 放課後の図書室に訪れるのはなにも皆勉強熱心なわけもなく、ちょっとしたおもしろい話も錯綜する場所だった。


 あの子が好き、どの子が好きだとか女子たちのさざめき。

 あの部の三年生がカッコいいだとか具体的な支持にサッカー部の二年である爽太の名前も時折聞こえてくることがあったのだ。

 「まあまあ。ちょっとだけでいいから。水泳部の部室知ってるか? それとも俺から担任に言っておこうか?」

 「……自分で行く。アポありだと大騒ぎになるのが目に見えるし」

 「言えてる」

 二人分の砕けた笑い声はまばらに登校してくる生徒たちの間に溶けていく。

 満晃はその日の放課後、プールサイドにある水泳部の部室を訪れた。翌日、予想を裏切らない形で爽太の担任が朝のHRで吉報をクラスに広め、その話は爽太とは4つほど離れたクラスに在籍していた満晃本人の耳にも届くこととなった。



 6月15日


 夜、広くなった子供部屋の窓を雨が叩く音。

 勉強を終え明日の準備をして眠ってから小一時間が経った頃だろうか。

 雨音が幽かになった時、表の診療所のドアが五月蝿くなって満晃は目を覚ました。

 両親が子供部屋の前の廊下をバタバタと走って行くのを盗み見るように満晃は襖の戸を開け、ただならぬ気配にこのまま眠れる気がしなかったので2人の後を追った。


 両親は診察室にはいなかった。とするなら地下の手術室だろう。

 誰かひどい怪我を負ったのか、やけどを負ったのか、事故なのか。


 本当は、そこで満晃は自分の部屋に戻ればよかったのかもしれない。戻って、明日も来る少年の日常に没頭するべきだったのかも。そうすれば、徒人となり人生に悲観することも無かった。


 だが満晃は歩みを止めなかった。地下へ続く階段を下って、処置中である手術室の扉が半開きになっていたその隙間に目を差し込んだ。


 中は慌ただしく、天井から吊り下がる無影灯の光が無情の色付けをしている。

 手術台に横たわるのは着物姿の男だった。

 満晃はそれだけで心臓が痛いほど激しく躍動するのを感じ、目を背けたくなった。


 母がシートとタオル、処置用のキットを箱から取り出しトレイに並べていく。台の上の男は荒い呼吸の中何かを叫び、時折父が「安心してください」や「痛くないですよ」と声を掛けていた。


