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81~100


81.UMAは本当にいると思いますか。


 いないと思います。昔父母と旅行でネス湖に行ったことがあって、別にその時もネッシーの存在を信じていたわけではないのですが、あのよどんだ湖に恐竜というのは不似合とでも言いましょうか、どうしても絵が安っぽく恐竜という神秘に釣り合わないとしか思えず、やはりUMAは存在しないのだとどこか落胆した記憶があります。


82.幽霊を信じますか。


 厳密には幽霊ではないですが、虫の知らせというのはどこかで信じています。祖父母の家に滞在していた時、原っぱで遊んでいたら転んでしまい、運悪く転んだ先に栗のいがが落ちていたのです。棘が掌に刺さりました。爪と爪で挟んで引き抜こうとしたのですが一部は手の皮膚の奥に入ってしまって抜けません。痛い、というのもあるのですが、棘が抜けなくなってしまったということに対して得も言われぬ不安を感じて、私、泣いていたんです。小学生も高学年でしたから、こんなたいしたことない出来事で泣いてしまうなんて自分でも意外だったのですが、涙がなかなか止まらなくて、その場にへたったまま動くことができなかったのです。すると。

「おーい」と声がして、祖父が現れたんです、バイクに乗って。祖父は走ることなく、しかし幾分速足で私に近づいてきて、「どうした?」と聞きました。私は手を差し出し、しかし泣いているため声がうまく出せなくて、なので祖父に掌を突き付けて見せました。祖父は眉間にしわを寄せて細目でじっと私の掌を見つめて、それから合点が言ったように頷き、私の手を引きました。私はその勢いで立ち上がり、祖父についてバイクまで歩きました。

 家に戻ると祖父は救急セットから針抜きを取り出し、何も言わずに私の手首をぐっと掴み掌を上向かせ、針抜きを皮膚に押し付けました。痛い、と私は思いましたが、声を上げたらこの空気が壊れてしまうような気がして耐えました。祖父は一つ、ぎゅっ、二つと針抜きを皮膚に押し付けながら棘を抜き、やがて全部の棘を除去すると興味がなくなったように掴んでいた私の手首を離し、救急セットを片付けて別の部屋に行ってしまいました。その背を見届けた後、私はじっと手を、さっきまで棘が刺さっていた位置を見ていました。血は出ませんでした。次第に痛くなってきたような気がして、しかし私はもう、泣いたりしませんでした。

 その夜の食卓で、おばあちゃんは祖父がいきなり行き先も告げずに家を出て行こうとし、どこへ行くかと尋ねれば「ちょっと」としか言わなかったと笑っていました。母は「変なの」とやはり笑っていました。私は夕飯を食べながら切り出す機会を探っていたのですが、結局、石仏のような態度のおじいちゃんを前に、ありがとうは言えずじまいでした。


83.宗教は何を信じていますか。


 それは、特に特定の宗教を信じているわけではないですが、祖父母が真言宗だったので、父も私も真言宗になるのだと思います。有名な色即是空空即是色や、各仏の真言がオンで始まりなんたらなんたらボージーソワカで終わったような記憶があります。祖父の何回忌やらで何度か唱えているので、雰囲気は憶えています。それだけ祖父の死に悔いがあるのかもしれません。


84.死ぬ、と思った体験はありますか。


 幸運なことに今まで一度も死にかけたことがありません。


85. 虫に触れますか。


 幼稚園の頃は花や葉を採集する際に偶然手に虫が触れることがそれなりにあったのですが、特別な感慨はなかったように記憶しています、けれど、小学四年生ぐらいからでしょうか、誰かがそう言ったわけでもないのに「虫は気持ち悪い、汚い」という価値観が刷り込まれて、初めは芋虫系が、やがてテントウムシのようなものも触れなくなりました、見ただけできゃーきゃー言うようになってしまいました。今では、職場に現れたゴキブリ筆頭の不快害虫はもちろん、蝶々やコガネムシなども捕まえて窓の外に捨てています。必要に駆られると人間図太くなるのかもしれません。でも、虫のほうは何も変化していないのに、物の見方によってずいぶん私たちの行動が影響されることを思うと、不思議な気がします。


86. 夜型ですか、朝型ですか。


 昔から宵っ張りの朝寝坊で、朝はとにかく布団から起き出すのがつらく、対して夜は目が冴えてしまって寝付けず、あまり眠りの質はよくなかったです。今は仕事がシフト制で大概朝から勤務なのですが週二で夜勤があり、夜通し起きているのですが、やはり身体の衰えなのか徹夜がつらいです。ただ、深夜には妙なテンションになると言いますか、休めばいいのに同僚と世間話で盛り上がってしまうことがあるんです。恋愛の話だったりドラマの話だったり、両親や将来設計の話だったり、勤務体制や上司への愚痴だったり利用者へのここだけの文句だったり、時に私のような陰惨無残な過去の話だったり。そういうのがないとモチベーションの面でもたないんだと思います。たしかに楽しかったですね、骨折事件が起こるまでは。


87.美術家では誰が好きですか。


 印象派に属する画家たち、特にルノワールでしょうか。華やかだし、癒されるし、それとどことなく俳句に通じる部分があると言いますか、というのは、印象派の画家たちは動いている事物の一瞬を切り出して絵に留めているような気がして、それが瞬間的な場面を切り取る日本の俳句に通じるものがあるように思うんです。その瞬間を逃したらまた別の物に変質してしまっている、一回性とでも言いましょうか、その変化の中の不変の映像を取り出した絵が好きです。


88.鶏と卵、どっちが先だと思いますか。


 進化というものを考えれば先に卵だと思います。


89.お風呂に入る時、まずはどこを洗いますか。


 まずは腕から、それから下に下りていきます。

 父や母と一緒に入浴していたのはたしか小学三年生までだったと思います。学校で、初め男子がいつまで両親と一緒に入浴しているのか尋ね回り始め、それがなぜだかブームになり、やがて女子も誰々ちゃんはまだ一緒に入ってる誰々ちゃんはもう入ってないなどと言い出し、まるでそれが踏み絵のように使われて大丈夫な子と大丈夫じゃない子が選別される、キリシタン弾圧のような儀式が行われて、クラス中がざわめいている時期がありました。私はみんなと一緒じゃないということが怖くて、そのゲームが始まってからすぐに両親とのお風呂を拒否するようになりました。突然のことだったので父も母も私に理由を尋ねましたが私は答えませんでした。なんとなく、それが恥ずかしいことのように思えたからです。よく、実に馬鹿げたことで通常と違う人間だと判断されるのは、学校という箱に入れられている時期だけ、と言いますが、みんなと違ってる違わないというのは社会人になった今でもついて回っています。そういうのが馬鹿げたことなら、私たち大人はまだ馬鹿げたことを続けているような気がしてなりません。私たちのやることはみんな馬鹿げている、なんてしたり顔で言うと幼稚だと非難されるのもまた馬鹿げていることのように私は思います。

 とにかく私は、両親に背中を洗ってもらっていた名残なのかまず腕から洗い、背中は最後のほうに洗います。そしてちょっとしたオチとして、クラスのみんなは私に話しかけづらかったのかそもそも興味がなかったのか、誰一人として私に両親と一緒にお風呂に入っているか聞きませんでした。私の自意識過剰だったわけです。仲間外れも、たまにはいいことがあるのですね、少し惨めでもありますが。


90.足は早いですか遅いですか。


 遅くて遅くて、運動会や体育祭のかけっこはビリが定位置でした。高校の体育祭で学年ごとに全員参加のリレーなんて狂った種目があって、学校が平等というものに配慮したがためそんな種目が誕生したらしいのですが、もっと真なる平等について考えてほしかったのですが、全体二位から私はスタートしたのですがトラックを半周するまでに二人に抜かれて四位になってしまって、足が遅いんだから当然の帰結だろうというどこか怒りさえ内包した気持ちと順位を下げて申し訳ないという気持ちと、二つ入り乱れた状態で私のクラスが陣取る位置に帰ったのですが、私同様足の遅い子が労をねぎらってくれただけで他の生徒からは特別怒られもせず、また褒められもせずで、案外私が気にしているほど他人は私を見ていないのかもしれません。