 「和将さん、点滴の用意をお願いします」

 「わかりました」

 父が患者の傍を離れたことによって、父の影になって見えなかった男の顔が明らかとなった。

 満晃は僅かに胸を押さえた。葵さんではなかった。しかし、葵さんによく似た人だったからだった。

 「準備完了」

 父はてきぱきと用意を進め、そのまま奥の準備室へ消えてしまった。その間、母は棚から黒いベルトを複数用意しそれを患者の両足に縛り付けた。

 満晃は驚きのあまり固まった。

 いったいなにをしているんだろう、怪我人をそんな風に扱うなんて。

 その時満晃は怪我人だと理解したが、後から考えるとそれは当然ただの患者ではなかった。両手足を黒ベルトで締め終わる頃、父がグリーンの手術着を纏って戻ってきた。


 その時患者の男はより一層悲鳴をあげ、そして怒号が手術室の静寂を突き破った。

 「あいつを殺してやる!!!!」

 憎悪が男を支配している。満晃は直感的にそう思った。

 父がすぐに男の両肩を押さえつけ「落ち着いてください」と感情のこもらない声で言い放った。

 「あいつが、ァ、あいつが、あいつさえ! 生まれてこなければ、こんな……! こんなことなら、生まれてすぐに殺すべきだった!!」

 苦しみ喘ぐ男は肩を掴む父の腕に縋った。

 「あの女を殺せ、殺してくれエ!」

 そして人一倍唸ったかと思うと、目を剥いたまま男は事切れた。

 筋肉が伸縮を繰り返し、そしてズルっと滑った両腕は寝台に叩きつけられ、今にもはちきれそうだった黒ベルトも軋まなくなり、糸の切れた人形のような最期を迎えた。

 生まれてはじめて、人が死ぬショッキングな光景を目の当たりにした満晃はペタンと床に尻餅をついた。


 手術室に再びの静寂が落とし込まれる。父は腕時計を確認し「一時十三分」と呟くと、男の両目を閉じ、着たばかりの手術着をあっさり脱ぎ去った。

 そして手術室の扉に立ちはだかって「逃げなくていい。見ていたんだろう、満晃」と重々しく口にした。




 雨上がりの六月の朝は曇天のまま明るさを取り戻したが朝食の席はいつも以上に緊迫していた。

 食欲がわかず、パック入りのオレンジジュースをストローで吸う。眠くて目をこすったが覚醒した頭では布団に入ることしかできないだろう。


 「満晃、今日は学校を休みなさい」

 父の言葉を聞いて躊躇ったが、今日一日落ち着いていられる自信が全く無かったので首肯してみるしか無かった。満晃の向い側に座する父は自分と同じく目の下に隈を作って新聞を読んでいた。

 母の淹れたコーヒーをたまに口に運んで息をついた時、また玄関の方からドアを叩く音がした。

 昨夜の事があってから過剰に反応してしまう満晃は何度も「落ち着くんだ」と自分への励ましの言葉を繰り返した。

 「野巫さんかな」

 野巫さんというワードだけでやはり、あの男は上狼塚やその周辺の人間なんだと確信した。玄関の方へ行ってしまった父はすぐに戻ってきた。

 「昼過ぎに上狼塚へ行く」

 「喪服ですか?」

 満晃の隣で焼いたトーストにマーガリンを塗っていた母が問いかけると「そうだな……、ネクタイあったかな」と笑った。

 母も「じゃあ、あとで探しておきますね」と微笑み返すので、満晃は自分だけがこの状況に馴染めていない疎外感に悲しくなった。

 「野巫さんが正午に車を回してくださるそうだ。あの人を運んでもらって、後から私たちも行く」

 「私たち?」

 母が聞き返す。

 満晃は顔を逸らしたが目は逸らせなかった。父はまっすぐに息子の目を捉えていて、それはつまり満晃も上狼塚へ赴ことを意味していたのだから。もちろん拒否権はない。

 「満晃も連れて行く」

 「和将さん、それは。……満晃が可哀想よ。それに爽太くんも一人で行かせちゃうし」

 「蛇園には連絡を入れたよ。でもどこで穴が開いてるのか蛇園も既に知っているようだった」

 蛇園も知っているのなら爽太も休みにならないのだろうか。

 「お通夜にはどこの家が?」

 「御三家当主と野巫、上狼塚は身内が出る」

 そう、と物憂げな様子の母は冷める前にトーストの端を齧った。

 「残念ながら朔夜は通夜にも葬式にも出てこない」

 「え?」

 朔夜の名前に思わず声を上げた満晃は食い入るようにして父を見つめた。

 片割れの朔夜はもう鳳家の子供ではなくなっていた。戸籍上は鳳の家にいるが、彼はこの頃から上狼塚の家に住んでいた。

 「会いたかったか」

 「え、と……。会いたいというか」

 「まだ朔夜は当主様に名前を加えられてもらっていないから、こういう行事には出られないんだ」

 会いたいか会いたくないかでいえば、会いたくはなかった。

 朔夜がおかしくなって、自分に振るわれる嫌がらせから解放されせっかく安寧を手に入れたのだから。

 けれど同じ両親の元から生まれ、自分と似た存在に情がないわけではない。


 当主様とは上狼塚の長の事だろう。

 上狼塚家にどれほどの人間がいるのかは不明確で、父もすべてを把握している様子ではなかった。



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