91.どの花火が好きですか。


 打ち上げ花火と呼ぶのでしょうか、地面に置いて、しゅん、しゅん、と火玉が打ち上がるやつが好きです。小さい頃から線香花火より手持ち花火、手持ち花火より打ち上げ花火、と憧れていて、しかし私の家周辺ではそんなもの打ち上げるスペースがないもので、憧れを実現することができず私はしょぼい手持ち花火で我慢していたのですが、小学生の時、帰省した際、祖父母の家の広大な庭で、夢の打ち上げ花火に点火することができたのです。

 広大な庭が田舎の偉大さ、私は父と一緒に量販店で購入した花火セットをいそいそと安っぽいビニール袋から引き出して、私は好きなものは後から食べるタイプなのでまずは線香花火、続いて手持ち花火と消費していきました。そこから念願の打ち上げ花火です。予め父が庭に等間隔に横一列に花火を並べていました。離れて見てみるとまるで陰陽師の結界のようで実に楽しげで神秘的で、火をつけて消費してしまうのがもったいないような気さえしたのですがそれでは花火の意味がありません、ですので私は一番右に置いた打ち上げ花火へと歩み寄りました。その時でした。

 父が、さっと横入りして、打ち上げ花火に火をつけてしまったのです。「離れて」と言って父は私の手を掴んで数歩下がりました。当然大人の腕力にはかないませんから私も数歩下がり、花火は導火線をしゅうぅーと大型の蛇のように鳴らして、ある一瞬に沈黙してその一秒後ぐらいにしゅん、しゅん、と火の玉を夜空へと打ち上げ、五発ほど打つとまた火をつける前の静寂に戻ってしまいました。縁側で見ていたおばあちゃんが「きれいだねえ」と声を上げ、父が「いいねえ」と呟きました。しかし私はいいねえどころではありません、私は怒りました、「どうしてお父さんが火をつけてるの!」と父に抗議しました、すると父は「打ち上げ花火は危ないから」と言うのです。私は「危ないって何!」と、あまり意味をなさない抗議をして二つ目に点火に行こうとしたのですが父が着火装置であるチャッカマンを渡してくれないのです。父は冷静に先ほど打ち終えた打ち上げ花火を手に取り、年齢制限があるから、と私にラベルを見せました。私は却って興奮を煽られて、大丈夫だから火をつけさせてくれと父に何度も頼み、しかし父は一向に首肯せず、私はついに泣き出してしまったのです。どうしても自分で点火したかったのです。花火の音で興奮した犬のレオンが鳴き、私は私で泣き、どうにも収拾がつかなくなった時でした。

 縁側で様子を見ていた祖父が近づいてきて「やらせてやれ」と言ったのです。私は、いかにも陳腐ですが、夜の闇を押しのけて太陽がきらめいたように感じました。いつもは怖い祖父の口ぶりが、実に頼もしく聞こえました。祖父は父からチャッカマンをすっと取り上げて私の閉じていた手に捻じ込みました。「いいの?」と私は間抜けのように聞きました。何か言いかけた父を制しておじいちゃんは、「うるさくってかなわん」と言い、私の肩を叩いて鳴き止まないレオンのほうへ向かいました。私は少しの間ぼうっとして、それから父の顔を窺いました。父は苦笑しながら「つけてみな」と言いました。私はもう、嬉しくて嬉しくて、打ち上げ花火へと走って向かい、「気をつけろよー」という父と母の声を背に、導火線へ火をつけました。しゅー、と音がしてきらきら光る光が導火線を燃やして進んでいきます。私は急いで距離を取りました。花火は少しして、ばしゃー、と、噴水のような橙色の火を噴き上げました。私は無言でそれを注視していました。いけないと禁じられていることをわざと行ったかのような背徳の興奮を感じていました。単に強い光に脳が反応していただけなのかもしれませんが。やがて火の噴水は止まり、私はほっと一息吐いて、それからおじいちゃんのほうを見ました。祖父は狂乱状態の犬と無言の会話をしているかのように、しゃがんだまま動きませんでした。

 設置した打ち上げ花火すべてを上げ終えても、祖父は大きな岩のように動かず犬を見つめ、こちらを振り返ることはありませんでした。


92.どのチーズが好きですか。


 特にこれというのはないのですが、カマンベールチーズは好きです。父のお気に入りのブルーチーズは無理でした。


93.初めて自分の小遣いで買った物は何ですか。


 布です。授業で使うので小学四年生の段階で裁縫セットは持っていたのですが、さすがに布までは持っていなかったので買いました。授業で作った第一号は鍋掴みで、実にシンプルで、自分で言うのもなんですが完璧にできまして、ただ、色合いが茶色でものすごく地味で、潤いに欠けているように思ったので後日自宅で、白と青のストライプの布で鍋掴みを作り直したんです。とてもいい感じにできたのですが母に言わせると茶色のほうが汚れが目立ちにくくて使いやすいとのことだったので、たしか自分の机の引き出しに放り込んだまま今でも死蔵状態です。今度実家に帰ったら掘り起こしてみるのもありかもしれません。白が黄ばんで小汚くなっていそうで心配ですが。


94.山登りと海水浴に行くのとではどちらが好きですか。


 どちらも好きではありませんがどちらか選べと言うなら山登りです。小学五年生の遠足が山登りで、きつい山道を、まだ終わらないのか、まだ頂上に着かないのか、と、それだけ考えて登っていたのを憶えています。進むのが遅いので班の子は迷惑そうにしているわ、私の足には豆ができて痛むわでなぜこんな苦役を行わなければならないのか理解できませんでした。先生は、人生におけるきつさに耐性ができる、と方便していましたが、私は精神面が脆弱なのか未だ苦しくなってくると隠れて皿やガラスのコップを割ったりする悪習を卒業できていません。遠足から帰宅した夜も何かを割った記憶があります。


95.小学生の頃の思い出は何ですか。


 やはり、花瓶を割るというストレス発散法を発見した時でしょうか。実に歪んだそのストレス解消法は当然咎められ、その日の放課後に担任の先生と面談という運びになりました。先生はなぜ割ったのかと聞くのですが私は、私の中の何かが飽和状態になり体が自然と動くんです、と説明しました、しかし先生は意味が分からないらしく何度も「なぜ割る必要があったのか」と、理由を求めました。でも、理屈じゃない。そういう、カラスノエンドウの鞘がいつしか黒くなって弾けるような説明不能な必然性、ある種の不条理を学習できたのも大きいと思います。

 ちなみに、思い出してみると、実はあのエピソードには付け加えるべき部分があって、私が花瓶を割って微動だにせずその場に佇立していたら、一人の生徒が箒とちりとりを持ってすぐに来てくれたんです。麻衣ちゃんでした。麻衣ちゃんが破片の片づけを手伝ってくれたのです。もちろん、私は拗けた性格から、クラスのみんなや教師受けを狙ってだろう、なんてことを考えていました。けど、もしかすると麻衣ちゃんは本気で私のことを友達だと思っていてくれたのかもしれません。少なくともクラスメイトとして認めてくれていたのです。嬉しい思い出です。


96.中学生の頃の思い出は何ですか。


 いろいろありますが、部活の引退の時でしょうか。バスケ部での最終戦を終え引退となった数日後、部員全員で視聴覚室に集まって、上級生から下級生に一言言う場面が設けられたのです。私は当惑していました。何せ、一試合も公式戦に出られず、それどころか部内の練習試合でもろくにコートに立たせてもらえなかった私ですから、いったい何を訓示すればよいのかてんで分かりません。他の同級生が戦術やフィジカルに言及するのを横に聞きながら私は焦って話す内容を考えました。使い物にならない自分に何か教示できることがあるのでしょうか。偉そうに。

 やがて順番が回ってきて、困惑しながらも私は稚拙な精神論を語りました。語り終えると、義務なので拍手がありましたが、下級生のくすくす笑いも耳に入りました。やはり、万年ベンチ外の下手くそが何を言っても説得力がありません、私は恥ずかしさに顔を伏せてしまいそうになりました、しかしその時、清子ちゃんの顔が見えたのです。清子ちゃんは背筋を伸ばし、まるで宝の在り処への道筋を聞いているかのような期待のこもった目で私をじっと見ていたのです。私と目が合うと満面の笑みを見せました。私は、自分から清子ちゃんとの縁を切って冷たく振る舞ったくせに、実に都合のいい話なのですが、清子ちゃんをたった一人の味方のように感じました。彼女のおかげで少し浮ついた空気の中でも私は平静を取り戻し、一先輩として縮こまらずその場に悠々と立っていることができたのです。つらかった三年間の部活の中で、清子ちゃんだけが私の救いになっていたように思います。


97.高校生の頃の思い出は何ですか。


 大縄跳びのつらい思い出が、アスファルトに吐き捨てられたガムのように脳に貼りついて取れません。ネガティブな方向ですけど、高校生の頃の思い出で忘れられない思い出は、やはり大縄跳びでの失敗です。可能ならなかったことにしたい思い出です。


98.あなたにとっての宝物は何ですか。


 唐突に言われても思い浮かばないのですが、少しきざになりますが、楽しい思い出でしょうか。極度の悲観主義のために街灯も月も星も見えない真っ暗な人生、そんな宵闇を照らす、蛍のように幽かな光、それが私の宝物である楽しい思い出なのだと思います。闇からついさっき浮かび出た思い出も多いですが。


99.永遠に生きたいですか。


 こんなに悲観主義の人間が長生きしても不平不満を雪山のように積もらせて、いつしかそれを雪崩のように吐き出して、の繰り返しに過ぎず、それは他人様の迷惑にもなると思うので、いきなりは少し困りますがどこかで終わりは来てほしいと思います。私の死が、祖父の死のように誰かにインパクトを与えないほうがいいと思いつつも誰かの人生に蟻のように小さな、けれどプラスの影響が与えられたらいいなと思います。


100.最後に、あなたは今、幸せですか。


 幸せ、とは言いませんが、だいぶ気分は変わったでしょうか。覆水盆に返らず、過去の出来事は変えられないけど、解釈次第で生き直すことだって、生まれ変わることだってできるのかもしれません。人間って、人生って実に多面的で、ある角度では輝くし、ある角度では闇に沈むものなんだと思います。それに、記憶とは整理されていないおもちゃ箱のようなもので、こうやってがさごそと執拗に掻き回せば想像もしていなかったおもちゃがひょいと顔を表すものなんだと思います。自己満足と笑われそうですが、たまには自分の来歴を振り返ってみることも大事だと思います。祖父への思いは複雑で一筋縄ではいかないですが、発想を変えるためにも、死蔵されているおもちゃを掘り起こすためにも、今度祖父の墓に手縫いの鍋掴みでもお供えしてみようと思います。墓の前に鍋掴みが供えてあるというのもだいぶシュールで、ゴミと勘違いされないか心配ですが。

 実は、中学生の時の同窓会の案内が来ていたんです。不参加に丸を付けたまま、なぜだか踏ん切りがつかずに葉書を捨てずにおいたのですが、参加するのほうに改めて丸を付けてポストに入れようと思います。正直会いたくない人も多くいるのですが、どうしても麻衣ちゃんに話しかけてみたくなって。あの子は人気者だったので誰から話しかけられても嫌な顔はしないだろうし。それと、バスケ部だった子に清子ちゃんのメールアドレスを聞いてみて、もし分かる人がいるようだったら聞き出して、清子ちゃんにメールを送ってみようかな、と思います。いきなりで、もう昔のことなので無視される可能性のほうが高いですけど、恥はかき捨ての心で、勇気を出して送るだけ送ってみようと思います。手紙より気軽にコンタクトを取れる方法がある現代に生きていることは、私のような人見知りにとって幸せなことなのでしょうね。米田君のメアドが分かれば、あのゲームの件も聞いてみたいと思います。

 割る食器がしばらくは減りそうです。どうもありがとうございました。


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